第二十話
オトラント公、五月病を患うも、快癒す。
その日、帝都は震撼した。
例え、一人の悪魔的なまでに悪魔よりも陰謀情熱を燃やすオトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏には平凡かつ退屈極まりないとしても、だ。
高位にある顕官らは、あるものは愕然とし、あるものはほくそ笑んだことだろう。
庶民らは、自分達とは無縁の世界で広げられる顕官同士のつばぜり合いに対して娯楽的な要素を見出すものだ。
特に自分たちに関係がない場合には殊更に。
しかし脚本を書く、演出家だけは違う感想を抱く。
絶望に似たどうしようもない憤り共に覚えた感情。
それは、どうしようもない失望であり同時に怒りでもある。
人目を憚らずに済むならば、吐き捨てただろう。
余りにも、平凡で、余りにも、下らない。
つまらない脚本を見せられた思いに近い。
それも、自分が万事整えた脚本が勝手に改悪されたようなものだろう。
舞台を整え、役者を手配し、小道具と宣伝に万全の自信を有していたのだ。
ここまでお膳立てした寸劇で、フーシェが望んだのはごく単純な願いである。
次の陰謀を、それも世間をあっと驚かすような陰謀を。
言い換えるならば、オトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏にとって陰謀とは自分の作品でなければならない。
他の誰にも、キャンバスを汚されることは我慢できぬ屈辱だ。
自分の舞台、自分のキャンバスなのだから、そこに手を加えられるのはフーシェその人でなければならぬ。
誰もが予想していなかった、あのロベスピエールの末路。
誰もがフーシェの手に怯えながら、蜂起したテルミドール。
あと一歩で、全ヨーロッパを愕然とさせ得た英国との講和交渉。
フーシェにとって、陰謀とはすなわち芸術作品だ。
彼が、妻のほかにただ一つ愛し、身を焦がしている陰謀への情動。
その本質、執着、執念、妄執。
悪魔らをしてフーシェという悪魔よりも悪魔じみた人間に惚れさせる根源なのだ。
陰謀情念が燃え盛るその心中にあるのは、自分だけの陰謀で世をぎょっとさせたいフーシェなりの情動だ。
そのフーシェにしてみれば、登場人物がその末路でおこなった悪あがきなど最悪の筋書きに近い。
罠に嵌った皇子が、罠にはめた二人を罵って離間しようとするのは予想できなくはなかった。
だが、よりにもよって『そんな愚かな手段』に頼る間抜けだったとは。
自分の描いている芸術作品に拭えないペンキで落書されたような気分だろうか。
アリウトレア第三皇子の狙ったように、勝者同志を争わせることで復讐することを期待することまではまだ、よい。
だが、普通に考えれば、『敗者』の戯言に警戒して敢えて呉越同舟を続けることがどうして予想できないのか。
第二皇子ヴェルケルウス殿下と、第四皇子ヴェルター殿下はしばらく仲良く振る舞うことに努めてしまう。
『敗者』なのだから、もう少し懸命に足掻いて見せることをフーシェとしては期待したかった。
本当に、本当に自分を嵌めた連中同士の足の引っ張り合いを見たいのであればバラスの様に黙って隠棲すべきなのだ。
そうすれば、タレーランとボナパルトがやらかしたようにバラスの敵は勝手に分裂するのだから。
それを、よりにもよって、大衆の眼前で叫ぶとは本当に愚かとしか思えなかった。
それではまるで第三皇子が予言したように両者が仲たがいすることで新鮮味が世間に与えられない。
もちろん、フーシェとしては知的遊戯の一環として陰謀を持て遊ぶことも嫌いではないのだが。
嫌いではないのだが、誰かの引いた筋書きの上で踊るのは大嫌いだ。
フーシェ氏、或いは善良なオトラント公爵は脚本を書く側であって、踊る側ではない。
だが、今のフーシェは善良な商人のミーシュを名乗りお忍びでガリアからの密使と接しているオトラント公爵なのだ。
あくまでも、篤実な仮面を被り、無事にことが終わったことに安堵の表情を浮かべなければならないのである。
間違っても、つまらなさげな表情ではいけないし、失望など浮かべてはいけない。
「…では、間違いないのですね?」
だから、興奮した面持ちで宮中での事態を告げるべく駆け込んできた退役軍人の一団から知らせを受け取ったフーシェは慎重さを装いつつもどこか安堵したような表情を苦労して作り上げたものだった。
「もちろんですとも。直ちに、講和交渉に取り掛かります。」
「おお、良かった。これで、肩の荷がようやく下りた気分です。」
そうして、肩が軽くなったとばかりに、ホッと一息ついて見せる小さな芝居までやってのけるオトラント公爵の心中はしかし、表面とは裏腹に酷く退屈したというものである。
ガリア側から同道してきた退役軍人と称するガリアの密使連中。
帝都での政変と、微妙な情勢の変化を口実に自分の護衛兼隠れ蓑として孤児院においておいた彼ら。
そのついでにガリアの連中には、匿ってやったという恩を売りつけておいたわけである。
何事にも無駄なく各方面に篤実なオトラント公爵という仮面を被ったままのフーシェにしてみれば、ガリア方面の情勢に口を突っ込めるのは楽しい立場だ。
が、それも、帝都が須らく混沌として誰にも先行きが(フーシェ以外には、という意味だが、)分からないからこそ面白いのである。
クーデターで劇的な政変が起こり、問題が解決した次に、ガリア情勢が沈静化するというなどそれこそ平凡すぎるのだ。
新しく力強い指導者像として、あの貴族のボンボンどもを位置づけるのは簡単だろう。
その水面下で動き回ることも、オトラント公爵ジョゼフ・フーシェ氏には決して難しい仕事ではない。
だが、それは、それでは、あまりにも平凡なのだ。
新政権が確立し、難しい対外情勢が改善し、宮中での抗争の末に新しい皇帝が立つ。
そこには、劇的な要素が絶対に欠かせない。
予定調和の様にそれが起きてしまっては、フーシェの作品ではないのだ。
予想されてしまった脚本というのは、どれほど精緻を尽くそうとも駄作に近い。
だからこそ、フーシェは頭を心の中で抱えるのだ。
「オトラント公、公のお力添えのおかげです。本当に、本当にありがとうございます。」
「ああ、どうか、やめてください。私は、ミーシュです。旅商人のミーシュですぞ。お忘れなく。」
そして、礼を述べてくるガリアの連中の間抜けさを嗤いつつ、自分の用意した顛末のお粗末さにも苦笑いするしかないのだ。
だからこそ、フーシェは何もかもが嫌になるという陰謀家にしてみれば実に珍しい状態だった。
「いや、失礼。ですが、クレトニウス総督閣下の名誉を公のお力添えで保てたのです。…本当に、感謝してもしきれません。」
「私などに礼を述べるよりもどうぞ、疾く駆けられませ。皆が、良い知らせを不安げに待っておられることでしょう。」
さっさと立ち去ってくれ。
フーシェの心を占めるのは、一人になって考えたいという思いだ。
「おお、いや、うっかりしておりました。直ちに、出立し閣下にお知らせしなければ。」
「道中、くれぐれもお気をつけられよ。何かあれば、ことは水泡に帰しかねませんぞ。」
「はい。ご助言に感謝を。では、失礼をば。」
マルスの祭礼から、幾日かが経ち、帝都を襲った政変の衝撃が幾ばくかは和らぎつつあったある日の午後。
一仕事終えた、多くの旅人らが夜までに次の宿場へと向かう最後の時間帯で人波にもまれるマリウス亭の一角。
食事用に設けられた食堂で、ワインをちびちびと飲んでいる男は不景気そうな顔を隠しもせずにため息交じり呟いた。
「はぁ…最近は物騒だねぇ。何か、明るい話題はないものかい?」
なあ、ヴィル、面白い話はないのかね?
そういわんばかりに、どこか億劫そうにガリアから届いたばかりのワインの杯を空けるミーシュ。
聞けば、孤児院にマルスの祭礼の喜捨を行いがてらあちこちに顔をつないで上手く豚肉がさばけたとかいうことで懐は温かいらしい。
強かな商人だと言えばその通りなのだが、如何せん商売がうまく言ったらしいにもかかわらずこうも不景気そうにされてはマリウス亭の空気が重くてかなわない。
「ミーシュさん、最近そればかりですね。」
「まあ、わかっちゃいるのだけどね。こうも慌ただしくては、碌に商売もできないよ。」
「・・・の割には、がっつり商品をさばいたらしいじゃないですか。」
ため息交じりに、元気出して商売っ気のあるいつものミーシュさんに戻ってくださいよと肩を叩くヴィル。
実際、豚は飛ぶように売れたのだ…なにしろ、宮中でごたごたがあったときに持ち歩ける豚は一財産だ。
家畜の類いが、飛ぶように売れたのは有名だった。
マリウス亭にしても、万が一を考えて少し買い足したほどなのだから市中で不足が懸念された肉類を取り扱っているミーシュさんもさぞ儲かったことだろう。
「そりゃ、こっちも商売だからね、こんな時だからこそ、稼ごうとも思うものさ。」
当たり前のように、大もうけした商人たちの多くは突如として湧いてきた好景気に大喜びしたものだ。
だが、そんな好景気を逃した商人たちの中で数少ない意気消沈組に混じっていたのが豚肉を扱うミーシュというのはちょっと変だ。
「矛盾してますよ、ミーシュさん。」
突っ込みつつも、いずれは自分の店を持ちたいとも思っているヴィル。
彼の問いかけは、なにがしかの答えをえられれば御の字程度というものではある。
なにしろ、宿屋に勤めていれば色々な人の話を耳にできるものなのだ。
親方からして、多くの話を聞くことを進めてくれているのだから、ヴィルたちは結構噂好きであった。
「いやいや、商売というのは二つあるんだ。片方は、ハイリスクかつハイリターン。もう片方は手堅く堅実なものだ。」
「じゃあ、ミーシュさんは商売しているわけじゃないですか。」
「良いかね、ヴィル君。ハイリスクハイリターンというのは真っ当な商売じゃないんだよ。」
だから、為になるなと判断した話には少しばかり手を休めることもあったりする。
アルコールが入ったからか、何時になく饒舌なミーシュさんの話を聞くかとヴィルは周りを見渡し急ぎの仕事はないな、と確認した。
「そうなんですか?すみません、お話、伺っても良いですか。」
「ああ、構わないとも。そうだな、一杯飲みながらやろうか。」
ご一緒しても?と尋ねるヴィルに対し、時間を持て余しているところもあったのだろう。
機嫌よく、ワインを空いているカップに注いでくれるミーシュに礼を述べつつヴィルは腰を下ろす。
そして、意識せずに儀礼的に頂いた杯を飲み干してから、少しばかりうれしい驚きを覚えた。
渡されたカップの中身はミーシュがガリアから持ち込んだワインらしいが、実に良い味のものなのだ。
保存状態に気を使ったのだろうが、古いワインであるのは間違いない甘さ。
だが、澱がほとんどないという時点で相当良質なものだろう。
「ミーシュさん、良いんですか、こんな良いものを?」
「ああ、大丈夫だ。これが、ハイリスクの見返りでガリア商人からもらったワインの残りだからな。」
「ああ、そのハイリスクな商売とやらですか。」
自慢げに笑うミーシュは、ヴィルの質問に肩をすくめながらも肯定。
「そう、君は補助軍団出身だろう?例えば、真っ当な護衛と宿屋じゃなくて下手をすれば野盗もあったわけじゃないか。」
「ご冗談を。傭兵は兎も角野盗なぞ…」
「うん、それが正しい態度だ。でも、金持ちを襲えば大金が手に入る。ハイリスクだけど、ハイリターンだ。」
例えが極端だとしても、ミーシュの言いたいことがヴィルには何となくだが理解できた。
ミーシュがいいたのは、野盗と同様に一発当てれば大きな利潤があるとしても、それはとても危険だ、という事だ。
普通は、誰もが尻込みするし、あまり肯定されない商売のやり方、という訳である。
「つまり、今やっている商売とはそんなものだ、と?」
「まあ、悪いことではないのだけど、危険なことはそんなものだよ。兵士たちが武器を手に駆けずり回る中で商売なんてしたくはないさ。」
「手堅くやっていきたいのですね。」
「そうともさ。だからこそ、何か明るい話題が欲しいのだよ。もしくは、危険を避けるための危ないことに関する注意が。」
つまり、一儲けという成功経験にも関わらず用心深い商売人としてのミーシュは儲かることよりも、危険を嘆いているという事らしい。
「ああ、なら、大丈夫だと思いますよ。」
だから…それは、善意だった。
「おいおい、そんなに簡単に言ってくれるなぁ。こっちは、商売が掛かっているんだよ。」
「ええ、それは分かっていますとも。でも、親方がいうには、当分は大丈夫だろうっって。」
ヴィルは、単純に商売に心配はいらないという善意の言葉を口にしただけだったのだ。
そして、ミーシュが浮かべるのは表面上の商売に対する不安から関心を抱いたという表情だ。
ほんの少しだけ興味を仄かに顔に浮かべながらも、彼は噂話を拝聴するといった姿勢ながらも陽気な声で良い話がないかと口を開く。
「おや、親方が?親方!それは、どういうことですか。」
「ミーシュさん。何のことだい。」
ヴィルが、親方から聞いたこと。
ミーシュが知りたがっていること。
それらを、ヴィルから聞き取った親方の言葉ははっきりとしていた。
「ああ、それは単純だよ。普通、何かあるならば場末の傭兵らが集められるはずだがむしろ追い出されている具合だからな。」
「誰も、傭兵に用事がない、と。そういう事でしょうか。」
「その通りだろう。一応、傭兵を追い出すことで手元の兵力の優位を活用しようという手がないわけではないが…。」
「いや、元老院と第二皇子殿下が結託し、第四皇子殿下が遠征するとなれば確かに傭兵を必要としませんね。」
常識的に考えれば、傭兵…つまるところインペリウムにおいては護衛となる私兵は騒乱がなければ無用の長物だ。
なにしろ、そこそこ信頼出来て腕の立つ傭兵というものはなんだかんだで高給取りである。
そう、例えば今話題のヴェルター殿下の護衛に着いていた傭兵連中の費用は目玉が出るほどに高額だ。
もっとも、皇族の身の回りへ向けられる皇族歳費だけで雇える辺りに皇族の財力がそこはかとなくにじみ出ないでもない。
まあ皇族の護衛に傭兵が頼られるという事自体がある意味では異例なのだが。
が、逆に言えば余程有力な貴族連中や皇族というのは自前の私兵を抱え込んでおり抗争でもない限りは余計な支出をしてまで傭兵を雇う必要性がない。
「そういう事だ。一応、元老院が仕出かすかもしれないと心配している連中もいるには居るが…。」
「しかし、そうなると神殿の動きはどうですか?」
「神殿?そうだなぁ…強いて言えば興味がなさそうだったが。」
「そうですか。ありがとうございます。やれやれ、やっとマトモな商売が出来そうだ。」
だから、商売人としてのミーシュが安堵出来る程度には帝都は平穏な方向へ、『一般的には』向かっていると言えるだろう。
心の底から、ほっとしたという表情でミーシュは乾杯を叫んで機嫌よく杯を空けて見せた。
そして、今更飲みすぎていたことに気が付いた、とい言わんばかりに少し酔ったかなぁ、飲みすぎたようだ、などと嘯きながら席を立つ。
「良い知らせを聞いて、良い気分で眠れそうだ。おーい、ヴィル君、残ってるワインはおごりだ、遠慮なくやってくれよ。」
「良いんですか?」
「いいとも、いいとも、前祝いだよ、平穏万歳、ってね。」
が、ちょっとだけ。
心に燻っている情念の火が煽られるのだ。
…そう、何かが隠れているような気配。
事もあろうに、こともあろうに、この自分に隠れて、誰かが何かを企んでいるというけしからぬ匂い。
常識で考えれば、現状、主たる政治勢力がとりうる選択肢は余り多くはなかった。
インペリウムを二分する内乱を避けるために第二皇子殿下は我らがヴェルター殿下と協調するしかない。
そうでなければ、ガリア討伐軍とガリア叛乱軍が合流し、ライネ軍団すら加わりかねない大反乱が待ち構えている。
一応、一撃で外科的な手段を取ることでヴェルター第四皇子殿下にお隠れいただくという手がないわけではないが。
しかし、この状況下であからさまな流血を伴う手段を決行するリスクは並々ならぬものだ。
例え、完全に善意かつ独自の判断で第二皇子ヴェルケルウス殿下の手の者が暗殺に成功したとしよう。
理屈から言えば、皇位継承権を有している数多の皇族らが挙って兄弟殺しを指弾し始めるに違いない。
皇弟エルギン公を始めとする皇族らは、基本的には現状に甘んじているが、それは大義と力がないからにすぎないのだ。
仮に。
そう、仮にだが。
ここでヴェルター第四皇子が暗殺されれば怒り狂ったガリア方面軍などを焚き付けるくらいは彼らにもできるだろう。
だからこそ、彼らの誰かが『事のあること』を期待して手元に兵を蓄えないのはおかしな話だ。
いや、そもそもエルギン公辺りはそうすべき状況なのだ。本来ならば。
そうしないという事は、誰かの作為が間違いなく働いているという事になる。
結構なことだが、自分を仲間外れにしてコソコソと何か悪巧みするのは絶対に許し難い。
一人、締め切った寝室で心底不愉快に…しかし、同時に抑えきれない好奇心も露わにフーシェは嗤うのだ。
楽しい気なことを、自分達だけで独占するとは、許し難い、と。
フーシェ氏、燃え尽き症候群+最後の最後でケチをつけられて凹むも、次の試合に向けて、リベンジ、と頑張る、努力と勝利の物語を予定しております。どうぞ、乞うご期待。
追伸
本業の幼女戦記はぼちぼち出版予定日をお知らせできそうです。なので、手が空いたのでちまちまと更新作業を再開しとります。
活動報告をご参照ください。




