第96話 おとうさんに注意されるおにい
夏休みも終わり、学校は2学期が始まる。
学校での時間は何事も無く平和だ。休みのあいだに起こった危険な出来事が嘘のようであった。しかし……。
「と、兎極?」
兎極は俺の腕にがっしりと抱きついて周囲を警戒している。
金翔会の風間はまだ生きている。
俺を狙って来る可能性もあり、兎極は心配のようだ。
「そんなに警戒しなくても、こんな昼間に襲ってきたりしないよ」
「おにいは甘い。そんな常識が通用するような連中じゃないの」
「ま、まあ、それもそうだろうけど……」
「あの女だってどこから現れるかわからないし」
「あの女って……朱里夏さんのこと? 朱里夏さんは別に危険じゃないよ。むしろ俺を金翔会から守ってくれようとしているくらいだし」
「あの女が一番に危険なのっ!」
「そ、そう?」
勢い良く言われて俺は黙り込む。
「……おにいったらわたしに黙ってあんな女を助けに行っちゃってさ。わたしすごい怒ってるんだからね」
「い、いや、俺もあそこまで大変な事態に巻き込まれるとは思ってなくて……。でも朱里夏さんを助けることができてよかったよ」
「よくないっ!」
「えっ?」
「おにい、下手したら死んでたんだからねっ! わかってるのっ!」
「あ、それは……まあ」
結果的にはこうして生きてはいる。
だが兎極の言う通り、あの場で死んでいても不思議は無かった。
「今後、わたしに黙って危険な場所へ行くのは禁止ねっ! どうしても行きたいならわたしも連れて行くことっ! わかったっ?」
「いやでも、危険とわかってて兎極を連れて行くわけには……」
「わかったのっ!?」
「わ、わかりました……」
肯定以外は許さない。
そんな強い雰囲気で言われた俺は、肯定を口にせざるを得なかった。
「よろしい。それで、話は変わるけどさ、おにいは高校の全国模試って受ける?」
「え? いや、俺は受けないかな」
急に学生らしい話が始まってホッとしつつ、俺は兎極の問いに答える。
兎極は中学時代の全国模試で順位一桁台に入ったほどに頭が良い。
俺は勉強ができないし、面倒だから全国模試なんか受けたこともなかった。
「そうなんだ。わたしさ、ママに言われて受けに行かなきゃ行けないから、行くときはおにいも一緒に受けようよ」
「俺はいいよ。面倒だし。どうせたいした点も取れないだろうしさ」
「まだ時間あるし今から勉強すれば良い点取れるよ。ねっ」
「うーん……」
俺が勉強しても良い点を取れるとは思えないけど、一緒に受けたいというならそれは別に構わないかなと思う。
しかし今はこんな学生らしい平和な会話をしているとは。
夏休みの危険な出来事はすべて夢だったのではと思ってしまう。
そんなことを考えながら、自宅についた俺は玄関の扉を開ける。……と、
「おかえり」
夏休み中に起こった危険な出来事すべてに絡んでいる人に出迎えられ、やっぱり夢などではなかったのだなと実感した。
「朱里夏さん……。勝手に入っちゃダメですよ」
出るときに戸締りはしっかりしてきたはず。
一体どこから入ったのか……。
しかしまあ、朱里夏なら鍵開けくらいはできそうである。
「だっていなかったし」
「だからって勝手に入っちゃダメです」
「じゃあいなかった入るね。はい。これで勝手じゃない」
「朱里夏さん……」
朱里夏さんがうちへ来るのは俺を金翔会の風間から守るためだ。
なので来てはダメと言い辛かった。
「デカチチは?」
「ここにいるだろっ!」
俺の隣で兎極が声を上げる。
「ああ、いたんだ」
「いや、最初から目の前にいたんだけどっ!」
その通りで、兎極はずっと朱里夏を睨んでいたはずだが。
「今日は静かだから気付かなかった。いつもあたし見るとうるさいし」
「おにいがてめえと喧嘩するなって言うからだよ。言われてなかったらこの場でボコボコにして川にでも放り込んでやってる」
「そう。あ、チチデカはもう帰っていいよ。ここまで五貴君を守ってくれてごくろうさん」
「帰るかっ!」
そう声を上げた兎極を不満そうに見つめる朱里夏とともに家へ上がる。と、
「おかえり五貴」
「あ、父さん」
玄関で父さんに出迎えられ驚く。
父さんはいつも忙しくてあまり家にいない。帰って来るとしても夜か早朝が多いので、学校から帰って来て出迎えられるなんて滅多に無いことだ。
「おとうさん、こんにちは」
「ああ、兎極ちゃんもおかえり」
「父さん、家に帰って来るなんて1ヶ月ぶりくらいじゃないの?」
「ここのところ忙しくてな。今日は午後から3日休みをもらったんだ」
「そうだったんだ」
父さんは生活安全課で課長代理として働いている刑事だ。
忙しくて家に帰ることが少なく、3日も休めるなんて珍しい。俺が夏休みのあいだも初めのころに1日帰って来ただけだったか……。
「それよりも五貴、家に帰ったらなんか小さい子が居間で昼寝をしていて驚いたぞ。なんかお前の知り合いだって言ってるけど、どこの子なんだ?」
「えっ? あ、いや、朱里夏さんは……」
俺は朱里夏が何者かを父親に説明する。
もちろん難波組の娘ということは隠し、以前にバイトをしていたコンビニで世話になった先輩だと……。
「お、大人だったのか?」
父さんは眼鏡をかけ直して朱里夏をじっと見る。
「いや、それは失礼してしまったね」
「あい。大人で、五貴君とは濃密な関係です」
「えっ?」
「い、いやなんでもないよ。ほら、朱里夏さん、部屋に行きましょうか」
余計なことを言う前にと、俺は朱里夏を自室へ連れて行こうとするが、
「ちょっと待った五貴。少し話があるから来なさい」
「えっ?」
話ってなんだろう?
少し嫌な予感をさせつつ、俺は父さんへついて行った。
そして居間へ行き、テーブルを挟んで向かい合って座る。
俺の両隣には兎極と朱里夏が座っていた。
「あ、で、父さん、話って……」
「あーうん……」
と、父さんはチラと兎極のほうへ目をやる。
「兎極ちゃんの前では少し話しづらいことなんだけど、無関係ではないだろうし、聞いてもらったほうがいいかもね」
「えっ? わたしにも関係あるの?」
「うん」
兎極にも関係がある話……。
なんだかますます嫌な予感がしてきた。
「話というのは北極会のことだ」
「あ……」
ああやっぱり。
兎極にも関係あると聞いた時点で北極会絡みな気がした。
「五貴お前、沼倉組の合宿に参加したらしいな」
「あ、いやその……」
「柚樹さんに聞いたんだ。柚木さんは北極会の動きを細かく追っているからね。沼倉組の合宿に学生っぽい2人が参加してるって情報が入ったらしくて、そのときに捜査員が撮った写真に……」
そう言って父さんはスマホに映った画像を見せてくる。
それは合宿の帰り、港に停まっているマイクロバスへ俺たちが乗ろうとしているのを撮った画像だった。
「兎極ちゃんの知り合いに旅行へ連れて行ってもらうとは聞いていたけど、まさか沼倉組の合宿だったとはな……」
「ご、ごめんなさいおとうさんっ!」
謝ろうとしていた俺の隣で兎極が声を上げて謝る。
「おにいは悪くないのっ。わたしがパパにダメだって言わなかったから……」
「いや、2人に怒っているわけじゃないよ。ただセルゲイ……さんね。まあ兎極ちゃんのお父さんだし、会って少し話すくらいはいいよ。けれど組のことに2人を関わらせるのはダメだと思う」
「う……うん」
父さんの言うことはもっともだ。
セルゲイさんや沼倉さんは俺に良くしてくれるが、ヤクザには違いない。会って話すくらいならともかく、組に関わるなんてことをしていいはずがない。
「普通の合宿とは思えないし、なにか危険な目にも遭ったんじゃないか?」
「いやまあ……それなりには」
チラと隣の朱里夏へ目をやると、
「男の子は危険なことをして成長をするものです」
危険の張本人がそう答えた。
「まあそれはそうかもしれませんけど、危険にも限度はあるでしょう? ヤクザの合宿みたいな危険なものに参加なんて、親としては許可できませんよ」
「ごもっともです。なにが起こるかわかりませんものね」
怪物が組長のタマを取りに来たりとかね……。
「そういえば……」
と、父さんは朱里夏をじっと眺める。
「このあいだホテルでヤクザの抗争があったときに、高校生くらいの男と小学生くらいの女の子が中へ入ったって目撃証言があったみたいなんだけど……。お前、そのとき不良に絡まれて喧嘩したとかで入院したよな。もしかして……」
「そ、そんなわけないよっ」
あのあと、俺たちが大広間を出ると、金翔会の人間はすべて消えていた。
朱里夏さんが言うには、万が一の際は退散するよう風間が事前に指示していたんじゃないかとのことだ。
俺たちがホテルから出た直後に警察が来たらしく、父さんや母さんには俺と朱里夏があの場にいたことはバレていない。
「……うん、まあ、そうだよな。お前と難波さんがあそこと関わるなんてあり得ないし、ちょっと考え過ぎだったよ」
「う、うん」
金翔会に命を狙われてるなんて言ったら、あの場で朱里夏さんがしたことや素性も話さなければいけなくなる。そうなれば逮捕なんて可能性も出てくるので、金翔会との関わりについては言えなかった。
「話が少し脱線したな。まあともかく、北極会とは関わるなと言いたいんだよ。セルゲイさんともなるべくね。セルゲイさんには会わないようにと、柚樹さんは兎極ちゃんへ何度か言ったそうなんだけど、言っても聞いてくれないって話してたよ」
「う……はい」
「だからね、僕がセルゲイさんと会って話そうと思うんだ」
「えっ?」
父さんがセルゲイさんと話す。
それを聞いた俺と兎極は顔を見合わせた。




