第82話 ナンパ男とボートで対決するおにい
「ねえ君かわいいね。俺と一緒に遊ばない」
「ちょっと丈吾っ!」
ナンパをしてきた男に、当然の如く隣の女は怒りだすが、
「あ、お前はもういいや。金やるから帰っていいよ」
「は、はあ? なにそれどういうことっ!」
「言葉通りだよ。とっとと帰れブス」
「な、なな……」
女の顔は真っ赤だ。
しばらくその場で男を睨んでいたが、男に睨み返されると鼻をフンと大きく鳴らし、強い足取りでその場を去って行った。
「さ、じゃあ俺と一緒に向こうへ行こうか」
「はあ? 行かないけど」
「はははっ、恥ずかしがらなくてもいいよ。さあほら」
腕を掴もうと伸びた手だが、兎極はそれを払いのける。
「行かないっての」
「どうして? 俺は国島建設社長の息子だぜ? 付き合えばなんでも買ってやるし」
「あんたなんか……」
と、兎極はそう言いながら俺の腕を抱く。
「おにいにくらべたらゴキブリの糞以下だし」
「は、はあっ?」
意味がわからないと、そう言いたげな表情で男は俺を睨む。
「だからもう向こうへ行ってよ。しっしっ」
「こ、この……っ」
雑に追い払われて腹が立ったのか、男の顔がみるみるうちに真っ赤となる。
揉め事は面倒だ。
しかしこうでも言わなければいつまでもしつこくナンパをしてくるだろうし、まあしかないだろうとは思った。
「そんなにその男がいいんだったらよぉ。俺とその男で勝負しようぜ」
「はあ? 勝負?」
勝負と聞いて兎極が首を傾げる。
「そうだ。勝負して俺が勝ったらお前は1日、俺と付き合う」
「あんたが負けらたら?」
「この場で丸坊主になってやるよ」
別にこの人が丸坊主になっても俺は嬉しくもなんとないが……。
「勝負内容は?」
「海だし水泳……って言いたいところだけどよ。それじゃあ普通過ぎてつまんねーからゴムボートで対決しようぜ。あそこに見えるブイのところまで行っ、て先に戻ったほうが勝ちだ」
男が指差したのは遊泳区域を示すブイだ。
距離は砂浜からだいたい100メートルくらいだろうか? 無人島までボートを漕いだときにくらべればなんでもない距離だった。
「へー。いいよ」
「と、兎極っ。俺はバイトが……」
「おもしろそうじゃないか」
「えっ?」
騒ぎを聞きつけたのか、そこへ海の家の店長がやって来る。
「久我島君が勝ったら給料に少し色をつけてあげるよ」
「そ、そうですか」
なら……。いやでも、負けたら兎極がこの男と1日だけ付き合うことになる。それはもちろん嫌だが、兎極がこの男をぶちのめして病院送りにでもしてしまうんじゃないかという心配もあった。
「やるよねおにい?」
「あ、いや……」
「おいおい逃げるのか? 情けねー奴」
「おにいは逃げないしっ! ねっ!」
「……」
周囲にたくさん人が集まって来て俺に注目している。
やらないとは言いづらい状況だ……。
「わ、わかった。やるよ」
ボートを漕ぐのは先日の合宿で慣れている。
この男がボート漕ぎのプロでもない限り、不利ってことはないだろう。
「よーし決まりだ。それじゃあ早速、始めようぜ。おい辻村」
「はい丈吾様」
と、男が呼びかけると、人の集まりを掻き分けてこの場には似つかわしくないタキシード姿のおじさんが現れる。
「ゴムボートを用意しろ」
「かしこまりました」
そう言って頭を下げ、おじさんはどこかへと歩いて行った。
正直、気は進まない。
しかし今さらやめるなんて言えない雰囲気だし、こうなったらやるしかなかった。
……
さっきのタキシードおじさん……たぶん執事かなにかが用意しただろうゴムボートが海辺に浮かんでいる。ゴムボートってところ以外は先日のボートと大差はない。
「好きなほうを選んでいいぜ。負けたときになにか細工をしたとか言い訳されても迷惑だからな」
「はあ。じゃあこっちで」
見たところまったく同じゴムボートだ。
悩む理由も無い。
「あれ? ゴムボートを用意してくれたさっきの人は?」
側で勝負を見ているものと思ったが、周囲のどこにもいなかった。
「うん? ああ、便所にでも行ったんだろ」
「そうですか」
まあいてもいなくても勝負に影響は無いから構わないが。
「じゃあ始めるぜ。あそこのブイまで行って、先にここへ戻って来たほうが勝ちだ」
「わかりました」
ゴムボートに乗り込み、オールを手に取る。
「よしじゃあ、この石が海に落ちたらスタートだ。行くぜ」
男が海へ向かって石を放る。
そして着水した瞬間、俺と男はゴムボートを漕ぎだす。
「おおっ!!」
背後から歓声が上がる。
スタートの速さも相まって、俺のほうが大きくリードした。
先日の合宿でボートを漕ぎ慣れているおかげか、差も少しずつ開いていく。
これなら普通に勝てそうだな。
……そう思ったとき、
「ん? えっ? あれ……」
なにやら一瞬だけ大きく揺れ、その直後に尻へ冷たい感触を感じる。
嫌な予感がしつつ振り返ると、ゴムボートに穴が空いて浸水をしていた。




