第66話 追って行く朱里夏と天菜(工藤天菜視点)
……北極会若頭の沼倉克己が強化合宿を行うために無人島へ行くという情報を聞きつけたらしい朱里夏と2人で港までやって来る。
合宿参加者を乗せたマイクロバスをつけてここまで来た。最初は面倒なことに付き合わされてうんざりだったが、僥倖を得てわたしは舞い上がっている。
参加者と一緒にあのクソ女がいたのだ。
うまくすれば朱里夏とあのクソ女をぶつけられる。
運が向いてきたと、わたしは心の中でほくそ笑んだ。
朱里夏のバイクでここまで追って来たわたしたちは、港に停まったマイクロバスを倉庫の壁際に隠れて見つめていた。
「まだやらないんですか?」
隣の朱里夏に問う。
朱里夏は沼倉を殺して、沼倉組のしのぎを奪うことを考えているらしい。正直、組長を殺しただけでしのぎを奪えるとは思えないが、それはどうでもいいことだ。
わたしの頭にはこの化け物とクソ女をぶつける方法を考えることしかなかった。
「無人島で殺せば完全犯罪になる。だから無人島で殺す」
「そ、それはそうですけど……」
沼倉を殺せばクソ女がこいつに向かって行くか? ……いや、やられたのが五貴ならともかく、沼倉が殺されて動くは微妙だ。もっと確実にぶつけることができる方法は無いものか……。
というか、無人島ってどこにあるんだ? どうやってついて行くつもりなのだろう? 無人島まで行くなんて面倒くさい。
もうあの場に突っ込んで行ってクソ女だけ殺してくれないかなと、わたしは都合の良いことを考えていた。
沼倉とクソ女、あとは一部の組員はクルーザーに乗り込み、五貴とその他の男たちは粗末なボートに乗って出発する。
あんなボートで行くくらいだ。
無人島はそんなに遠くないのだろうと思った。
「ボートが余ってる。これで行こう」
「え……マジですか」
こんなボートで海に出るとか漂流しに行くようなもんだ。
しかし自分がついて行ってうまく誘導しなければこいつとあのクソ女をぶつけることはできない。
しかたなしと、わたしは朱里夏が乗ったボートの隣にあるもうひとつのボートへ乗ろうとする……。
「お、お嬢っ!」
と、そこへ見覚えのある顔の男がやってくる。
難波組の若頭、水木だ。
「水木? なんでここにいるの?」
「お、お嬢が無茶やらないように見張っといたほうがいいって若に言われまして……」
「あっ、そ」
理由を聞いた朱里夏は、もう用は無いという様子で水木から目を逸らしてボートのオールを手に取る。
「待ってくださいお嬢っ! 沼倉をとるのはまずいですっ! 北極会の若頭をとったりなんかすれば間違いなく戦争になりますっ! うちが潰されますよっ!」
「戦争になったらあたしが北極会も傘下組織も全部潰す。だから問題無い」
「は……えっ?」
なにを言っているんだ?
そうとでも言いたげな表情で水木は朱里夏を見ていた。
「じゃあね」
「あ、ちょ、ちょっとお嬢っ!」
止めようと声をかける水木を無視して朱里夏はボートを漕いで先へ進む。わたしもボートを漕いで慌ててあとを追った。
……出発してからどれくらいが経っただろう? すっかり夜となり、途中で疲れ果てて漕げなくなったわたしは、頼み込んで朱里夏のボートに乗せてもらっていた。
一体いつになったら目的の無人島へ着くのか?
明るいうちは先のほうへ見えていたクルーザーの姿が目視できなくなり、このまま漂流するのではないかとわたしは不安に思っていた。
「だ、大丈夫ですか? クルーザーがもう見えないんですけど?」
「あたしは見えるから大丈夫」
いや、わたしの目にはまったく見えないのだが……。
しかし朱里夏は見えると言い、迷うことなくボートを漕ぎ続ける。
というか、出発から今まで休むことなくボートを漕いでいる。表情に疲れなど出ておらず、やっぱりこの女は化け物なんだなと再確認できた。
「お腹減った……」
朱里夏がそう呟く。
この女は大食らいだ。ボートに載っていた食料もすべて食べてしまい、このまま漂流でもしたら自分も食われるんじゃないかと恐怖が湧き上がる。
ついて来なければよかったかもしれない。
そう思い始めたころ、
「島が見えた」
「えっ?」
進行方向を見つめて朱里夏は言う。
しかしわたしにはなにも見えない。
「ほ、本当ですか?」
「うん。同じ場所に着くとまずいから少し離れた場所に上陸する」
そう言って朱里夏は方向転換をしてボートを漕いだ。
……やがてわたしの目にも島が見えて来て、それからすぐに上陸をする。
島はいかにもな無人島で、砂浜と森しか見えなかった。
「ど、どうします? すぐに沼倉を始末に行くんですか? つ、ついでに北極会会長の娘を始末しちゃってもいいと思うんですけど……」
「そいつは殺す意味も無いしどうだっていい。邪魔をして来たら殺すかもしれないけど、なにもしてこないなら放って置く」
「そ、そうですか……」
邪魔……。してこないこともなさそうだが、なんとも言えなかった。
もっと確実にぶつける方法を考えなければ。
しかしやはりこれといった方法は思いつかず苦悩する。
「とりあえず腹ごしらえ。魚を獲って来るから火でも起こしといて」
「えっ? 魚って……」
突如、朱里夏は服を脱いで全裸になってガキみたいな身体を晒したかと思うと、海に飛び込んでしまう。
こんな夜闇に塗れた海に飛び込むなど、自分からすれば恐怖でしかないのだが……。
そもそも海を泳ぐ魚を手だけで捕まえるなんてできるのか?
しかしあの化け物ならできなくも無いような気がした。
「てか火ってどうやって起こすんだよ……」
とりあえず森の近くに落ちている枝を集めていると、
「獲ってきた」
「えっ? うわあっ!?」
なんかよくわからないでかい魚を両脇に抱えた全裸の朱里夏に驚き、わたしは腰を抜かしてその場に尻もちをつく。
「火は?」
「いや、まだですけど……」
飛び込んでからまだ5分も経っていないのだが。
「というか火ってどうやって起こすんですか?」
「お前なんにもできないな」
「すいません……」
普通は火起こしなんてできねーだろと思いながら謝るわたしから目を逸らし、朱里夏は拾った枝と枝を擦り合わせて火を起こす。
原始人かこの女。
「てか火なんか起こしたらここにわたしたちがいるのバレるんじゃないですか?」
「奴らが気付いてここに来たら、来た奴らを倒せばいい」
「そうですか……」
だったらあのクソ女が最初にここへ来ればいい。
わたしはそれを願った。
「あ、あのひとつお話しておきたいことがあるんですけど」
ふと、わたしはあのクソ女を殺すのに懸念があることを思い出す。
「なに?」
種火から焚火を起こしながら朱里夏はこちらを向く。
「五貴って男がいるんですけどね。あいつには気をつけてください。おとなしそうな顔をしてキレるとやたら強いですから」
わたしは廃工場での五貴の変貌を思い出す。
あいつはキレると尋常でない力を出す。
ああなったら朱里夏でも勝てるかわからない。
朱里夏が五貴にぶちのめされては、あのクソ女を潰す考えがまたダメになってしまう。だから五貴には警戒させる必要があるのだが……。
「ああそう。まああたしのほうが強いからどうでもいいけど」
恐らくこういう反応が返ってくるとは思っていた。
言葉で言っても、あのときの五貴を見ていない朱里夏は警戒なんてしないだろう。
朱里夏が動いたとき、わたしのほうで五貴をあのクソ女から離して置かなければならないだろうと思った。




