第59話 小さな怪物の姉ちゃん(難波幸隆視点)
……親父は警察に捕まり、俺は高校を退学。
獅子真が来てからというもの、散々なことばかりだ。
北極会に喧嘩を売って、会長の娘にまで手を出したケジメとして親父は捕まった上に引退まですることになった。大半のしのぎを北極会に渡すことで解散だけは防ぐことはできたが、組はもうガタガタで潰れかけだった。
「クソっ、こんなんだったらいっそ潰してくれたほうがよかったな」
傘下だった組もほとんどが北極会に吸収か、難波組から離れていった。そこそこ大きかった難波組の規模はもはや弱小だ。
あのとき五貴に潰された顎は一応、治りはしたが、いまだにしゃべるのはしんどい。壁に叩きつけられたことで全身の骨は折れ、最近になってようやく座れるくらいに回復はしていた。
おとなしいだけの奴だと思っていたのに、キレるとあんなにやばかったなんて……。
あのときのことは思い出したくないほどの恐怖だ、
もうあいつや獅子真とは関わりたくなかった。
「あー……それで若、3代目のことなんですが」
若頭の水木が困ったような表情で俺へ声をかけてくる。
難波組は俺のじいさんが起こした組だ。
親父が2代目なので次は3代目なのだが……。
「いや、俺は継がないからな。こんな潰れかけの組」
「そう言われましても、跡目は若にとおやっさんが……」
「俺まだ16だぞ?」
「ええ。ですから成人されるまでは私が組長代行ってことで」
「そのまま水木さんが組長になればいいだろ? 俺はもともと継ぐ気なんかなかったんだ。ヤクザなんて興味無いしよ」
親父の計画がうまくいったならば継ぐことも考えた。しかし計画は失敗して、組は大きくなるどころか潰れかけだ。継ぐうまみなど微塵も無い。
「そこをなんとか、若」
「勘弁してくれよ」
……とは言え、高校も退学になってすることもない。親父も捕まってるし、このまま組が潰れたらホームレスになり兼ねない。なんとか組を復興させなければ、生活すらできなくなるかもしれないし……。
「わ、若っ!」
と、そこへ組の若い奴が襖を開いて部屋へ飛び込んで来る。
「なんだよ? また警察のガサか? もう持ってかれるもんなんてなにも……」
「い、いやその、お、お嬢が……戻られまして」
「お、お嬢って……」
俺の頭に嫌な予感が浮かぶ。
組の人間がお嬢と呼ぶ女。それはひとりしかいなかった。
隣の部屋から足音が聞こえ、赤のTシャツに短パン姿の小柄な女がヌッとこちらへ姿を現す。
顔を覆うほど髪を長く伸ばした幽霊のような若い女。一見してテレビから出てきそうな不気味な外見に俺は見覚えがあった。
「ね、姉ちゃん……」
やや垂れ目の眠そうな視線を向けられて俺は身を震わす。
15のときに喧嘩で27人を殺しかけ、5年の刑期で少年院に行ってた姉の難波朱里夏。小学生女児のように小柄な見た目だが、喧嘩無敗で人間兵器と恐れられ、13歳で暴走族のリーダーにまでなっていた怪物のような女だ。
「幸ちゃんひさしぶり。お姉ちゃんが出所したのに迎えに来ないってどういうこと?」
「いやその、いろいろあってそれどころじゃ……おごっ!?」
不意に蹴りを食らって悶絶する。
「それどころじゃない? 幸ちゃんはいつからお姉ちゃんにそんな口を聞けるようになったのかな? というかパパはどこ?」
「い、いや聞いてくれ姉ちゃん。実は……」
俺は親父が捕まったことなど、組に起きている現状を姉ちゃんに話す。
「そうなんだ。パパもヤキが回ったね」
どこかで買って来たのか、棒アイスをベロベロ舐めながら姉ちゃんはそう苛立たし気に言う。
「それで幸ちゃんはどうするの?」
「どうするって……とりあえず組を立て直さないと生活が……」
「そうじゃないよ。返し。北極会にやられっぱなしでいいの?」
「か、返しって姉ちゃん。組がどうなってるかは話したろ。それどころじゃねーよ。しのぎを安定させなきゃ組が潰れるんだよ」
「だったら北極会を潰してシノギを奪えばいいじゃない?」
「いや、そんなの無理に決まってるだろ……」
今やうちと北極会の勢力差は天と地ほどある。
喧嘩なんか売れば紙屑のように吹き飛ばされるだろう。
「情けない。それでも男の子なの?」
「現状じゃ返しなんて自殺行為だよ。死ぬ気はねー」
「……もういい。ならあたしは好きにやらせてもらうから」
「えっ? す、好きにってなにする気だよ?」
「好きにだよ。じゃあね」
と、立ち上がって姉ちゃんは部屋を出て行く。
……嫌な予感しかしない。
「水木さん、姉ちゃんを監視しといたほうがいい。組の名前を出してなにかされたら面倒なことになる」
「わ、わかりました。若い奴に……いや、俺が見張ります」
「うん。頼んだよ」
とは言っても、水木に姉ちゃんを止められるわけはない。
あれは喧嘩が強くて武闘派として恐れられた先々代……俺のじいさんによく似ていると親父が言っていた。しかしあれは喧嘩の強さにプラスして狂犬だ。人の言うことをおとなしく聞いたりはしないし、止められるわけがない。
これはもう組の解散は覚悟したほうがいいかと、俺は腹を括っていた。
「組の名前を出さないうちに、どっかで喧嘩でもしてムショに行ってくれればいいんだけど」
親父が不在の今、あの狂犬を諫める人間は誰もいない。
余計なことをしでかさないうちに捕まってくれることを願うばかりだった。
水木が部屋を出て行き、俺がひとりため息をついていると、
「ねえ」
「うん? あ……」
鼻に包帯、そして左頬に生々しい傷跡を見せた天菜が部屋へと入ってくる。
「なんだお前、来てたのかよ」
天菜とは腐れ縁のように恋人関係が続いている。こいつも獅子真にはいろいろやられたようだが、いまだにやり返しの機会を窺っているらしい。
毎回ひどい目に遭わされ、頬には一生消えない傷跡まで作られたのによく諦めないものだと、呆れ果てるのと同時に関心もしてしまう。
天菜は柱へと寄りかかり、腕を組んで俺を見下ろす。
「あのガキみたいな女、あんたの姉さんなの?」
「ああ、難波朱里夏。年少に行ってた俺の姉さんだよ」
「へえ。喧嘩強いの?」
「化け物だよ。喧嘩強い以外はなにもねぇくらいのな」
「ふーん……」
ニヤリと天菜は邪悪な笑顔を見せる。
16歳の少女とは思えないような邪悪な笑み。左頬に生々しく残った傷跡が、それを引き立たせていてゾッとしてしまう。
「お前さ、化粧とかでその傷跡を隠せねーのか?」
「隠す? どうして?」
「どうしてってお前……」
怖いからとはみっともなくて言えない。
「わたしはこの傷、好きなんだけど」
「は?」
天菜は自分の美しさに誇りを持っていた。
それを傷つけられて嬉しいとは意味がわからなかった。
「ふふ、この傷を鏡で見るとねぇ、あの女への憎悪が蘇ってきて怒りを持続させることができるの。この傷はあの女からわたしへの贈り物。怒りを忘れずにいつか自分を殺してくれっていう、あの女からの思いが込められたね。だからこの傷が好き。あの女を殺してやるっていう思いを忘れさせてくれないから」
そう言って天菜は愛おしそうに傷を撫でる。
初めて会ったときは自尊心が高いだけの美少女だった。それが今は殺人鬼のような狂気的な雰囲気を纏っている。
こいつと別れられない理由がこれだ。
別れるなんて言えば、俺は安心して町を歩くとはできなくなるだろう。
「それよりもさ、あんたの姉さんと獅子真をぶつけるってのはどう?」
「えっ?」
「獅子真を殺してくれたら最高だし、あんたの姉さんもムショ行きになって一石二鳥じゃない?」
「それはまあ……い、いやダメだ。姉ちゃんは人に言われてなにかするのは嫌がるんだ。こっちの言うことなんか聞いちゃくれないし、獅子真を殺したりなんかしたら今度こそうちは北極会に潰される」
「あんたの姉さんと個人的に喧嘩したってことにすればいいよ。ぶつけるのはわたしのほうでなんとかしてみるからさ」
「いやでも……」
「あんたは黙ってればいいから。それじゃね」
「あ、天菜っ! 待てっ!」
止める声も聞かずに天菜は部屋を出て行く。
「クソっ……」
やると言い出したら天菜は止めても聞かないだろう。
「もしも本当に姉ちゃんが獅子真を殺しちまったら……」
しかしそうでなくても、放って置けば姉ちゃんは北極会に喧嘩を売るだろう。だったらワンチャン、獅子真との個人的な喧嘩でムショ行きになってもらえば……。うまくいくとは思えないが……。




