第57話 銃弾に倒れるおにい(兎極・五貴視点)
天菜の持つ拳銃はわたしへ向けられている。
「と、兎極っ!!」
ママに股間を蹴られて倒れていたパパが慌てた様子で起き上がり、こちらへ向かって走り出そうとしているのが横目に見える。
だがもう遅い。引き金はすでに引かれ、バァンと鳴った銃声が耳をつんざく。
撃たれる。
そう思ったとき……。
「あ……」
不意に立ち上がったおにいがわたしの前に。そして……。
「あ……ぐっ!!」
短く呻き、そしてグラリと揺らいだおにいの身体が仰向けに倒れていく。
「お……おにい?」
わたしの前で倒れるおにい。
怒りもなにもない。ただ呆然とした気持ちだけがわたしの中にあった。
「おにいっ!!!」
大声で叫ぶ。
「おにいダメっ! 絶対にダメっ! そんなの嫌だっ! ダメっ! ダメだからっ! 絶対に……絶対にっ!」
「あはははっ! あんたも同じところへ送ってやるからっ!」
楽しそうに笑う天菜の声。
それを聞いたわたしの怒りが頂点へと上る。
「て、てめえぇぇぇっ!!!」
半グレの誰かがそこへ落としたのだろう。
目の前に落ちていたバタフライナイフをわたしはほぼ無意識に掴み取り、怒りのままに天菜へ向かって投げた。
「んぎゃっ!?」
ナイフは天菜の左頬をざっくりと抉る。
その傷は遠目からも深く口内にまで至っているように見えた。
「ぐ、が……あっ、う……よ、よよよくもわたしの顔ぉぉぉっ!! 殺してやるっ!!! あがっ!?」
ふたたび拳銃の引き金を引こうとした天菜をルカシェンコが捕らえ、地面へと倒して押さえつけた。
「は、離せぇぇぇっ!! 殺してやるっ! あの女が……っ! 獅子真がいなければわたしはこんなことにならなかったっ! あいつが悪いっ! 全部あのクソ女が悪いんだからぁぁぁっ!!」
わたしのへ向かって恨み言を叫ぶ天菜。
あいつのことなどもうどうでもよかった。
「おにいっ! おにいっ!」
倒れているおにいの身体を抱く。
……そのときわたしの背を、おにいの手が抱いた。
「だ……大丈夫。死んでないから」
「えっ?」
身体を起こすと、ニッコリと微笑むおにいの顔がそこにあった。
「あ……ああっ! よかったっ!」
ふたたびおにいに抱きつく。
生きてた。よかった。
とにかくもうそれだけで満足だった。
「五貴っ! だ、大丈夫なのっ?」
ママが側へと来ておにいへ声をかける。
「あ、う、うん。これ……」
おにいは懐へ手を入れてなにかを取り出す。
それはわたしがあげた金色の印鑑であった。
「まさかこいつに命を救われるなんてな……」
「お、おにい……」
肌身離さず持っていてくれた。
わたしは思わず、印鑑を持つおにいの手を握り締める。
「お前に救われたな」
「ば、馬鹿っ。救ってくれたのはおにいでしょ。けどもうあんなこと絶対にしないでね。次したら許さないからっ」
「お前が危険な目に遭うような状況なんて俺も二度とごめんだよ」
と、おにいはわたしの頭を撫でる。
「うん」
わたしは身体から力を抜いてそのままおにいに抱かれる。
ずっとこうしていたい。
ずっとおにいの腕に抱かれていたい。
そんな思いでわたしはおにいの手に抱かれていた。
……
…………
……………………
―――久我島五貴視点―――
……あれから1日経ち、俺は全身の怪我で入院をしていた。
怪我を負った記憶は無い。
気が付いたときには兎極が心配そうに俺を見つめていたのだ。
「俺の身体になにが……」
そう呟いたとき、病室の扉が開く。
「おにいっ」
「兎極」
速足でベッドへ近づいて来た兎極が俺の手を握る。
「怪我は大丈夫? もう痛くない?」
「うん。もう大丈夫だよ」
温かい兎極の手を握り返して俺は微笑む。
「兎極、俺の身体になにがあったんだ?」
あの場にいた兎極ならば知っているだろう。
俺が記憶を失っていたあいだのことを。
「あ……うん」
兎極は表情を暗くして俯く。
「言い難いことか?」
「ううん。いつかは言わなきゃって思ってたから」
「いつか?」
「うん。おにいね、ずっと前にも同じ状態になったことがあるの」
「同じ状態って?」
「おにいはキレると脳のリミッターがはずれちゃうの。小学生のときもそれがあって、わたしをいじめてた男の子たちを叩きのめして病院送りにしちゃって……」
「病院送りにしたって、あれは兎極がやったんじゃ……」
「嘘吐いたの。わたしのためにおにいが怒られたら嫌だったから……」
「そうだったのか……」
俺は兎極が殴られているのを見てキレた。
そして脳のリミッターがはずれて、ミハイルを叩きのめしたってわけか。
「あんなことがまたあったらおにいが人を殺しちゃうかもしれない。おにいの身体が壊れちゃうかもしれない。だからわたし強くなったの。もう二度とおにいをあんな状態にさせないために……」
「兎極……」
いじめられっ子だった兎極が強くなったのにはそういう理由があったのか……。
「けどよかったよ」
「えっ?」
「兎極を守ることができてさ。兎極があのままひどい目に遭っていたらなんて想像もしたくないよ。俺がどうなろうと、兎極だけは絶対に守りたいから……」
「おにい……」
兎極がぎゅっと強く俺の手を握る。
「けどそんなのダメ。わたしのためにおにいがこんなことになるなんて……。前も今度もわたしのためにキレてこんなことになった。危険に巻き込んだのもわたしのせい。わたし……おにいの側にいないほうが……」
「兎極」
握る手を引いた俺は兎極の身体を抱く。
「お、おにい?」
「お前が側にいてくれると落ち着くって言ったろ。だからずっと側にいてほしい」
「けど……」
「離さないよ」
「……うん」
身体の温もりとともに俺へ安心が伝わる。
もう離れていたころには戻れない。
俺には兎極が必要だ。側にいてほしい。例えふたたび危険な目に遭うことがあっても、兎極と離れ離れになるのは嫌だった。
「わたしもおにいと一緒がいい。もっと強くなって、おにいがキレたりすることがないようにするからね」
「俺も強くなって、キレずにお前を守れるようにがんばるよ」
「うん」
ぎゅっと兎極が俺へ抱きつく。
柔らかい身体の感触が心地良く、蕩けてしまうような感覚だった。
「……おにいにお礼したいな」
「お礼?」
「命を助けてくれたお礼」
「そんな、お礼なんて別に……おおうっ!?」
なにを思ったか兎極は服の胸部分を開いて谷間を見せてくる。
「わたしのおっぱい好きにしていいから」
「そ、そんなこと……」
「これじゃ足りないなら……その、わたしの大事なものもあげていいよ」
「だ、大事なもの?」
「女の子の一番大切なもの」
「そ、それって……」
兎極は頬を桜色に染めて俺の目を見つめてくる。
その目を見つめ返した俺の顔は火が出るように熱くなった。
「おにい……」
「と、兎極……」
兎極が目を瞑る。
俺の顔は自然とそれに応えるように、兎極の顔へ近づいていき……。
「久我島せんぱーいっ!」
「うわぁっ!?」
病室の扉が開くとともに声が聞こえて俺はそのまま固まる。
目線だけを扉へ向けると、そこには覇緒ちゃんが立っていた。
「は、覇緒ちゃん」
「お見舞いに来ましたっすー。あ、姉御も来てたんすねー。なにしてんすか? 久我島先輩の目にゴミでも入ってたんすか?」
「覇緒、お前……」
「えっ?」
乙女だった兎極の表情が鬼へと変貌していく。
「クソみたいなタイミングで来るんじゃねーっ!」
「な、なんすか姉御ーっ!? お見舞いに来ただけじゃないっすかーっ!」
「うるせーっ! お前なんか帰れーっ!」
「嫌っすっ! 久我島先輩にお見舞いするっすっ!」
「空気読めこの馬鹿ーっ!」
やや涙声になりながら怒りを叫ぶ兎極。
そんな兎極の姿を見ながら、俺の胸はまだドキドキとしていた。




