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第55話 とうとうキレてしまったおにい(獅子真兎極視点)

 そちらへ顔を向けると……。


「こ、こいつなにを……」

「……邪魔だ。どけカス」

「なんだと? ごぼぉ!?」


 身体を縛る縄を引き千切ったおにいが半グレの男を殴り倒す。


「なにやってんだ押さえ……ごはっ!!?」

「ぼぅあっ!?」


 おにいは半グレ連中を殴り倒しながらこちらへ向かって歩いて来る。


 あのおとなしいおにいが……。


「まさか……」


 嫌な予感が頭を過ぎる。


 遠い昔の記憶。おとなしいおにいが一度だけ相手を叩きのめして病院送りにしてしまったあのときの記憶がわたしの頭を過ぎっていた。


「ちょっとなにやってんのっ! ゆ、幸隆っ! 五貴を押さえてっ!」

「わかってるよっ! 五貴止まれてめ……がっ!?」


 向かって行った難波幸隆の顎をおにいは片手で掴む。


「こ、このっ! 俺の顔に触るんじゃねーっ! おらっ!」


 難波幸隆はおにいを殴る蹴る。

 しかしおにいは動じない。まるで巨石のように不動のままだった。


「は、離しやがれっ! 五貴のくせにっ!」

「ああ? 気安く呼ぶんじゃねーよ粗チン野郎」

「んだと? てめえはがうぁっ!?」


 握られた顎がぐしゃりと潰れる。そして……。


「うごあっ!!? あが……っ」


 蹴り飛ばされた難波幸隆はコンクリートの壁へと激突し、破壊されて崩れた壁の残骸に身体を埋められた。


 とんでもない怪力。

 しかし蹴ったおにいの脚からも血が滴り落ちていた。


「ああ……待っていろ兎極。今おにいちゃんが助けてやるからな」


 おにいのやさしい声。けれどいつものおにいじゃない。

 昔に見たことがある、完全にキレているときの目をおにいはしていた。


「き、牙斗っ! あんたも止めなさいよっ!」

「て、てめえコラっ! 調子に乗ってんじゃねぇっ!」


 ボクサー崩れである半グレリーダーがおにいへ向かって殴りかかる。


「ひゃはっ」

「えっ? うぎゃああっ!!?」


 その腕を掴んで関節とは逆方向へ折り曲げてしまう。


「ひぇっひぇっ……いてーか? だったら麻酔をくれてやるぜ」

「えっ? ちょ……あぎゃっ!?」


 そして半グレリーダーの脳天に拳で打ち付けて地面へ沈めた。


「な、なんだあれ……?」

「なんかやべえぞ……」


 圧倒的なおにいの強さを恐れたのだろう。残りの半グレが後ずさる。


「あんたらなにビビってんだよっ!」


 そんな半グレ連中の前に天菜が立つ。


「こんな奴がちょっとキレたくらいでなに? わたしに使われてたヘタレ野郎じゃんっ! 五貴っ! あんた生意気にわたしの邪魔なんかして……んがっ!?」


 鼻息荒く喚く天菜の鼻をおにいは掴む。


「幸隆には感謝してるぜ。てめえみたいなゴミを引き取ってくれたんだからなぁ」

「はあ? 五貴なんかのくせによくもそんな口を……いぎゃっ!?」


 掴んが鼻をそのままゴキリと折り曲げてしまう。


「い、いだ……わ、わらしの鼻が……よ、よくも……」

「内面の醜さに合わせて整形してやったんだよ。もっとも、鼻を曲げたくらいじゃ、まだまだ内面の醜さには届かねーけどなぁ」

「い、五貴ぃぃっ!」

「てめえなんかが兎極と張ろうなんて身の程知らずにもほどがあんだよ。ゴミ女」

「あぐぁ!?」


 突き飛ばされた天菜は壁へと打ち付けられた。


 そしていよいよわたしの前へ来てミハイルをと対峙する。


「なんだてめえ?」

「兎極のおにいちゃんだ。よくも俺の義妹をかわいがってくれたな。礼をしてやる」

「けけ、今までとずいぶん態度がちげーじゃねーか。そっちが本性か? まあどっちでもいいけどよぉ」


 様子は落ち着いている。

 けれど怒りが全身に満ちているのがわたしにはわかった。


「お、おにい……」

「俺のせいでごめんな兎極。お前を痛い目に遭わせたこいつはすぐに殺すから」


 こちらを振り向いたおにいの表情に、一瞬だけいつもの笑顔が見えた。


「俺をすぐに殺すだと? ひゃははっ! やってみろってのっ!」


 勢いのあるミハイルの蹴りがおにいの側頭部を打つ。


「ん? な、なんこいつ? 動かねぇ……っ」


 しかしおにいはビクともしない。


「かわいい蹴りだな、おいこらっ!」

「うぎゃっ!?」


 側頭部を蹴った足の足首を掴み、そのまま握り潰す。


「い、あ、ああ……て、てめ……っ」

「まだだよ」

「んぎゃああっ!?」


 そのまま膝を殴りつけて脚を関節とは逆方向へ折り曲げる。


「もうこの脚は使い物にならねぇな。おらっ!」

「おごふぉぉっ!!?」


 潰れた足首を掴んだまま、ミハイルの腹へ蹴りを沈み込ませる。


「ごはっ!? おごっ! あがぁ……」


 何度も何度も蹴り込み、血反吐を吐いて前のめりになったミハイルの頭をおにいは両手で掴む。


「まだ倒れるにははえーよ。俺の大切な兎極を傷つけたてめえの罪は重い」

「て、め……んがぁっ!?」


 おにいはそのままミハイルの顔面に膝を叩き込む。


「がはっ! げはっ! べぎゃっ! ぶあっ!!? いべっ……がっ……」


 何度も何度も何度も何度も何度も膝を叩き込んでいく。


「よくも兎極を……っ! 殺してやる殺してやるぞっ! てめえこらっ!」


 やがてミハイルは呻き声すら上げなくなるも、おにいは膝蹴りをやめない。

 血を滴らせているのはミハイルだけじゃない。おにいの身体からも血が噴き出し、その血が染み込んで制服が真っ赤になっているのをわたしは見逃さなかった。


「おにいダメっ!」


 わたしはおにいの身体を背中から抱き締める。

 しかしおにいは止まらない。全身から血を噴き出しながらミハイルの顔面に膝蹴りを続けた。


「あ、あのガキ、一体どうなってんだ……? 普通のガキじゃねぇのか?」

「あれは……たぶん筋肉の使用を抑制する脳のリミッターが完全にはずれてるんだね」

「の、脳のリミッター?」

「筋肉を100%使ったら骨や筋肉が壊れる。だから筋肉を使い過ぎないように脳はリミッターを設けて筋肉の抑制をしてんだよ」

「それがはずれてるって……あのガキどうやってそんなこと……」

「知らないよ」


 うしろで連中が話している通り、おにいはキレると脳のリミッターがはずれてこうなってしまう。自分の身体が壊れるのもいとわずに戦って相手を殴り続けてしまう。


 おにいがこうならないようにわたしは……。


「おにいダメだってっ! おにいっ! このままだとおにいが死んじゃうっ! ダメっ! ダメだってっ! ダメ……う、うう……」


 涙を流しながらおにいを抱きすくめる。するとおにいの動きは止まって……。


「う……ぐ、あ……」


 おにいはその場に倒れる。


「おにいっ!」

「が、は……」


 ……大丈夫。ちゃんと呼吸はしてる。けど早く病院に連れて行かないと。


 ミハイルはもう動かない。

 呼吸はしていて死んではいないようだが、どう見ても戦える状態じゃなかった。


「……ミハイルは倒した。だからおにいは解放しろ」

「あたしはお前に倒せと言ったんだ。これじゃあ解放はできないな」

「てめえっ!」


 殴りかかろうとしたわたしの眉間に拳銃が突き付けられる。


「遊びは終わりだガキ。セルゲイもそろそろ……」

「――こちらはインターポールのルカシェンコだ」

「!?」


 そのとき、廃工場の外から拡声器を使った声が聞こえてきた。

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