第53話 騙されていた義妹(獅子真兎極視点)
……お弁当を食べ終わったわたしはおにいの席をチラと見る。
昼休みも残り10分くらい。しかしおにいは難波と教室を出て行ったまま、まだ帰って来なかった。
おにいなんて……。
わたしの気持ちをなにもわかってない。わたしが好きなのはおにいだけ。それなのにおにいは他の男とわたしを仲良くさせようとしたりして……。
そもそもパパが悪い。パパがスミノロフ君をこの学校に通わせたりしなければこんなことにはならなかった。
もしかしてパパ、わたしがおにいのことを好きって言ったから仲違いさせようとしてこんなことをしたんじゃ……。
もしそうだったら絶対に許さない。
ママに言ってパパなんか逮捕してもらう。
けど今はそれを考えるよりも、おにいとの仲直りだ。
このままなんて嫌だ。ちゃんと仲直りしないと……。
「獅子真」
「あ?」
不意に天菜が声をかけてきて睨む。
「ちょっと顔貸しなよ」
「てめえに貸す顔なんかねーよ。失せろ」
今は機嫌が悪い。こいつをからかうような気分じゃなかった。
しかし天菜は失せず、耳元に顔を近づけ、
「あんたの大切なおにいがどうなってもいいの?」
そう小声で囁く。
瞬間、あたしは天菜の胸ぐらを掴んでいた。
「おにいになにをした?」
「知りたかったらついて来な」
掴む手を払い除けて天菜は教室を出て行く。それを追いながらわたしは考える。
おにいを人質にとってわたしをボコるつもりか? しかしそれはまずい。自分がボコられるのはもちろん嫌だが、それ以上にまずいことが起こってしまうかもしれない。絶対ではない。しかしもしもそれが起きてしまったら……。
自分がボコられることよりも、わたしはそれが怖かった。
天菜について行きそのまま学校から出る。やがて行き着いた場所は、いつか来た廃工場であった。
「ふん。おにいを人質にして、半グレ連中とあたしをボコろうってわけか。てめえみたいなクズが考えそうなことだな」
「半分は正解。けど半分は間違い」
「……」
まだ他になにかあるのか?
ともかくなんとかおにいを助け出さなければ。
おにいさえ助け出せればあとはどうとでなる。
天菜に続いて廃工場に入ると、案の定、半グレ連中がわらわらといた。
「おにいはどこだ?」
「ああ。幸隆」
そう天菜が呼ぶと……
「ほら仲良しの義妹が来たぞ」
半グレ連中の背後から縄で縛られたおにいが現れ、ドンと突き飛ばされてそこへ倒れた。
「おにいっ!」
「と、兎極……。馬鹿、なんで来たんだっ?」
「来ないわけにいかないでしょっ!」
声を上げつつおにいへ近づこうとする。と、
「おっとそこまでだぜ」
難波幸隆が現れ、おにいの首にナイフを当てる。
「ちょっとでも妙な真似しやがったら、このナイフが大好きなおにいの首をぶっ刺すぜ」
「てめえにそんな度胸あんのかよ?」
「これでもヤクザの息子だぜ? 死体の処理だって組でやれる。舐めてると後悔するぜ」
「ちっ……」
こいつに人を殺す度胸があるとは思えない。しかしはったりでも、万が一を考えると動けなかった。
「俺はいいから逃げろ兎極っ!」
「そんなわけにいかないっ!」
おにいを見捨てて逃げるなんて、それだけはできなかった。
「逃げられちゃ困りますよ」
「お前……っ」
現れたもうひとりの男を睨む。
ヴォルフ・スミノロフ。
なぜこいつがここにいるのか……?
「なんであんたがここにいる?」
「君を待っていたんだ」
「ふざけるな」
こいつはパパのいとこの息子だ。
天菜たちに加担する理由などあるとは思えない。
「本当だよ。僕の……いや、俺の目的はてめえだからなぁ」
表情がガラリと変わる。
純朴そうな男だったのが、悪辣なチンピラのような顔になっていた。
「てめえ……本当にパパのいとこの息子か?」
「ちげーよ。俺の名前はミハイルだ。ヴォルフの野郎は今ごろロシアのどっかで震えてるだろうよ。ひゃはははっ!」
「どういうことだ?」
「つまりよぉ、最初から全部デタラメなんだよ。俺がヴォルフってのも、ヴォルフがロシアンマフィアの息子を殺したってのもなぁ」
「パパにいとこから連絡があったってのは?」
「ヴォルフを誘拐して親父を脅したんだよ。息子がマフィアに狙われてるからしばらく日本で面倒を見てくれるようセルゲイに話せってな」
「それで来たのがてめえってわけか?」
パパがヴォルフに会ったのは10年以上も前だ。人物が違っていても気付かないのはしかたなかった。
「ああ。こうしててめえを誘い出すためにな。まあ、こいつらのおかげでその手間は省けたけどな」
「……」
ミハイルの周囲で難波幸隆と天菜がニヤリと笑う。
「てめえ……あたしを誘き出してどうするつもりだ?」
「正確にはてめえが目的じゃねぇよ。てめえはエサだ。なあ姉さん」
「姉さん?」
背後に気配。振り返ると、金髪の女とおっさんがぞろぞろと背後に集団を引き連れて歩いて来ていた。
「てめえは……?」
「俺は幸隆の親父だよ。難波組の組長だ。そんでこっちが……」
「オリガだ。そいつの姉で、ロシアンマフィアプーリアのナンバー2」
そう言って女は葉巻の煙を吐く。
「あんたはエサだよ。セルゲイを誘き出すための」
「パパを?」
「セルゲイを始末して難波組と北極会で戦争をするんだよ」
「はっ、北極会は日本最大のヤクザ組織だぜ? チンカス以下のゴミクズヤクザ組織で勝てるわけねーだろ」
北極会の勢力はよく知っている。難波組もそれなりの勢力らしいが、北極会に喧嘩を売るなんてのは自殺行為に等しい。
「言ってくれるねお嬢ちゃん。まあそれは俺もわかってるぜ。だからここにいるオリガさんに手を貸してもらうってわけだ」
「……ロシアンマフィアと手を組んで戦争しようってわけか?」
「それは少し違うねぇ。あたしらは戦争の道具を格安で提供してやるだけだよ。その代わりにしのぎを少しばかりいただくのさ」
「北極会を良く思ってねぇ組にも根回しは済んでる。人数はちっと足りねえがこっちには道具があるからよぉ。頭を潰して一気に攻めれば勝てる戦争だぜ」
「……」
そんな都合の良い話があるか。このロシア野郎ども、難波組を北極会と戦争させて漁夫の利を狙おうって腹か。利用されやがってマヌケが。
しかしそれをわたしが言ったところで難波は信じないだろう。救えない馬鹿だ。
「今どき戦争なんて警察を舐めてんのか? 始めりゃすぐにてめえの手にワッパ回っておしめーだよ」
「俺の手にワッパが回る前に北極会の幹部連中は皆殺しにしてやるぜ。そのあと俺は死んだことにして裏から難波組を操る。完璧だろ?」
「んなことペラペラしゃべりやがってなにが完璧だ。それしゃべってる時点で計画は破綻してるじゃねーか」
「ことが終わったらお嬢ちゃんやそこの坊主は海外に売り払ってやるから安心しな」「はっ、そうかよ」
こいつの計画がうまくいくなんて思わない。しかしこの場から逃げ出すことが困難なのは間違いなかった。
「セルゲイを呼び出しなお嬢ちゃん」
「嫌だって言ったら?」
「そこの坊主の爪でも剥がすか? けっけっけっ」
「下衆が」
「なんとでもいいやがれ。ほら、セルゲイを呼びな」
「ちっ」
嫌だが、ここは従うしかない。
わたしはパパに電話をかけて状況を伝える。
「……呼んだぜ。せめておにいは解放しろ。無関係だ」
「解放するわけねぇだろ。俺らの計画を知っちまったんだからよぉ」
「てめえが勝手に話したんだろうが」
おにいさえ助けることができればここにいる連中、全員ボコ殴りにしてやれるんだけど……。
「いいよ」
「えっ?」
不意にオリガがそう言ってわたしは驚いた。




