第51話 おにいの行動に涙を見せる義妹
……車の中でとんでもない話を聞かされたのち、俺たちはセルゲイさんと別れて帰路についていた。
「おにいどうしたの? 顔が青いよ?」
「えっ? いや別に……なんでも」
ヴォルフがロシアンマフィアから命を狙われているという話を聞いてビビったというのもある。しかしそれ以上に『兎極ちゃんに手を出したら殺す』と、セルゲイさんにこっそり言われたことにゾッとしていた
「そう? あ、もしかしてパパがなんか言った? もしそうだったらママに言いつけてパパを叱ってもらっても……」
「い、いやそんなんじゃないからっ! 大丈夫っ! 大丈夫だからっ!」
母さんにセルゲイさんのことを言ったら、叱るだけじゃ絶対に済まないような気もするし……。
「ちょ、ちょっとお腹がすいて元気ないだけだからさっ」
「あ、そうだったんだ。じゃあちょっとなんか食べて行こうか?」
「う、うんそうだね。あ、ヴォルフも一緒に行く?」
「はい。もちろん、です」
「うん。じゃあ行こうか」
ニッコリ笑ったヴォルフを連れ、俺たちは駅前へと向かう。
……どこかで兎極とヴォルフを2人きりにしたほうがいいだろうか? 協力してほしいって頼まれたんだし、チャンスがあったらそうするしか……。
けどそれでいいのか? 本当に?
兎極が別の男と……。それを考えると胸がチクリと痛む。けど俺なんかよりも、やはりヴォルフのほうが兎極と似合う。兎極のことを想うなら、ヴォルフとくっつけてやることのほうが正しい。きっとそうするべきなのだ。
しかし気持ちは重たい。そんな心地のまま俺は歩き続けた。
やがて駅前にやってくると、
「あ、久我島先ぱーいっ! 姉御ーっ!」
声をかけられて振り返ると、そこには大きく手を振る覇緒ちゃんの姿があった。私服姿なので一度帰ってから駅前へ来たのだろう。
「どこ行くんすか?」
「そこのサイグリア。あんたも行く?」
「ゴチになりまっすっ! って、うぎゃーっ!」
覇緒ちゃんがヴォルフを見て叫び声を上げる。
「イケメンだーっ! 誰すかこのイケメンっ!? 紹介してくださいよーっ!」
「あんた成長しないねぇ」
ため息を吐く兎極の前で、覇緒ちゃんはキラキラした視線をヴォルフへ送っていた。
サイグリアに入ってテーブルにつく。
覇緒ちゃんは相変わらずたくさん頼んで食べていた。
「違うんすよ。イケメンは好きっすけど、イケメンだから良いってことはないんす。重要なのは中身っすよ。ね、久我島先輩?」
「えっ? まあ……そうかな」
向かいに座る覇緒ちゃんへ向かって俺は同意の言葉を口にする。
まあ幸隆の件があるし、少なくとも覇緒ちゃんの場合は中身をしっかりと見たほうがいいだろう。
「それでこちらのイケメンさんはどなたなんすか?」
「ああ。俺たちのクラスにロシアから転校してきたヴォルフ・スミノロフ君だよ」
「ヴォルフさんすかー。わたしは逸見覇緒っす。よろしくっすー」
「よろしく、です」
あいさつする覇緒ちゃんにヴォルフは微笑んであいさつを返す。
覇緒ちゃんも綺麗な子だし、なんか俺だけ場違いな感じが……。とはいえこのタイミングで俺だけ帰るのも変なのでどうしようもないが。
「あ、は、覇緒ちゃんは駅前になにか用事があったの?」
「ゲーセンっす。格闘ゲームやりにきたんすよー」
覇緒ちゃんはかなりコアなゲーマーだ。ネット対戦だけでなく、ゲームセンターへ行って対戦するのも好きなほどに。
「ネット対戦もいいっスけど、ゲーセンで誰かと対戦するのもいいんスよね。なんというか、空気感が好きっすっ」
「うん。けど覇緒ちゃんはかわいいから、ああいうところにひとりで行くとナンパとかされて大変なんじゃないかな?」
「か、かわいいって……はふぅ」
覇緒ちゃんは顔を赤くして俯く。
かわいいなんて言われ慣れているだろうから自然に言ってしまったが、俺が思っているほど慣れてはいなかったみたいだ。
「むー」
「えっ?」
隣から兎極に軽く脚を蹴られる。
なんか頬を膨らませてこちらを睨んでいるが、覇緒ちゃんにかわいいって言ったのがダメだったのかな? けど怒ることでもないような……。
「あ、で、でも本当にナンパが多くて困るんすよー。ゲームに集中できなくてー。あ、と、お、男の人が一緒なら安心なんすけど……」
上目づかいで覇緒ちゃんが俺をじっと見つめる。
一緒に行ってほしいってことかな? まあそれは構わないけど。
……このまま覇緒ちゃんと2人でゲーセンに行けば兎極とヴォルフを2人きりにできるか。頼まれたし、兎極のためにもそうするべきだよな。
「じゃ、じゃあ俺と一緒に行こうか?」
「本当すかっ? えへへ、嬉しいっすっ」
「あ、じゃあ食べ終わったし行こうか。兎極はヴォルフとゆっくりしてていいから」
「えっ? おにいが行くならわたしも行くよ」
「いやでも……」
「行くの。なにかわたしが一緒じゃダメな理由でもあるの?」
「いや無いけど……」
「じゃあ行こう」
兎極に腕を組まれた俺は引きづられるように店から出た。
……それから駅前のゲーセンに入って覇緒ちゃんのプレイを横から眺める。
さすが上手だな。なんかピアノで難しい曲を引くみたいな感じに指が滑らかに動いてレバーを操作している。なんと言うかプロっぽい指捌きだ。
まあプロにも勝っているほどの腕前だし、今さら驚くことでもないけど。
「やったーっ! 20連勝っ!」
「覇緒ちゃん上手だなぁ」
この筐体はネット対戦で全国の人と戦えるらしい。対人戦で20連勝もできるなんてさすがたいしたものである。
「久我島先輩もやりませんか?」
「いや、俺はいいよ。あんまりお金ないし。2人はどう?」
「わたしもあんまり得意じゃないかなー」
「僕も、ゲームそんなにできないです」
「そっか」
……しかしこのまま3人で覇緒ちゃんのプレイを見ているだけなのもなんだかな。
「覇緒ちゃんの側には俺がいるから2人はなにかゲームしてきたら?」
そうすれば兎極はヴォルフと2人きりに……。
「あ、じゃあ兎極さん、僕たちはそうしま……」
「嫌だ」
そう言って兎極は俺の腕をグッと掴む。
「で、でもここで見てるだけじゃつまらないだろ? だったら……」
「わたしはおにいと一緒ならそれだけで楽しいから気にしないで」
「あ、うん……」
……結局、兎極が俺から離れることはなく、3人で覇緒ちゃんのプレイをそのまま見続けた。
夜遅くなり、ゲーセンを出て駅前でヴォルフと別れた俺たちは覇緒ちゃんを家まで送って2人きりとなる。
「……ねえ」
それから2人で帰路についていると、不意に兎極が立ち止まって俺を見上げた。
「どうした?」
「うん。おにいさ、なんか今日、わたしとスミノロフ君を2人きりにしようとしてなかった?」
「えっ? い、いやその、そんなことは……」
「スミノロフ君に頼まれた? 2人きりにしてほしいって?」
「いや……」
「そうなんでしょ? そうでなかったらおにいがわたしとスミノロフ君を2人きりにしようだなんて思うはずないもんね」
「……」
……鋭い。いや、俺がわかりやすいのもあるか。
「どうしてそんなことしたの?」
「ヴォ、ヴォルフがその、兎極と2人きりになりたいって言うから……」
「おにいはわたしが他の男と2人きりになっても平気なんだ?」
「えっ? いやだって、ヴォルフのほうがイケメンで格好良いし、スポーツだってできる。俺なんかと一緒にいるよりは……」
「馬鹿っ!」
兎極は大声でそう叫ぶ。
「イケメンとかスポーツができるとか、わたしがおにいを好きなのはそんな浅い理由じゃないのっ! どうしてわかってくれないのっ! おにいはわたしの気持ちをっ!」
「お、俺はお前のことを想って……」
「想ってないっ! ぜんぜん想ってないっ! おにいの馬鹿―っ!!」
「あ……」
兎極は俺に背を向けて駆け去ってしまう。
「俺は……本当にお前のことを想って……」
……兎極は泣いていた。俺がちゃんとあいつのことを理解して想ってやれているなら、泣かせるなんてことはない。
想ってるなんて言葉だけだ。俺はあいつのことをなにも理解していない。理解しているつもりになっていただけだ……。
「あいつ、本当に俺のこと……」
謝らなければ。けどなんて謝ればいい? あいつが……兎極が考えていること。兎極が言ってほしいことは……。
俺にはそれがわかっている。わかっているけれど、それを兎極の目の前で言えるような自信が俺にはなかった。




