第38話 おにいは野球の天才
「えっ? 俺を野球部の助っ人に?」
兎極と一緒に昼飯を食べに中庭へ行こうと廊下へ出たとき、隣のクラスの生徒が俺に声をかけてきてそんなことを頼んできた。
「ああ。久我島君と小学校が同じだった奴に聞いてさ。なんかリトルリーグではすごかったんだって?」
「いやまあ……」
すごいかどうかはともかく、小学校まで野球はやっていた。父親が野球好きで、やらされていたというのが正しいかもしれないが。
「うち来週から地区大会なんだけど、怪我人が出ちゃって人数足りないんだ。ギリギリの人数でやってるから代わりがいなくてさ。先輩から誰か経験者を助っ人で連れて来いって命令されちゃって……」
「けど俺、野球やってたの小学生までだよ? ブランクあるし……」
「いや、守備で球を取れればいいから。どうせうち弱いからさ。とりあえず試合に出れればいいってことで」
「うーん……」
小学校を卒業すると同時にやめたからもう何年も野球をやっていない。しかしまあ人数合わせってだけなら……。
「おにいが助っ人したら甲子園で優勝しちゃうよ」
「えっ?」
隣で兎極がそんなことを言う。
「こ、甲子園? いや、ははは……」
野球部の男子はどう反応をしたらいいのか困った様子で苦笑いをしている。
この反応は当然だろう。
俺はもう野球をやっていないのだ。そんなのが弱小野球部に入って甲子園優勝なんて言われてもギャグにしか聞こえない。
「甲子園はともかく頼むよ。どうせ初戦で負けるから1日だけさ」
「ま、まあ1日だけなら……」
「よっしゃっ。じゃあ頼んだぜっ。試合の日に球場へ来てくれれば道具はこっちで用意するからさっ」
「うん……」
俺の返事を聞くと、野球部の男子は嬉しそうに立ち去って行く。
「野球か……」
別に好きでやっていたわけではない。父親に言われて小学校を卒業するまでという約束でやらされていただけだ。懐かしくはあるが、ふたたび始めたいと思ったことは無いし、今もやりたいとは考えていない。
「おにい、どうして野球やめちゃったの? 上手だったのに」
「えっ? ああ、まあ、父さんに言われてやらされていただけだしね。それと……」
「それと?」
「うん……えっと、別に野球好きじゃなかったしね」
「そうだったの? けどすごいがんばってたよね?」
「ま、まあやる以上はね」
「そっか。おにいは責任感強いからねー。チームに所属している以上は迷惑かけないようにがんばってたんだね」
「うん」
……本当のことを言えば、俺が活躍すると兎極が喜んでくれたからだ。しかしそれを言うと、自分のせいで野球をやめられなかったのだと兎極が気に病むかもしれないかと思って言わなかった。
……
…………
……………………
そして試合のある日曜日。
俺は地区大会が行われる球場へと兎極と一緒に来ていた。
「おー来てくれてありがとうな」
野球部の上級性が嬉しそうに俺の肩を叩く。
「えっと……そっちの子はもしかして彼女?」
「そうでーす」
「ち、違うだろ。応援に来てくれた友達ですよ」
友達というのも違うが、そう言うのが無難だろう。
「そうなのか? いや、すごくかわいい子と一緒だからビックリして……と、それよりもユニホームは用意したから着替えといてくれ。予備のやつだからピッタリではないかもしれないけど」
「ああ、いいですよ」
どうせ今日だけだし。
「じゃあわたしは観客席のほうへ行ってるからがんばってね」
「うん」
「おにいが凄すぎて、たぶんみんなびっくりしちゃうと思うよ」
そんな言葉を残して兎極は観客席へ向かって去って行く。
「ブランクあるんだからそんなにうまくできないって」
とはいえ、やる以上は迷惑をかけられない。
やれる限り精一杯がんばろうと思った。
やがて試合が始まり、俺は外野の守備を任される。
「飛んできたら捕ってくれればいいから。まあ捕れなくても気にすんな。どうせ負ける試合だしさ」
「相手の学校って強いんですか?」
「はは、去年の甲子園出場校だよ。くじ運悪いったらもう」
「あー」
なんかみんなやる気ないなぁと思ったらそういうことか。
うちは毎年、地区大会の1回戦で負けている弱小校だ。相手が去年の甲子園出場校では確かに勝てるはずはなかった。
「よーしまずは1回戦だ! 今年こそは甲子園優勝するぞーっ!」
「おーっ!」
向こうの野球部は円陣を組んでかけ声を上げている。対してこっちはみんなベンチでのんびりしていた。
これはコールド負けですぐに帰れそうだな。
迷惑かけたらどうしようと緊張していたが、これなら気楽にやれそうだった。
まずはうちが守備だ。
俺は指示通り外野のライトへ向かい、守備につく。
そして試合が始まり、ピッチャーが球を投げる。しかし初球を打たれてまずはヒット。次は四球。次はピッチャーゴロをエラーであっという間に満塁となった。
「はははっ! 相手は弱小なんだから手加減してやれよーっ!」
「次は荒島かー。あいつプロにも注目されてんだよなー。いきなり満塁ホームランで初回でとどめ刺しちまうかもなぁ」
「初戦でうちと当たるなんて運が悪いぜ」
観客席からそんな声が聞こえてくる。
プロにも注目されている人がいるのか。
そりゃすごい人なんだろうな。
「おにいがんばれーっ!」
兎極の声が聞こえてそちらへ向かって手を振る。と、
「お」
初球を打たれてボールが高くライト方向へ飛んでくる。
「お、入るんじゃないか」
「ギリギリ入りそうだな。いきなり満塁ホー……えっ?」
フェンスギリギリでスタンドに入りそうだったボール。しかしそのボールはフェンスギリギリのところで飛び上がった俺のグローブに収まった。
そしてそれを見た3塁ランナーがやや遅れてスタートする……が、
ズバァァァン!
ランナーがホームに入る寸前、俺の投げたボールがキャッチャーのミットへと収まる。そのままランナーにタッチしてアウトとなった。




