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第26話 覇緒のために動くおにい

 次の日の朝、俺はいつもと違う道を歩いて登校をしていた。

 この道は自分の通っていた中学校を通る。なぜ遠回りまでしてこの道を歩いて来たかと言うと……。


「あっ」


 目的の人物が歩いているのを見かけた俺は側へと駆け寄る。


「覇緒ちゃん」

「えっ? あ、久我島先輩?」


 きょとんとした表情がこちらを向く。


「どうしたんすか? 高校はこっちのほうじゃないっすよね? あ、もしかして寝惚けて中学校に行こうとしちゃったんすか? おっちょこちょいっすねー」

「い、いやそうじゃなくて……覇緒ちゃんその、昨日は大丈夫だった?」

「大丈夫だったってなにがっすか?」

「いや、あのあと幸隆と……どこに行ったのかなって」

「ホテル」

「ええっ!?」


 やっぱりあのとき止めるべきだった。しかしもう後戻りは……。


「に行こうって言われたんすけど、難波先輩おもしろいっすよね。男性と女性が一夜を過ごすのは結婚してからなのに変な冗談言うんすもん」

「えっ? あ……そう。冗談、ね」


 恐らく幸隆は本気で覇緒ちゃんをホテルに連れ込んでヤる気だったのだろう。しかし覇緒ちゃんは冗談と思ってホテルには行かなかったみたいだ。


 まあいくらあいつが女癖悪くても、無理やり連れ込むなんてリスクを負ったりはしないか。ともかく覇緒ちゃんが無事でよかった。


「あ、あのさ、幸隆の奴、覇緒ちゃんになにか聞いてこなかった? その、お父さんの会社のこととか……?」

「ああ。なんか難波先輩、建築業に興味があるみたいなんすよね。それで最近パパがどんな仕事をしてるか教えてほしいみたいなことは言ってたっすよ。会社の見学もさせてもらいたいって言ってたっすね」


 ……やっぱりか。


 幸隆が建築業に興味があるなんて聞いたことない。やはり兎極の言っていた通り、幸隆は父親に命令されて逸見建設の不祥事を覇緒ちゃんから聞き出すつもりなんだ。


「覇緒ちゃん、幸隆にはその……もう会わないほうがいいよ」

「えっ? どうしてっすか?」

「いやその、あいつって女癖悪いし、付き合っても浮気とかされるかもよ?」

「大丈夫っすっ! きっと今までは本気で愛せる女性がいなかっただけっすっ! わたしと付き合ったら浮気なんかしないっすよっ!」


 根拠の無い自信である。


「けど……」

「あ、もしかして久我島先輩、わたしに気があるっすか? けど久我島先輩は無理っすねー。イケメンじゃないですし」

「いや、そういうわけじゃ……」

「あ、そろそろ行かないと遅刻しちゃうっす。それじゃっ!」

「あ……」


 俺に背を向けて覇緒ちゃんは走り去ってしまう。


「覇緒ちゃん……」


 去って行く背中を見つめながら、俺は覇緒ちゃんを説得できなかったという無力感に苛まれていた。


 やっぱり本当のことを話したほうがよかったか? けど、好きな男に利用されているなんて知ったら覇緒ちゃんきっとすごく傷つくだろう。なんとか利用されているという事実を隠して説得をしたいが……。


「あんなこと言ったって無駄だよ」

「えっ? あ……」


 振り返ると、そこには兎極が立っていた。


「兎極、お前どうしてここに?」

「いつも会う横断歩道に時間通り来なかったからもしかしてって思ってさ」

「そうか……」

「女癖が悪いから近づくななんて言っても意味無いよ。女って好きな男がどんなに浮気しても自分だけは特別って思っちゃうからね」

「けど、じゃあどうしたら……? やっぱり本当のことを伝えるべきかな?」

「だから放っときなって。例え難波の真意を知ったって簡単には信じないよ。女ってのは好きな男を信じたい生き物だからね。難波が下衆クズだって教えてやっても信じやしないよ。だから今のあいつになにを言ったって無駄」

「……けど」


 このまま覇緒ちゃんが傷つけられるのを黙って見ていることしかできないのか? 本当に放って置いてもいいのか?


 兎極は放って置けと言うが、俺にはどうしても覇緒ちゃんをこのままにして置くという選択肢に納得ができなかった。



 ……


 …………


 ……………………



 ……その日の放課後、俺は兎極を校門で待たせ、校舎裏で幸隆と会っていた。


「なんだよこんなところに呼び出してよ?」

「ちょっとお前に話があるんだ」

「今さら天菜のことで恨み言でも言う気か?」

「天菜のことはもういいよ。あいつにもう未練は無いから」

「あんだけ好きだったのに冷たいな」


 それがわかっていてこいつは平気で天菜と付き合い始めた。天菜のことはもうどうでもいいが、こいつのしたこと自体は許せないことだ。

 ……しかし今日はそのことで呼び出したわけではない。


「話は覇緒ちゃんのことだよ。あの子には近づかないでほしい」

「は? 俺があの女と付き合うことにお前は関係無いだろ。まさか天菜がかわいそうだからとか言うんじゃないだろうな?」

「そうじゃない。お前、覇緒ちゃんを利用して逸見建設の不祥事を探る気だろう?」

「……」

「知っているんだ。お前の父親が難波組の組長で、難波組が御子柴建設の依頼で逸見建設の不祥事を探っていることは」

「誰に聞いたか知らねーけどよ。余計なことに首を突っ込むと痛い目を見るぜ。だいたいそれでもお前には関係ねーだろ。もしもあの女に気があるんだったら、不祥事を聞き出して1回ヤッたあとにお下がりとしてくれてやるから安心しろよな」

「お前……っ」


 覇緒ちゃんの気持ちを踏みにじって……っ。


 女の子の気持ちを踏みにじる最低な奴。だがここでそのことを怒っても意味は無い。俺がなにを言ってもこいつは女の子の扱いを改めたりはしないだろう。けど、覇緒ちゃんの心を踏みにじらせるわけにはいかなかった。


「……いや、そんなんじゃない。あの子はお前のことが本気で好きなんだ。お前と付き合えるかもって喜んでいるのに、実は利用されていただけなんて知ったらひどく傷つく。だから近づかないで……うっ」


 不意に俺の腹へ幸隆の拳が抉り込む。


「余計なことに首を突っ込むと痛い目を見るって警告したぜ。てめえには関係無いことなんだよ。関わってくるんじゃねぇ」

「は、覇緒ちゃんは大切な後輩だ。関係無くは……ぐあっ!?」


 顔面を殴られた俺は退いて膝をつく。


「うるせえよ。これ以上なんか言ってくるなら殺すぞてめえ……って」


 膝をついたまま、俺は幸隆に土下座をする。


「あの子には近づかないでくれ。頼む」

「はあ? 馬鹿じゃねーの? たかが後輩のためにそこまでするとかてめえ頭おかしいだろ。こんなことしたっててめえがあの女とヤレるわけでもねーのによ」

「あの子を傷つけたくないだけだ頼む」

「うるせえってんだよっ!」


 腹を蹴られる。それでも俺は頭を下げ続けた。


「た、頼む幸隆。覇緒ちゃんにはもう近づかないでくれ」

「黙れっ!」

「う、ぐ……頼む」

「黙れってのっ!」


 腹を蹴られようと頭や背中を踏まれようと俺は頭を上げない。馬鹿で無力な俺が覇緒ちゃんを救うためにできることなんてこれくらいしかないのだから……。


「た、頼む……幸隆。友人だったよしみで……頼む」

「うるせえっ! 友人? はっ、てめえを友人だなんて思ったことはねーよ。てめえみたいなダサい奴を連れていれば俺が映えるからな。てめえは俺という良い男を映えさせるライトみたいな役割として連れていただけだよ。勘違いすんな」

「うう……」

「いいか。てめえがどんなに頼んだって俺はあの女に近づくのはやめねーからな。別にあの女に本当のことを話したっていいぜ。あの女は俺にべた惚れだからな。適当に言い繕えばどうとでもなる」

「幸隆……頼む。俺のことはどんなに痛めつけてもいいから覇緒ちゃんには……」

「まだ言ってやがんのか、よっ!」

「ぐあっ!」


 天菜の憂さ晴らしなどで殴られ慣れているとはいえ、サッカー部の蹴りを何発も食らうのはさすがにきつい。けど……。


「ふん。そんなにあの女が好きなら、うちの組員に輪姦させてその光景を写真に撮ってお前に送ってやるぜ。それ見ててめえの息子でもしごいてろよ。ぎゃははっ!」

「こ、この……野郎っ!」


 いよいよ怒りで立ち上がった俺は、勢いのまま幸隆の顔面を殴り飛ばす。


「ぐあ……て、てめえ……」

「はあ……は、覇緒ちゃんにひどいことをするのは許さない」

「はっ、俺とやる気か? 俺はヤクザの息子だぜ? 喧嘩は得意だ。てめえなんか3秒でボコボコにしてやるぜ」


 そう言って幸隆が俺へ拳を振るった。……そのとき、


「やめてくださいっすっ!」


 俺たちを止める大声が耳に響いた。

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