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第191話 クソ女との決着

「あんたをタイマンで殺す。怖いなら逃げてもいいけど?」


 ニッと笑う天菜を前に、兎極の表情が怒りに歪む。


「落ち着け兎極。挑発だ。乗せられるなよ」

「わかってる。挑発だっていうのは。けど」

「えっ?」


 兎極は1歩、前へと歩み出る。


「売られた喧嘩は買う。チビ女も瑠奈も手を出すんじゃねーぞ」

「兎極っ!」


 1対1は無謀だ。

 瑠奈に任せるのが確実なのに……。


「兎極、今の天菜は通常の人間ではありません。どういうわけか……いえ、工藤天菜は博士の持っていた研究に関する知識の入ったチップを手に入れて、自らの手で超人間の身体を得たのでしょう。超人間となった工藤天菜にあなたひとりで勝てるかどうか……」

「超人間なら前にひとり倒してる」

「けど……」

「こいつはわたしが倒さなきゃいけない敵。タイマンで倒して終わらせなきゃいけない敵なんだよ。ここで逃げたら、わたしは一生、後悔する」


 そう瑠奈へ言う兎極の目は真剣だ。


 兎極は普通の女の子のようで、中には熱い漢の心を持っている。その心が売られた喧嘩を買わずにはいられないのだろう。


 兎極にとって天菜はある意味で終生のライバルだ。

 そういう理由でも、この喧嘩からは逃げられないのだと思う。


「ごめんおにい……」

「いや、お前の思った通りにするのがいい。俺は信じてるから」

「うん。ありはとう。プレゼント、楽しみにしてるね」

「ああ」


 俺は鞄の中のプレゼントを握り締めながら言った。


「イチャつくのは終わった? くくっ、まあ、そのプレゼントを受け取ることは無いだろうけどね」

「黙れ。おい、ここじゃ狭い。表に出やがれ」

「いいけど」


 嘲笑うように天菜はそう言う。


 それから俺たちはホテルの屋上へと出る。

 そこにあるヘリポートの上で、2人は対峙した。


「わたし、あんたを殺す気でやるから。手加減なんてしないほうがいいよ」

「舐めんな。てめえはもう人間じゃねーんだ。だったら害虫と変わらねぇ。本気でぶっ殺してやるから覚悟してかかって来やがれ」


 言葉を交わす2人のあいだに剣呑な空気が流れ始める。


 どちらが先に動く?


 俺は固唾を飲み込んでその瞬間を見守っていた。


「朱里香さん、こんなときになに食べてるんですか?」

「コンビニで買った肉まん。五貴君も食べる?」

「いや、いいです」


 こんなときに食欲なんて……。


「そんなに緊張しなくて大丈夫。デカチチは負けない」

「そ、そうでしょうか?」

「あたしの好きな五貴君が愛した女が、弱いはずはない」


 なんともよくわからない根拠であった。


「ん、動くか」

「えっ?」


 肉まんを飲み込んだ朱里香さんの目が鋭く細まる。瞬間、


「あっ!」


 2人同時に駆け出し、中心でお互いに顔面を打つ。


「う、ぐ……このクソ女っ」

「ク、クソ女はてめえだっ」


 そしてお互いに顔面を殴り合い始める。


「がは……ム、ムカつくっ! このクソチビ女っ!」

「がふ……こ、こっちは万倍てめえにムカついてんだよオラっ!」


 技も技術もなにも無い。

 まさに力だけのぶつけ合いがそこにあった。


「死ねっ!」

「てめえが死ねっ!」


 避けることも受けることもしない。

 ただ純粋にお互いの顔面を殴り合っていた。


「こ、これは……」


 豪十郎さんとナバロフの喧嘩と同じだ。

 あの喧嘩を見ていない2人が、なぜ同じやり方の喧嘩をしているのかわからなかった。


「ふーん。お互いに意地もぶつけ合ってるってことね」

「ど、どういうことですか?」


 アンマンをかじっている朱里香さんへ聞く。


「本当はめっちゃ痛いし効いてるけど、避けたらそれを認めることになるじゃん? それが嫌だからお前の拳なんて効かないんだよって意地を張って、全部受けてるの。お互いに」

「そんな……」


 豪十郎さんとナバロフの喧嘩とは少し違うような……。

 しかしこんなの女がする喧嘩じゃない。豪十郎さんやセルゲイさんのような喧嘩好きがやる喧嘩だ。


 お互いに本気で殴っているのだろう。

 どちらも顔はボコボコであった。


「も、もう……」


 やめろ。


 そう声を上げようとするも、口から言葉は出てこない。

 いや、例え出ても2人はやめないだろう。それがわかっているから、口から声は出てこないのだと思った。


「……い、いいかげんに倒れやがれ……はあ……はあ……クソ女」

「あ、あんたが死んだらね……」


 強さは互角か?

 けど天菜は超人間だ。どんなに動いても疲れることはほぼ無いだろうし、長引けば兎極が不利だろう。


「と、兎極っ!」


 そのとき俺は思わず兎極の名を叫ぶ。


「お、おにい……?」


 兎極がこちらを向く。

 それと同時に俺は鞄からプレゼントを取り出して見せる。それは指輪の入った小箱であった。


 俺はそれを兎極に向かって開き、


「俺と……俺と婚約してくれ兎極っ! 大人になったら結婚しようっ!」


 そう俺が叫んだ瞬間、兎極は目を見開いて乙女の表情へと戻る。


「お、おにい……」

「これが俺からお前に送る誕生日プレゼントだ。受け取ってくれるか?」

「う、うん。うん。もちろんだよ」


 ボコボコに腫れあがった兎極の頬を涙が伝う。


 なぜ俺がこのタイミングでプレゼントを渡したのか?

 それは兎極の負けたくないという思いを強めるためだった。


「はあ? 今それ言うの? けど残念。こいつはここで死ぬの。結婚できなくて残念でしたー。あーっはっはっはっ!」

「黙れ。死ぬのはてめえだ」

「いや、あんただよ。あんたはもう疲れ切っている。けど、超人間のわたしはまだまだ動ける。長引けば長引くほど……わたしが有利なんだよっ!」


 天菜の拳が兎極の顔面を叩く。


「兎極っ!」


 しかし殴られた兎極は笑っていた。

 効いていないなんてことは無いはずなのに……。


「なに笑ってんの? おかしくなった?」

「へへ……嬉しいからだよ」

「嬉しい?」

「大好きなおにいから結婚しようって言われたんだ。待ち望んでた言葉を言ってもらえたんだぜ? もう嬉しくて堪らねーよ」

「はっ! その結婚はできないけどねっ!」


 ふたたび天菜の拳が兎極へ向かう。


「いや、絶対にすんだよっ!」

「なっ!? があっ!?」


 しかしカウンターで兎極の拳が天菜の顔面へと入る。


「こ、この……」

「おにいと結婚するんだっ! てめえなんかに殺されて堪るかっ!」

「うがあっ! うるさいっ! あんたは絶対に殺すっ!」


 そう喚き声を上げた天菜の身体が変化していく。


「あ、あれは……」


 朱里香さんが倒したクロという超人間がした変化と同じだった。


「あははっ! じっくり殺してやろうと思ったけど、もう面倒だからねっ! 一気にぶっ殺して……がはっ!」


 しゃべる天菜の腹へ兎極の拳が沈み込む。


「今のあたしは無敵だ。てめえがどんな姿になっても関係ねーよ」

「こ、の……うがっ!?」


 顎を蹴り上げられた天菜が仰向けに倒れる。


「こ、こんな……こんなこと……」

「女にとって愛の力は最強だ。おにいと愛し合えなかったてめえが、おにいと愛し合ってるあたしに勝てる理由はねーんだよ」


 むちゃくちゃな理屈だが、確かに兎極は強くなっていた。


「な、なにが愛だ……。そんな……そんなわけわかんないものよりも、あんたを殺したいっていうわたしの執念のほうが強いんだよぉっ!!」


 起き上がった天菜が兎極へ襲い掛かる。


「愛がわかんねーから、てめえはあたしに勝てねーんだ」

「ぐぼはっ!?」


 兎極の飛び蹴りが天菜の顔面を打つ。

 そのまま天菜の身体は吹っ飛び……。


「あっ!?」


 屋上の外へ。

 そのまま落下すれば下にいる誰かが巻き込まれて……。


 そのとき瑠奈が飛ぶ。

 そして落下しそうな天菜を空の彼方へと蹴り飛ばした。


「あぶないところでしたね。海のほうへ蹴飛ばしたんで、たぶん大丈夫でしょう」

「あ、ああ」


 ものすごいことをやってのけたのに、瑠奈は涼しい顔をしていた。


 とにかく瑠奈のおかげで関係無い人が巻き込まれずに済んでよかった。


「あ、と、兎極っ」


 膝をついて荒く息を吐いている兎極へと駆け寄る。


「大丈夫か?」

「う、うん。おにい……」


 兎極が目を瞑る。

 察した俺は、そっと唇へキスをした。


「ん……ふ、はあ……おにい」

「ああ」


 俺は兎極の手を取り、指へ婚約の指輪を通す、


「えへへ。これでもうわたしはおにいのものだし、おにいもわたしのものだよ。浮気とかしちゃダメだからね」

「わかってるよ」


 そしてもう一度、唇へキスをする。


 予定とはだいぶ違ったが、俺は兎極にプレゼントを渡すことができた。

 将来を約束する大切なプレゼントを……。

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