第142話 ボスとともに現れた謎の少女
―――難波灯視点―――
「呆れ果てたかい? 構わないよ」
目的成就のためならばガキのひとり、娘のひとりでも平気で殺せる。
それくらいの覚悟が無ければ、あたしのような人間は大成できないのだ。
「じいちゃんは立派な男だったけど、人生唯一の汚点はあんたに情けをかけたことだ。あんたはあんまりにもひどい。外道の極みだよ」
「そんな女からあんたは生まれてきたんだ。恥じるなら死んでみな」
「あたしに生まれてきた意味があるとするならば、外道なあんたの邪魔をするためだ。これ以上、深く外道へ堕ちて世間の害となる前にあたしが始末をつけてやる」
「始末だって? はっ、ガキが親に向かって生意気なこと言うんじゃないよ。だったらやってみな。この状況でその始末ってやつをさ」
ナイフの刃はガキの首筋へと当たっている。
少しでも力を入れればガキは死ぬ。
あたしは本気だ。それは朱里夏もわかっているだろう。
さあどうする?
あたしは朱里夏の動向を注視した。
「あんたにほんのもう少しでも、母親らしさがあったら結果は変わっていたかも」
「今さらなにを言って……」
「うあっ!? ぎゃっ!?」
「えっ?」
背後に立っていた研究員の男が悲鳴を上げる。
振り返ると、男を倒してノートパソコンを奪った幸隆が立っていた。
「幸隆っ! あんた……っ」
「悪いな。あんたより姉ちゃんが怖いんだ」
幸隆はノートパソコンからUSBメモリーを抜き取り、それを朱里夏へと投げ渡す。
「これで許してくれよ姉ちゃん」
「今回ばかりは許す」
受け取った朱里夏はニヤリと笑ってあたしを見た。
「あんたがほしいのはこれだろ。子供を殺せばこれは握り潰す」
「朱里夏……っ」
「その子を解放するか、それともこれを握り潰されてすべてを無駄にするか。あんたの中で答えは決まっているんじゃないか?」
「ガキを解放すればそれをこっちへ渡すのかい?」
「解放しなければ握り潰す」
「握り潰したらあたしはガキを殺すよっ!」
「そうしたらあんたの命も無い」
「くっ……」
朱里夏は本気だろう。
やると言ったらやる。
お義父さんがそうだったように。
「……わかった」
あたしはガキから手を離す。
「よし。こっちへおいで。お父さんとお母さんも」
ガキと一緒に両親も朱里夏のほうへと駆けて行く。
「あ、ありがとうございます。あの、あなたはこのあいだ車からわたしたちを助けてくれたかたですよね?」
「あたしは正義の味方ハーティンです。その人とは関係ありません」
「そ、そうですか」
「ハーティンっ!」
「もう大丈夫」
そう言って朱里夏はガキの頭を撫でた。
「ガキは解放したんだ。それをこっちへ渡しな」
「ふん」
こちらへ投げ渡されたUSBメモリーを受け取る。
「今日はこれで帰る。けど、ママ……あんたへの始末は必ずつける」
「ちっ……」
朱里夏を放って置くのは危険だ。
しかし今はどうすることも……。
「……おっと、帰られては困りますよ」
「あっ」
廃工場の入り口から恰幅の良い男と、女が歩いて来る。
その姿を目にした瞬間、あたしは完全勝利を確信した。
―――久我島五貴視点―――
なんだあいつ?
2階に隠れて朱里夏さんの様子を見守っていた俺たちの眼下に、豪奢な服装のおっさんと俺たちくらいの女の子が現れた。
「ボ、ボスっ!」
灯さんがそう叫ぶ。
ボスとはあのおっさんだろう?
ならばあの女の子は一体……?
「なんか嫌な予感がしてきた」
「えっ?」
隣にいる兎極が眉間に皺を寄せて呟く。
「嫌な予感って? ボスだからってあのおっさんが朱里夏さんに勝てるとは思えないけど……」
「おっさんはともかく、あの女が気になる」
兎極はおっさんの隣にいる青い髪の女を睨んで言う。
確かに凍り付いたような無表情でやや不気味な雰囲気だ。
まるでよくできたマネキンのようであった。
「普通の女の子……じゃ、ないような気はするけど、朱里夏さんをどうにかできるって感じでもないし……」
「うん。それはそうなんだけど……」
あの女の子が危険であると兎極の勘が告げているのだろう。
根拠は無いが、その勘は正しいような気がした。
「どうする? 下へ行って加勢する?」
他の組員を引き連れた水木さんも加わり、難波組は中華マフィアたちを制圧していた。一応、幸隆もいるし数の上では有利だが……。
「不利な状況なのに、あのおっさんが妙に余裕そうなのが気になる。もう少しだけここで様子を窺おうか」
兎極がそう言ったので、俺は頷いた。
「灯さん、始末はここでつけましょう。禍根は残したくない」
「そ、そうしましょう」
灯さんがおっさんの側へと駆け寄る。
「ボ、ボス……」
優実ちゃんのお父さんがげっそりした表情でおっさんを見ていた。
「さて、私を裏切った君と君の家族はもちろん、余計なことを知った他の者らも死んでもらおうかな。私は綺麗好きでね。あとに禍根を残すような汚れが残っているのは嫌なんだよ」
「汚れが嫌いならあんたは自殺すべきだね」
朱里夏さんも兎極と同じく、なにかしらの危険を感じ取っているかもしれない。しかしそんな様子は微塵も出さず、おっさんへ向かって言葉を吐いていた。
「威勢の良いお嬢さんだ。君の娘なんだろう? 殺しても構わないのかい?」
「裏の世界に親も子もありませんよ。敵になれば命だって奪い合う。あの子もそれを承知でここにいるんですよ」
「その通り」
と、朱里夏さんは平静な声音で言う。
なんとも辛い関係だ。親子なのにこれでいいのかと思うが、完全に敵として対峙している2人を俺がどうにかできるとは思えなかった。
「あんたは母親だ、けど、だからこそ外道な振る舞いが尚更に許せない。娘として、外道なあんたを始末する義務がある」
「ふん。やってみなよ。けど、あんたはここで終わりだよ」
「そっちは3人。こっちはあたしを含めて20人くらいいる。そっちが兵隊を隠してでもいないかぎり、有利なのはこっち」
そうだ。あのボスが余裕そうなのは仲間をたくさん連れて来たからじゃないかと、俺はそれを懸念していた。
「日本の警察が私の入国を知ってマークしてるんだ。なんとか撒いてここへ来たから、仲間をぞろぞろ連れて来る余裕なんかなかったよ」
「それにしては余裕そうだ」
「ああ。こっちにはこいつがいるからね」
ボスが隣に立っている女の子へ目をやる。
謎の女の子はなにも言わず、無言で前へと進み出た。




