第128話 大島真仁に覚悟を与えたおにい
―――セルゲイ・ストロホフ視点―――
「し、真仁っ! お前なにをっ!?」
「親父……」
真仁は腹にドスを刺しつつも、呻き声ひとつ上げずまっすぐに大島の目を見据えていた。
「い、引退せえ親父」
「な、なに?」
「親父が引退せえへんのなら、僕はこのまま腹を掻っ捌いて死ぬ」
「待てっ! お前なんでそんな……」
「こ、このまま親父が引退せえへんかったら戦争や。戦争を回避するために僕ができること……。それは親父に覚悟を見せることや。僕がどれくらい本気かを見せてやらんと、親父は僕の言葉なんて聞いてくれへんやろ」
「し、真仁……」
……こいつは本気だろう。この場で大島が引退しなければ、本気で腹を掻っ捌いて自害する気だ。それはこの真剣な眼を見れば明らかであった。
「ど、どうなんや親父? 引退するんか? せえへんのか?」
「お、俺は……。しかし俺が引退しても後継者が……」
「後継者なら立派なのがいるじゃねぇか?」
「えっ?」
「そこによ」
俺が見ていたのは真仁だ。
「い、いやしかし真仁はまだ高校生や。あとを継がせるには早すぎる」
「こいつが立派に成人するまでは俺が後見人になってやる。しかしあんたが引退しないなら、こいつがここで死んで俺と戦争だ。こいつはあんたを説得するために男を見せている。だったらあんたも、覚悟を決めて男を見せるべきじゃねぇのか?」
「……」
俺と真仁に見つめられて、大島は苦しいような表情に顔を固める。
それからどれくらいの時間が流れたか? 実際は2分も経っていないだろう。しかしえらく長く感じたその時間を経て、大島はようやく口を開く。
「……わかった。俺は引退する」
「お、親父……」
大島の引退宣言を聞いて真仁はようやくホッとしたような表情を見せた。
「あとの話は俺たちでやる。おい沼倉、救急車を呼んでやれ」
「はい」
沼倉に指示を出したあと、俺は苦しそうな真仁へ目をやる。
以前に会ったときは親父に言いなりのおぼっちゃんという雰囲気であった。それが数か月で一体どうしてここまで大きな男になったのか?
自分が留置場にいるあいだ、真仁を成長させるなにか衝撃的な出来事があったことには違いない。それがなんなのか、俺は知りたかった。
―――久我島五貴視点―――
「お、大島っ!」
大島が自分の腹をドスで刺した。
そんな電話をセルゲイさんからもらった俺と兎極はタクシーへ飛び乗って病院へ行き、大島が入院している病室へと駆け込んだ。
「やあ五貴君」
意外にも大島は元気そうで、朗らかな笑みを俺たちへ向けてきた。
セルゲイさんと大島の父親、あとは妹もおり、ベッドの傍らに座っていた。
「お、大島……大丈夫なのか?」
「ああ。そんなに深くは刺さへんかったからね。この通りさ」
「そうか……」
とにかく無事でよかったと俺はホッとする。
「けど、どうしてドスで自分の腹をなんて……」
「はは、ある意味、君のせいかな」
「えっ? お、俺の……?」
ドスで自分の腹を刺すきっかけを俺が作ってしまった?
まさかそんなと、俺はやや慌てた。
「僕は親父の説得なんて絶対にできないと思っていた。けど君は絶対に勝てないはずなのに、喧嘩で僕を倒した。背負っているものの重さで僕に勝ったんや。だったら僕も、大きなものを背負えば不可能を可能にできるかもって思ってね」
「それで……」
「ああ。僕は君に模試で負けたけど、頼みを拒否した。その上、喧嘩でも負けて頼みを聞けなかったら、僕は男として完全に死んでしまう。だから君の頼みは絶対に叶える気だった。命を懸けてでも」
しかしまさか自分の腹をドスで刺すなんて……。
確かに親父さんを説得するよう頼みはしたが、ここまでのことをするとはまったく想像できなかった。
「お前はすごい男だよ」
「君ほどやない。僕は君を男として尊敬している。兎極さんほどの女性が惚れるのもわからなくはないよ」
「そ、そんな尊敬だなんて大袈裟な……」
「そう。おにいはすごい男なの」
と、兎極が不意に俺の腕へと抱きつく。
「お腹を刺したって聞いたときは驚いたけど、おにいだって本気になればそれくらい簡単にできるんだからね。ね、おにい?」
「えっ? い、いやそんなこと……」
「そないなことないっ!」
そのとき今まで黙ったいた大島の妹が声を上げた。
「ドスを腹に刺しておとうちゃんを説得なんて、にいちゃんだからできたことやっ! にいちゃんだからできたことなんやっ! そいつにできるわけあらへんっ! にいちゃんこそが日本一の男なんやっ!」
「んだと? 日本一の男……いや、おにいは世界一の男だっ!」
「ちゃうっ! うちのにいちゃんが世界一の男なんやっ!」
「この……っ」
「兎極」
俺は勢い良く言い返しそうな兎極を止める。
「実際、俺に大島みたいなことはできないよ。彼は立派な男だと思う。俺だって負けるつもりはない。それでいいじゃないか」
「おにいがそう言うなら……」
「うん」
兎極がおとなしく引き下がると、大島も妹を宥めておとなしくさせていた。
「話は終わったか?」
と、俺と大島の話が終わったのは見計らってか、セルゲイさんが声をかけてくる。
「あ、はい」
「そうか」
今回はかなり出しゃばってしまった。父さんからも北極会には関わるなと言われていたし、その話はセルゲイさんも聞いているだろう。
怒られるかも。
無難にそう思った。
「五貴、お前を北極会に関わらせるなって話は前に士郎と柚樹が来たときに言われたよ。だから今回のことはお前を叱らなくちゃならねーんだと思う。けどよ」
と、セルゲイさんは立ち上がり、俺の手を取って握る。
「今回はお前がいなかったら大変なことになっていた。だからまずは礼を言わせてくれ。ありがとう」
「あ、いやその、俺は自分にできることをしただけですから……」
「けどもう会のことには関わるな。お前たちが工藤や鳴海に狙われて危険な目に遭ったのは知っている。会に関わるのはお前たちにとって危険だ」
「は、はい」
「兎極、お前ももう俺と関わるのはやめろ。俺もお前には会わないようにする」
「えっ? でもパパ……」
「いいな?」
「うん……」
兎極には甘いセルゲイさんの様子がいつもと違う。
今日は厳しく接しており、すごく父親らしい雰囲気であった。
「よし。じゃあもう帰れ。タクシー代と、あとこれでなんかうまいもんでも食え」
「あ、はい」
ぶっとい財布を渡され、それを受け取る。
こんなにいらないと言っても無理に渡してくるだろう。
ヤクザとはそういうものらしいのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺からも礼を言いたい」
そう言って大島の親父が立ち上がって俺へと頭を下げる。
「五貴君やったか。君が真仁を男にしてくれへんかったら、俺は引退なんてできんかった。戦争を回避できたのは君のおかげや。ほんまおおきにや」
「い、いえ。俺はきっかけを作っただけで……」
「これ、少ないけど持って行ってくれ」
と、またぶっとい財布を渡された……。




