第二十一話 みなもが負った傷
「――ぅっ……」
身体を駆け巡る激しい鈍痛に、宗士郎は重い目蓋を開いた。
半分ほどの視界に映るのは気持ちのいい青空。降り注ぐ日光にじりじりと肌を焼かれ、身体のあちこちから流れ落ちる汗が気休め程度に身体を冷やす。
「重傷者を優先して病院へ! 軽傷者は学園の設備で手当てを行って下さい!」
暑さと痛みにその身を焦がしていると、急に日差しが何かで遮られて影ができた。その後、身体の周りにドッチボール大の氷塊が複数並べられる。
「……これは」
「宗士郎君、目が覚めましたか」
「凛、さん…………」
日差しを遮る何かを潜り、汗一つかいていない教師の凛が顔を覗かせる。そこでようやく日光を閉ざしていたものが黒い傘だという事を認識する。
「いま、どういう……状況なんだ?」
「それは私が聞きたい、と言いたい所ですが。この惨状を見れば、幾分かは事情を推測できますね。といっても、自衛隊が生徒や大人達に向かって銃を乱射した、という事ぐらいしか判りませんが」
「……思い出した、確か俺はそれを止めようとして…………そうだ! あいつは!? 魔人族のアルバラスは何処に――痛っ!?」
「落ち着いて下さい、宗士郎君」
アルバラスの所在を問い詰めようとして起き上るも、身体に走った激痛に顔を歪める宗士郎。凛が情報をもたらした事で、記憶の断片から意識を失う前の出来事を全て思い出す事ができた。
「敵はいません、安心して下さい」
「そ、そうか…………それに、操られた自衛隊の人達はどうなったんだ?」
「操られた? よくは判りませんが、残った隊員達は昏倒して気絶したままです。首元の芽? のようなものは放置してますが」
「くそっ……」
そう小さく吐き捨てると宗士郎がゆっくりと身体を起こし、立ち上がる。
「なにを……?」
「決まってる。あれは蜂種が開花したものだと、奴は言っていた。それによって操っているとも。だから早くそれを斬り落とさないと、また操られた隊員が人を襲う」
体力は限界だが、クオリアはまだ有り余っている。異能で創生した刀で芽を斬り落とす事くらいはできる。宗士郎は気絶している隊員達の前に立った。
「(アルバラスめ……自衛隊全員に種を仕込まず、数人正気でいさせやがって……仲間のかたき討ちとでも言うのか……! 胸糞悪いッ)」
死亡した隊員は数名。生き残っている者は全て『蜂種』を植え付けられた者達だ。全員を操らず、あえて正気の者を残しておく事で恐怖を味合わせようという魂胆だったのかもしれない。これでもし、操られた者が仲間を殺した時の記憶を保持していた場合、正気に戻った際にかなりのショックを受けるに違いない。
これ程卑劣な事をする奴だ。有り得ない事ではない。
苛立つ宗士郎は刀剣召喚を発現し、刀を引き抜く。
「待って下さい。芽を排除して、彼等にダメージがないとは限りません」
「それでも不安要素は刈り取っておくべきだ。俺の行動の優先順位が大切な仲間や家族が一番だって知ってるだろ。危険に晒される前に斬る」
そう言って凛の制止を無視し、一人の自衛隊員の前に立つとそのまま屈み、隊員をうつ伏せの状態にもっていく。露わになった『蜂種の芽』を前にして、宗士郎は刀を振りかざす。
――が。
「いくら宗士郎君といえども、危険性を蔑ろにして事を進めるのは感心できません。剣を引いて下さい」
背後から身体はおろか、思考までもが凍てつきそうな程の殺気を当てられた。同門の者同士、生徒と教師という立場をかなぐり捨てた凛に、宗士郎はようやく自分がかなり焦っていた事を自覚し、刀を虚空へと消した。
「……宗士郎君」
「ごめん、凛さんにとって自衛隊の人は大切な仲間だよな。魔人族の事もあって焦り過ぎた。対処は凛さんに任せる」
「いえ、感謝します。彼等は軍に連絡して、拘束したのち隔離しておきます…………っ」
張り詰めていた殺気を収め、安心した凛の表情が柔らかくなる。同胞を亡くしたというのに平静を装ってはいるが、震える手や唇を嚙んでいる動作から本当は哀しみや怒りを押し殺しているのが見て取れた。
――しかし、もう一人。
この場で溜息を吐いて安心した者がいた。
『――危なかったわぁ……!? 蜂種の芽が破壊されれば、操っている私にも反動が来るところだった』
ある自衛隊員の一人のうなじ部分。蜂種の芽から現状を把握していた魔人族のアルバラスは、ほうっと息を吐いて安堵していた。
『まさか逃げた私が芽を通して、情報を得ようとしているなんて誰が想像できるかしら! いいえ、出来ないわぁ! 傷が完全に癒えるまで二日ほど。その間は好きにさせてあげるわよぉ』
アルバラスの本体である蜂の群体は現在、傷を癒しながら空中遊覧中である。部下の敵討ちをしようと画策していたが、一人の少女が放った聖なる光壁によって邪魔されてしまった。
『それにしても、あの女の子の力は中々のものねぇん。今はどうしてるかしらぁ~?』
その一方で、アルバラスは邪魔をした少女に怒りを抱きつつも、少女が放った力に興味を示していた。芽を通してならば、全方位視認できる自らの力を使って辺りに視線を巡らせた。
「それで、柚子葉や楓さん……他の奴等は今どこに?」
「皆なら今は軽く治療を受けて、校舎の影で休んでますよ」
「そっちまで行きたいんだけど、ちょっと手を貸してくれると嬉しい」
「ふふ、わかりました」
凛に他の仲間の居場所を聞いた宗士郎は凛に肩を借りて、文字通り足を引きずりながらそこまで出向く。
「和心は今どこに?」
「彼女でしたら、今は治療に励んでます。ガードも付けてますので、安心してください」
周囲に和心がいない事が気になり尋ねたが、どうやら杞憂のようだ。苦労して仲間の元へ着くと凛に礼を言って、宗士郎はふらふらと危なげに友人達の側へ腰を下ろした。
「! 宗士郎、やっと起きたんだな」
「取り敢えず、お疲れさんとだけ言っておくぜぇ」
「お前達もな…………」
出迎えてくれたのは響と亮。
身体に巻かれている包帯に染みた血が、痛々しさを物語っているようだ。
次に宗士郎は楓と柚子葉に視線を向けた。
「二人も大事なさそう、でもないな」
「近くにいた楓さんが時間を戻して直してくれたけど……っ、痛みは残ってるから」
「皆も時を戻してあげたかったけど、柚子葉が精一杯だったのよ」
「……怪我がなくなって良かった」
二人の傷はなく、楓の異能――万物掌握で傷を負った身体の時間を巻き戻していた。ただ、異能特性として『対象者は時間を操作された事を認識できない』ので、痛みは付き纏っているようだ。
幼馴染と妹の次に、宗士郎は和人達へと視線を移した。
「宗士郎君、ごめん……僕達が異変に気付いていれば、自衛隊――いや、魔人族の攻撃を防げたかもしれないのに」
「そいつはぁ仕方ねぇ。あれは予想外過ぎた、だろ? 宗士郎」
「ああ。和人達が気に病む必要はない」
和人は軽傷で済んでいるようだが、事前に先の騒ぎを防ぐ事ができず悔やんでいる。続けて、学園を出発する前にはいなかった面子と後輩達にも目を向ける。
「で、後輩組と夢見、田村達は、怪我はなさそうだな」
「あたしが瞬時にバリケード作って守ったので、当然っすよ!」
「菅野さんがいなかったら、今頃蜂の巣になってたよ」
「ホントに助かった! ホントありがと!」
「あり……がとう、菅野さん」
「なんのなんのっす~!」
被害が出た原因は、アルバラスの卑劣な罠による不意打ちの部分も大きいが、一番は敵が『魔物』ではなく『人間』であった事だろう。生徒も大人も、自衛隊が自分に牙を剝くなど想像できない。異能持ちのみなもや亮などの例外を除いて、銃口に晒された者はただの的でしかないのだ。
つまり、いくら異能力者でも限界はあるという事だ。
その点、芹香の物質可変によるイメージ力に左右される物質創造能力は、まさに反則技に等しい。彼女がいなければ、他の仲間は今頃無惨な姿となっていただろう。
「(良かった……トラウマが生じた奴はいなさそうだ)」
これまでの彼等の様子から察するに、アルバラスが引き起こしたスプラッター映画顔負けの殺戮ショーを見て、トラウマになった者はこの場にはいないようだ。
普通にその現場を見ていない者も存在しそうだが、死体などは凛が早急に処分していたようで、その場にいた者以外はショックで嘔吐する、といった事にはならなかったようで宗士郎は安心した。
「…………だめ、ダメだよ……人が死ぬ、なんで私……力があるのに」
「桜庭…………」
だが、今の今まで触れてこなかったみなもはどうだろうか?
彼女は魔物闘技場で、毒島 羚児の四肢が斬り落とされる所を生で見ている。その際、胃の中の物をぶちまけていた。そんなみなもがアルバラスの言うショーを目の当たりにして、ショックを受けない筈がない。
それだけでなく、みなもの近くにいた宗士郎、柚子葉、楓、響、亮、そしてアルバラスは神敵拒絶で吹き飛び怪我をしている。皆は気にしていないだろうが、みなもは自らの所為であると自分を責めているだろう。
結果的にアルバラスを退ける事には成功した。その成果に誇れこそすれ、嘆く必要など何処にもない。
「楓さん、桜庭の家族は無事なんだよな?」
「ええ。流石にかすり傷とかは避けられなかったようだけどね。でも、今問題なのは家族の安否とかじゃなくて、みなもが人の死を見てしまった事じゃないかしら?」
「だよな…………」
『人が死ぬ瞬間』というものをみなもはその目で直接見た事がない。
宗士郎の手によって、牧原 静流が死ぬ所は見たが、それはみなもが静流を『悪』だと認識していたので、ショックはほぼ無かったと言っていい。
この例外を除いて、みなもは今日初めて『人の死』を目の当たりにした。大切な人だけでなく、他人をも大事と考えるみなもにとって、人が傷付き散っていく光景はさぞ心抉られる思いを抱いた事だろう。
「すまない、ちょっと桜庭と席を外す」
地べたに座る皆に断りを入れて、鬱屈としているみなもの手を引く。
「……みんな、傷付く……だめ、守らないと……」
「重症だな。これは…………」
ブツブツと。
自分の殻に籠ったみなもは宗士郎に手を引かれた事にすら気付かない。既に起きてしまった現実を受け入れようともしない態度に嘆息しながらみなもを立ち上がらせ、宗士郎はある場所へとゆっくり手を引いて歩いていく。
そして、日陰があって現状が把握できる場所に着くと、宗士郎はひとまずみなもの朦朧している意識を覚醒させる為、みなもの左耳にふぅー……と息を吹きかけた。
「ひゃぁう!?」
「どうだ、闇から解放された気分は」
「危うく新世界の扉を拓きそうになったよ!?」
「その反応、それでこそ残念娘だ」
「あっ…………」
かなりくすぐったかったのか、瞬く間に正気に戻ったみなもはその場で飛び跳ねた。だが、いつものやり取りを繰り広げた後、みなもの表情に再び暗い影が差す。
少し面倒だと思いつつも宗士郎はみなもの横に並んで語り掛け始めた。
「……人が大勢傷付いたな」
「うん…………なんの罪もない人がいっぱい……」
みなものが自身の胸に手を当てる。その横顔は心から他人の事を思いやり、憂いているとわかるくらいに悲壮なものだ。
「私には力があるのに……守れなかった」
「それは違う。お前が来た時、既に敵の策略が始まっていた。お前が気負う必要なんて――」
「違わないよ!!」
間に合わなかった事実を否定したい、信じたくないとばかりに。
宗士郎の言葉に被せて、みなもが声を荒げた。
「……違わないよ……あの時、私が学園にいれば異能で助ける事ができた筈なんだっ……みんなが傷付く事なんて、なかった筈なんだよ……!」
「桜庭……」
違った。
既に起きてしまった現実を受け入れていない訳ではなかった。現実逃避をしておらず、むしろ理解しているからこそ苦しみ、悲しみ、自分を責めているのだ。
ならば、いま現在進行形の現実を教えてやる事こそ、今の宗士郎にできる事だろう。
「確かに、あの場にいたなら自衛隊員の死を防げないにしても、あの場にいた人が傷付くことなんてなかったのかもしれない。でもな、桜庭……。失った命だけに目を囚われず、もっと周りをみたらどうだ?」
「…………え?」
そう言って宗士郎はみなも肩を叩き、周囲に目を向けるように促した。
そこには、傷付きながらも生き長らえた生徒や大人達が『命』を拾えた嬉しさに、喜びを分かち合っている姿があった。そこには当然、みなもの両親――淳之介や美千留の姿もあった。
「過ぎ去ってしまった事に仮定の話を持ち込んでも仕方ない。お前が悲しみ後悔するのも構わない。だけど、お前が救った命も少なからずいるんだよ」
「私が……救った、命……?」
「お前の行動があの笑顔を生んだんだ。お前が動かなければ、もっと被害が出ていたかもしれないんだよ。桜庭はもっと、得たものに目を向けて喜んでもいいんだ」
「そう、なの……良いの? 私が喜んでも…………」
「良いんだ」
宗士郎はみなのの頭をポンと撫でて肯定した。
命の灯火は失えば、再び戻る事はない。その概念は永久不変。それこそ、神の力なくしては覆らない絶対の理。
何事も前を向いて考えなければ、過去に囚われ苦しむだけの亡者と成り果ててしまう。宗士郎は大切な仲間をそんな者にさせたくはなかった。
「来い」
「……あっ……」
だからこそ宗士郎は、より現実を見させる為にみなもの手を引っ張った。
そして、あの人物達の元へと足を進めた。
「こんにちは。淳之介さん、美千留さん」
「あら、貴方は……それにみなもまで」
「うぅん? なんだ君か……みなもちゃんと一緒に何のヨウ!?」
向かった先にいたのは、みなもの両親だ。
美千留が娘の手を引っ張る宗士郎に目を向け、目ざとい淳之介がみなもの手を握って引いている宗士郎に動転した。
その勢いで淳之介が宗士郎とみなもの手の繋がりを手刀で切り、宗士郎と肩を組んで話しかけてくる。
「マイエンジェルから手を離せ!? キサマァ、触れるなと言った筈だが?」
「緊急事態なので許してほしい所です。今、桜庭は深く傷付いてます。それを癒せるのは、あなた達家族しかいない。桜庭をお願いします」
「なに?」
淳之介がみなもの顔を見る。表情を見ただけで得心がいったのか、彼は小さく「わかった」とだけ口にして離れた。
「ほら、桜庭。家族に甘えてこいっ」
「わっ!?」
宗士郎はみなもの背中をトンと押してやる。自分が救った大切な家族にも目を向けろ、という気持ちも込めて。
「そんでもって、心の内を聞いてもらえ。な?」
「鳴神、くん……うん……うん!」
一瞬驚くも宗士郎の言葉を聞いて、家族とふれ合いたいという気持ちが芽生えたのか、みなもは目尻に涙を溜めて淳之介と美千留の――家族の胸へと飛び込んだ。
「みなも……! フフ、どうしたの?」
「ほら、もっと甘えてもいいんだよ。みなもちゃん……!」
「わたしっ……私……! お母さんとお父さんが無事で良かったよ……っ! ううっ……わぁぁぁ~ッ」
家族の温もりに触れ、涙を零すみなも。
その温かな光景に良かったと思う反面、なぜか宗士郎の胸はチクリと痛んだ。
『――なぁるほどねぇん』
自衛隊員のうなじから生えた蜂種の芽を通して見ていた光景に、アルバラスは不敵に笑った。
『あの子の力、それに心の闇…………しかと見たわ。与しやすそうであり、それでいて能力も申し分ない。私が完全復活した際、良い依り代になってくれそうだわぁ……くふふ』
その呟きは学園にいる、どの人間にも伝わることなく。
蜂種の芽に宿るアルバラスの意思は誰にも気付かれる事なく、その場から失せていくのだった…………。
人が傷付き散っていく。みなももまた、その光景を見て心に傷を負う。過去だけを見つめず、今も見る事こそ、彼女の心に掛かった影を振り払う光となる。
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