第七話 不器用の行き違い
「鳴神君……お、おはよ……」
「ああ、おはよう」
「あのねっ……あの時の事――!」
「じゃあ、俺は鍛錬してくるから」
「――謝り、たくて……って、行っちゃった…………」
朝、鳴神家にて宗士郎はみなもと顔を合わせた。かれこれ半月以上も同じ家で住み、同じ釜の飯を食った仲だ。既に寝癖や服が乱れている等、多少のだらしなさは気にしないような関係。しかし、数日前のスタンピードでの一件以来、挨拶はしても必要以上は踏み込まない現状となっている。
言うなれば、急に遠戚の家に居候する事になり、お互い遠戚の人同士で気まずく、どう接すれば良いのか苦悩するような、そんな感覚だ。
宗士郎は顔見知りと接するように、みなもの脇を通り抜けた。その際、彼女が先日の一件について謝ろうとしていたようだが、努めて聞えないフリをした。
時計の針は大きく進み、その日の学園の昼休み。
――キーンコーンカーンコーン!
「ねえ、鳴神君! 話があるんだけど……!」
「すまない、今から学園長室に用事があるから」
「あ…………」
終業のチャイムが鳴ると同時に、離れた席にいたみなもが鞄も持たずに駆け寄ってきた。彼女が真剣な眼差しで見ているとわかっていたが、今は話す気にはなれなかった。
宗士郎は嘘の用事を伝え、みなもから逃げるように教室を出る。
試験一週間前は授業がないので、午後からは後で合流した和心と共に街の散策に向かった。和心に護衛として付き添い、変死体から感じた気配の輩から守ると同時に現れるのを待つ。
今日の所は、目当ての輩は姿を現さず、宗士郎達は仕方なく帰宅した。
すっかり日は暮れ、自宅にてシャワーで汗を流した後…………。
「鳴神君……」
既に帰っていたみなもとばったり遭遇してしまう。
「あのねっ、話が――」
「和心、ちょっといいか」
「はい、何でしょうか!」
正直、気まずい気持ちを引きずっていた宗士郎は目端に映った狐人族の少女に、声を掛けてその場を早々に離脱した。
根気よく話しかけてくれる彼女には悪いが、今はまだ元の関係に戻る訳にはいかない。彼女が何故怒られたのかを理解するまでは……。
「あっ……」
遠ざかっていく宗士郎の背中を追う様に、みなもの所在なさげな右手が虚空を彷徨う。
「はぁ…………私、鳴神君に見放された、のかな……はぁ~~」
スタンピードが発生した日以来、気まずくなった宗士郎に幾度となく話しかけ、尽く撃沈したみなもはすっかり意気消沈した。
重い溜息がまるで足まで重くしたかのように、みなもは居候してから割り当てられた自分の部屋に、トボトボと重い足を引きずっていった。
「――どう思う、楓さん?」
「どうと言われてもねぇ」
そんな悲壮な表情で溜息を吐いているみなもを他所に、二人の少女が同様に眉をしかめる。
柚子葉と楓だ。
ここ最近の鳴神宅の空気がどんよりと曇っており、柚子葉はその原因が宗士郎とみなもにある事を知っていた。
「響君に聞いても、お兄ちゃんが悪いの一点張りで……。私、訳わかんないよ」
何故こんな事になったのか。柚子葉は、魔物のスタンピード対処に向かった幼馴染の響に訳を聞いていたが、要領を得ない回答に頭を悩ませていた。そこで、急遽夕食に呼んだ楓に今回の事を相談したのだ。
頼まれたからには何とかしてあげたい……そう思った楓だったが、
「直接聞いてみるのが一番だけど……あの様子じゃねえ……」
みなもの後ろ姿からは哀愁が漂っている。そのような状態で原因の究明をしても、ロクな成果が得られないだろう。
今までの宗士郎とみなもの関係は良好だった。
だが、今の二人はドラマで離婚寸前の夫婦のよう。そんな気まずい関係なのだから、楓達がいるこの家の空気が居心地悪くなるのも当然だ。
「とにかくまず、士郎に事情を聞いてみましょう」
「うん。さっき和心ちゃんと縁側の方に行ってたから、きっとそこにいると思う」
そうして柚子葉達は縁側のある和室の障子裏に移動する。
そーっと障子をずらし、仲良く隙間から覗いてみると、宗士郎と和心が深刻そうな面立ちで言葉を交わし合っている姿が見えた。
「――あれから探したけど、和心のお母さん見つからないな」
「はい……あの方の嘘だったのでしょうか」
母親が見つからなかった事実に、目の前の幼い少女は生気の失ったような暗い表情を浮かべる。
「あの女はどこか胡散臭かった。和心のお母さんに何か事情があったのか、俺を警戒していたって事なら別に良いんだけどな」
「そう、でございますね。きっとそうに違いないのです……」
宗士郎と和心は縁側に腰かけ、敷地の庭園にある鹿おどしに、ジョボボボと水が溜まっていくの眺める。
みなもがドッペルゲンガーと一体化しそうになる少し前、スタンピード現象が起きた街中での事だ。
和心の母親と出会い、居場所を知っていると言っていた女性の言葉に従い、言われた場所に行ったが、そこには和心の母親はいなかったのだ。
その時の会話といい、妙な挙動といい、至る所が胡散臭い女性だった。
「確かにお母さんの気配はしたのです。私の勘違いだったのでしょうか……………」
「気配はどこまで掴めるんだったか?」
そういえば、毎度気配を感じ取ったと聞く割にはどの程度探れるのか聞いた事がない、と宗士郎はふと思った。
「方角と存在だけです。距離などは私には測れません」
「なら、必ずしも勘違いって事はないんじゃないか? もっと離れた場所にいたのかもしれないし」
「確かに、そうでございますね……私、もう少し探してみます!」
目の前の狐少女は元気を取り戻してくれたようだ。いつもの、はつらつとした雰囲気に戻った和心は金色の尻尾を左右に揺らし、今すぐにでも母親を探したくてうずうずしている。
「おう、俺も手伝うからな。あと、今日はもう遅いから明日以降な」
しかし、既に日も暮れている。当然、今から行かせる訳にはいかないので、宗士郎は彼女を引き留めておいた。
「はいでございます!!!」
元気良く返事した和心がパタパタと廊下を走り去っていく。視界の端で揺れる黄金色の髪を尻目に、宗士郎は再び鹿おどしに視線を戻した。
「…………」
鹿おどしに水が流れ落ちていくのを観察していると気分転換になる。自宅で考え事をする時はここが宗士郎の定位置だった。
にも関わらず、清廉されたこの場の空気をほんの少しだけ乱す二つの気配が。コソコソと障子越しで何をしているのかと、宗士郎は後ろを振り返らずに言葉を投げ掛ける。
「そこで隠れてないで、こっち来たらどうだ?」
「(え、うそ、バレた…………!)」
「(普通に考えて、士郎にバレない筈がなかったわ。大人しく姿を現すわよ)」
もう隠す気もないのか、背後から聞こえてくる音に聴覚を集中させなくとも、障子裏にいる二人の人物の声が鼓膜を揺らしている。次の瞬間、声音から予想していた人物が宗士郎の背後に姿を現した。
「柚子葉、それに楓さんも。何で隠れて聞き耳立ててたんだ?」
宗士郎は少し身体を捻って背後に目を向けると、妹と幼馴染の二人が立っていた。
「知りたい事があったから。士郎、みなもと何かあったの?」
「……その話か。悪いけど、後にしてもらっていいかな」
成程、やはりとも云うべきか。ここ数日、みなもとのギスギスした空気を感じ取られたようだ。いや、バレない方がおかしいのだが。
それでも今、関係が悪化した理由を語るには、心を整理する時間と役者が足りない。もう少し時間を置いてから適当にはぐらかそうと考える。
だが、その考えはいとも簡単に崩壊した。
「駄目よ。この家の空気が悪いのは、私でもわかる。何があったのか話しなさい」
楓が一歩も引かぬ態度で追求してきたからだ。幼い頃から生と死の隣り合わせの世界、魔物の蔓延る時代を共に生きてきた、一つ年上の彼女には隠し事はできないようだ。
「(全てを話すのはまだ駄目だ。適当にぼかして伝えよう……、あいつの為にならないだろうし)」
逃げる事は出来ない。ならば多少心苦しいが、大方納得出来るだけの真実を伝えようと宗士郎は考え立ち上がる。
「わかった、場所を変えよう」
そう言って宗士郎は柚子葉と楓を引き連れて、道場近くに位置する自室へと招き入れた。
「相変わらず娯楽のない部屋ね」
「別にいいでしょ、本人がそれで満足してるんだから」
大きなお世話だ、とは言わないでおこう。楓に怒られる想像しか浮かばない。
外敵から大切な人達を守る為、鍛錬一筋で生きてきた宗士郎の自室はゲームや漫画等の娯楽は一切存在しない。六畳半の床、ベッドや愛刀『雨音』の為の刀置台を配置しているだけの極めて質素な部屋だ。
他に置いてあるとしたら、母親である薫子がまだ健在だった、宗士郎が幼い頃の家族写真と薫子の写真が入ったフォトフレームのみだ。
宗士郎は二人分の座布団を敷き、楓と柚子葉の二人を座るように催促した。
「じゃあ話してくれるかしら」
「さて、どこから話したものかな」
楓が座布団に正座すると、早速とばかりに口を開いた。宗士郎は頬を掻いて苦笑する。
「お兄ちゃんの話しやすいようにしてくれれば良いよ」
兄が困っているように見えたのか、そんな楓とは反対に妹の柚子葉は言外に自分のペースで話してくれれば良いと言ってくれる。
そんな出来の良い妹の気遣いに感謝し、宗士郎は話を進める上で大前提となる情報を話し始める。
「わかった…………。まず、桜庭がお人好しで心優しいのは知ってるだろ?」
「そうね……他人だけでなく敵も心配する、今時では滅多に見られない良い子ね」
粗雑な言葉を吐き、楓が頷く。
警察の秀虎に逮捕された魔物を用いた賭博場のオーナー北菱 正一が深く反省しているから許してもらえないかと言う程にお人好しだ。
「それがどうかしたの?」
「『異界』に行ける行けないにしても、魔物やカイザルと戦う以上、いずれ苦渋の決断を迫られる時がくる」
「味方を助けるか、見捨てるかの決断って事だね」
魔物が現れる十年前ならいざ知らず、現代日本は魔物や魔人カイザル等の様々な脅威に晒されている。日常の殆どを常在戦場の心構えで過ごさなければならない今、いつ自分の命と仲間の命を天秤にかける日が来るかは、わからない。
「ああ。二週間程前のあの事件。桜庭が牧原に対する恐怖で震えながらもあの戦いを乗り越えた。今のあいつならどんな運命が待ち受けていても大丈夫だと思った……」
「思った? って事は違うの?」
宗士郎は静かに頷く。ようやくここからが本題だ。
「数日前、スタンピードの中に俺に変身した〝ドッペルゲンガー・ワン〟と桜庭は対峙している」
「最近出没するようになった、攻撃性が極めて低い魔物ね。その魔物がどうかしたのかしら?」
「桜庭は敵を〝俺〟だと認識、いや誤認したって言うべきか。その瞬間から戦意を失ってたんだ……」
敵となった仲間を前にして、動けなかったみなもの姿が脳裏に去来し、宗士郎は苦虫を嚙み潰したような渋い表情を浮かべた。
「幸い、はぐれた和心を回収した俺がタイミング良く戻ってきたおかげで、桜庭は助かった。俺が来なかったら、今頃魔物と同化して、同族殺しをしていただろうな」
「みなもちゃんにそんな事が……。でも、その話の何処に関係が悪くなる要素があるの?」
問題は其処だ。
危なかったから助けた、だけならば、宗士郎としてもそれで良かった。だが、それだけで済ませれば、みなもも、宗士郎自身も必ず後悔する。仲間が苦しい思いするのは宗士郎としても本意ではない。
故に――
「その後、桜庭にかなり冷たく接した。だから今は、お互い話しかけ辛くなってる感じだ」
可能な部分まで、事の顛末を話し終えた宗士郎は一息吐いた。
「………………え、それだけ?」
「それだけなんだが?」
そう、それだけだ。
最初から最後まで張り詰めた空気が続いた挙句、宗士郎にあまりにもあっさり話を切り上げられた楓は拍子抜けとばかりに首を傾げた。
多少、きつく当たり過ぎた節がない訳でもないが、これも仲間の為。仲間に対する愛の鞭だ。
すると、話を聞き終わってから今まで黙っていた柚子葉が突然、宗士郎へと詰め寄ると――
「お兄ちゃん、本当にそれだけ!? 冷たくしただけなら、みなもちゃんがあそこまで落ち込む訳ないよ!」
「柚子葉っ!? は、離せ!!? ちょっ、やめ――あばばばばばば!?」
上着の襟首を掴み、雷心嵐牙を発現させながら捲し立てた。
その結果、宗士郎は感電した。
異能特性で冷静ではない分、かなり威力が落ちてはいるが、それでもなお身体に流れ続ける電流に、筋肉が収縮し変なポーズを取らずにはいられない。
「落ち着きなさい柚子葉!?」
「むう……わかったよ、命拾いしたねお兄ちゃん」
「助かったよっ……」
楓の静止で柚子葉はようやく異能を収める。何故、兄の言う事は聞いてくれないのか、と宗士郎は地味に傷付いた。
「それで話を戻すけど……本当に、ほんっとうにっ、それ以上の事はないわけ?」
「……ない、訳でもない」
宗士郎が目を逸らして言葉を濁すと、楓もムッとした顔で詰め寄ってくる。
「なに? 答えなさい」
「……牧原の時より余りにも情けなく思ったから、去り際に〝正直がっかりだ〟って伝えた……だけです……」
女子二人の圧迫感が凄かったので、語尾が少々敬語よりになってしまう。
「「………………」」
すると、柚子葉と楓は二人揃って呆れて嘆息した。
関係が拗れた理由は確かに響の言っていた通りだったが、それ以上に自分が仕出かした事の重大さを宗士郎自身が認識していなかったからだ。
「お、おい二人とも……なんで溜息なんか……?」
目の前の少女二人が突如として、吐息を漏らした理由に心当たりがなかった宗士郎は彼女等の顔を覗き込むと、
「――楓さん。お兄ちゃんは阿呆かな? いや、私はかなり阿呆だと思う」
「全くね、流石の私も擁護できないわね……そりゃあ、みなもが辛そうな訳よ」
何故かひそひそ話を始められた。その流れで――
「……お兄ちゃんの女泣かせ」
「士郎のおたんちん」
「いきなり何だよ!?」
挙句の果てに、聞える声量で罵倒までされ始める。理由もわからず、幼馴染と妹に責められるのは癪と、宗士郎は思わず声を荒げた。
「慕ってる相手に深く失望された。そりゃあ、ガッカリするわよ」
「……俺が言わなくても、遅かれ早かれこうなってたさ」
むしろ放置していたら、先の未来でみなもは今よりも更に落ち込んでいる事だろう。
「そんな事ないよ! お兄ちゃんは確かに厳しい事言うけど、何で今回に限ってそこまで追い込んだの!?」
「それはっ――ともかく、情けない姿を見せられた……! だから桜庭に冷たくした。ただそれだけなんだっ――」
かつてない柚子葉の圧に押され、漏れ掛かっていた言葉を寸前の所で押し留める。これ以上の追求はごめんである。いくら彼女の為とはいえ、最後まで話してしまえば今までの苦労が元の木阿弥だ。
宗士郎は脱兎如く自室を飛び出した。
「ちょっと、お兄ちゃん!?」
柚子葉の控えめな怒声が部屋に木霊する。
「――あら……」
楓が小さく言葉を漏らした。
いつの間にか落ちていたのか、宗士郎が座っていた場所に一枚の紙切れが。宗士郎の持ち物だろうが、先程の慌てた様子から落とした事にすら気付いていないだろう。
その紙切れを拾った楓は書かれていた内容を見て、宗士郎の今まで行動に得心がいった。
「なるほど…………士郎も不器用ね」
先程まで気が立っていたのか……彼の持っていた紙切れを見た瞬間、楓はしかめていた顔が緩むのを感じた。
「逃げたお兄ちゃんがどうかしたの?」
「ううん、なんでもないわ。そろそろ夕食の準備しなくていいの? 私が手伝った方がいいかしら?」
柚子葉がぷりぷりと怒った様子で、楓の呟きに反応した。
紙切れに書かれた内容を見られると、確かに宗士郎の苦労が水の泡だろう。
影の苦労を察した楓は、柚子葉から隠すように咄嗟に懐に紙切れを仕舞うと、夕食の催促と手伝い買って出る。そろそろ用意しなければ、お呼ばれした意味がない。だが楓がそう口にした瞬間、
「ダメダメダメ!? 楓さんはお客様なんだから、料理しちゃダメェ!!!」
と、柚子葉に双肩をガッと掴まれ、料理禁止命令を言い渡された。
「そう? 残念ね」
何もそこまで言わなくてもいいのに、と楓は落ち込みつつも努めて平静に柚子葉に笑いかける。
「私、先に台所に行くから!!!」
「わかったわ、後で私も行く」
「来なくても良いよッ!?」
鳴神家の料理番である柚子葉は激しく動揺し、楓の誘いを断固として拒絶。先に部屋を飛び出て台所へと走り去った。余りにもハッキリとした返事に、楓は少々落ち込む。
だがその際、料理番である彼女が、慌てすぎて小指を角の出っ張り部分にぶつけてしまう。
「――い゛っ、っ~~……いひゃいぃぃっ……」
人の不幸で笑ってしまうのは失礼だが、期せずしてほんわかしてしまった楓は心の中で謝りつつ、可愛い柚子葉のドジを自分の胸の内にだけ秘めておく事にする。
「本当、不器用ね。そんな所も素敵なんだけど。さて、これを見た私はどうするべきかしらね……」
楓は懐へ隠した紙切れに再び目を通し、宗士郎の顔を思い浮かべて頬を紅潮させた。そして、紙切れの内容を知った彼女は宗士郎の、みなもの為に今後どう立ち回ればいいのか思案しながら、遅れて宗士郎の自室を後にした。
妹と幼馴染にこっぴどく責められた宗士郎。
気遣いのつもりが、逆にみなもとの仲に溝ができてしまい、みなもとの関係に葛藤する。その気遣いの裏では、宗士郎は不器用なりにみなもの為動いているのだが、果たして……。
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