第六十七話 絶望渦巻く戦場
「こっちで本当に合ってるのね、柚子葉?」
「うん! 兄さんの生命反応がこの向こう側にあるからね」
「それにしても、随分奥に行ったんだね〜。もう、足がパンパンだよ〜!? はあっはあっ……!」
修練場の暴動を収め、宗士郎の作った大穴から再び地下施設へと戻ってきた楓と柚子葉とみなもは通路を走っていた。
柚子葉も鳴神家の娘。闘氣法も当然扱えるが、宗士郎に比べれば微々たるものだ。宗士郎のように全身を闘氣のオーラで覆って強化したり、闘氣法・索氣の検索区域を広範囲にする事はできない。
ただ、片手だけや両足などの一部分の強化、特定の人物の生命反応を探る事はできる。柚子葉は闘氣の波動を送り、元々知っている宗士郎の生命反応とぶつけて、位置を探っている。
「我慢しなさい。それくらいで根を上げるようじゃ、この先で貴方が真っ先にくたばるわよ?」
「そ、そそそんな事言ったってぇっ……! つい最近まで、普通のJKだったんですよ!? 二人みたいに鍛えてる訳ないっ、じゃないですかあっ!」
みなもがぜぇぜぇと肩で息をしながら走る……否、ほぼ徒歩に近い速度でのたのたと重い足を引きずっていた。
昔から宗士郎と共に鍛錬してきた柚子葉と楓は普通の女の子と比べて、何倍にも体力がある。心肺機能もロクに鍛えてないみなもが愚痴るのも仕方ない事だ。
「はあ……仕方ないわね」
見かねた楓が万物掌握を発現させ、技の一つの時間加速をみなもの下半身にかける。
「あれ? なんだか急に足が速く……!? イヤッホー! 私はボ◯ト! 蝶のように舞って、蜂のように刺ぁあああああす!」
楓が力を振るった瞬間、みなもは疲れなど何のその、先程よりも素早い動きを出し始めた。
「……楓さん、あれって」
「ええ、時間を圧縮してみなもの足にかけただけよ。だから疲れは消えてないし、むしろ溜まっていくわよ。気休めでかけたっていうのに……はぁ」
柚子葉がみなもの爆走を見て気付く。時間逆進で疲労した身体の時間を戻す事はできない。ただ単に足を速くしただけで、かける前よりも疲労が増す。
つまり、
「走り損なわけなんだね」
「やっぱり、解く事にするわ。あの子の力もこの先で必要になるだろうし……ほいっと」
「――ええぇ!? ちょ!? まっ!? ぐべぇえええええ!?」
苦笑いして、楓の考える所を察した柚子葉。気休めにと異能で足を速くしてあげたとはいえ、みなもが調子に乗って俊足を発揮しているのはいただけない。
楓が時間加速を解くと、急に失速したみなもが案の定、疲労からくる足のもつれで、絶叫を上げて床へと接吻。
追いついた楓がみなもの首根っこを掴み、
「あまり調子に乗らない事……い・い・わ・ね?」
「ひゃい……」
目を細めて、圧を強くすると、みなもが借りてきた猫のように大人しく返事するしかなかった。
「少し休憩なさい。そのまま急いでも、逆に遅くなるわ。それなら、遅くなっても少し休んで行く方がいいはずよ」
「っはあっはあ……! わかりましたっ」
楓はみなもに肩を貸し、通路の壁へもたれかけさせると自らも壁を背に腰を下ろした。
「でも楓さん! 急いで救援に向かわないとっ」
「心配なのはわかるわ、柚子葉。でも、貴方のお兄ちゃんは手助けを必要とするほど弱かったかしら。そこん所は妹である貴方が一番知っているはずよ?」
「でもっ、雛璃ちゃんと同じ事になったらって思うと……! 逸る気持ちが止まらなくて……!」
その場で立ち尽くす柚子葉に楓は宗士郎の強さを再認識させる。確かに、今回の敵は分が悪いかもしれない。
敵の手に落ちた元春に、謎の力を使う静流。それらに加え、柚子葉が宗士郎共に対峙した得体の知れぬ魔神カイザルが背後にいる。
万が一にでも、宗士郎が彼らに負ける筈がないと柚子葉も思っているが、本当に万が一があるかもしれない。そう、脳裏を過ってしまうのは無理のない事だった。
「もし、士郎がピンチだったとしたら、私達で助けてやればいいわ」
「……そう、だね。わかった。ほんの少しだけ休憩する事にする。ほんの少し、だからね?」
「わかったわかった。ほんの少しね」
柚子葉は宗士郎の生命反応を今一度、確認してから楓達と同じく腰を下ろした。
「二人とも、クオリアに余裕はあるかしら?」
「大丈夫だよ、楓さん」
「いつつ……私は半分くらい、だと思います」
「そ、なら休んで正解ね」
これから赴くは死地、なのかもしれない。静流の計画を阻止する上で致命傷を受けて死に至る可能性もなきにしもあらずなのだから。
「この戦いが終わったら――っ!?」
皆でドンチャン騒ぎでもどう? と言おうとした刹那、皆が背を預けていた壁が大きく振動した。
「な、なに!?」
「……静まった?」
壁を伝ってきた衝撃はすぐに止み、柚子葉が床に耳をつけ、状況を確認する。
そして収まったと思い、耳を離した瞬間――
「っ!?」
「さっ……きよりも! 大きいっ!?」
「この感じ……! 響の爆弾!?」
一拍置いて、多段の衝撃が床や壁に伝わり、地響きのような揺れを起こす。楓は衝撃の感じに覚えがあった。
「二人とも休憩を終わりよ! 今すぐ士郎の元へ直行! 柚子葉っ、ナビ頼むわよ!」
「! うん!」
全員立ち上がって、柚子葉の先導で今もなお振動する通路を駆け抜ける。かなり入り組んだ通路だが、ゴールが分かっていれば、仮定の道はどうとでもなる。
柚子葉は自分の勘と宗士郎の生命反応を頼りに、やや急ぎ気味で先導していくが、
「え……?」
突然、足を止めた。他の二人も柚子葉が止まった事によって、止まらざるを得なくなる。
「ちょっとどうしたのよ……柚子――」
「………………」
「……は……?」
楓が柚子葉の肩を掴み振り向かせると、柚子葉の顔は蒼白く、そして生気が失われたようなものだった。柚子葉は肩を震わせ、信じられない物を見たとばかりに、徐々に過呼吸を繰り返す。
「はあ、はあ、はあ、はあっ……!?」
「柚子葉、落ち着きなさいっ。なにがあったの!?」
背中を撫で、呼吸を落ち着かせながら、状況を把握しようと楓が柚子葉に尋ねる。次第に目尻を涙で濡らし、嗚咽を漏らしながら柚子葉は答えた。
「――お兄、ちゃんが……っ、お兄ちゃんがっ!」
「士郎がどうしたのっ!? ハッキリと答えなさい!」
鬼気迫る楓の追求に、柚子葉は一呼吸置いて、
「……っひぐ、お兄ちゃんが……っ、死んじゃう……ぅぅっ……!」
「………………っ!?」
柚子葉が泣きながら答えた事実は楓にも信じ難いものだった。
「そ、そんな……鳴神君が……って、楓さん!?」
すぐさま、楓は時間加速を自らに付与し、通路を走り抜ける。
幸い、この先は一直線だった為、宗士郎はこの先にいるのがわかっていた。
「(ねえ士郎!? 嘘よね、嘘といって!? 柚子葉の勘違い――そうよね? 士郎!)」
真実を答えた時の柚子葉の表情を見れば、嘘かどうかはすぐにわかる。小さい頃からの付き合いで楓に柚子葉の考えている事がわからない事はなかった。
だが信じたくなかった。
信頼している柚子葉の言葉だからこそ、楓は柚子葉が口にした真実を認めたくはなかった。
柚子葉が闘氣法で宗士郎の生命反応を見ているが、見間違いであって欲しいと。誤って敵の生命反応を見ていたと。自らの都合の良い事実を並べ立てた。
通路を走る中、目指していた方向のドアらしき物の向こう側から煙が漂ってきていた。恐らくは響の爆弾によるものだろうが、構わず煙が漂ってきたドア向こうへと身を投じた。
「――なっ!?」
「っ、ぁぁ……っぐ……」
「…………っ」
身を投じた先で、楓がまず目にしたのは壁にめり込むようにして、瓦礫に埋もれている響と亮の姿。
「おや……?」
次に視界に入ったのは、黒紅色のオーラを纏う巨躯の白鬼。
楓の存在に気付き、首を傾げるとそのまま舐め回すような視線で白鬼は楓を見る。
不気味でいて、尚且つ勝ち誇ったような侮蔑の笑みを浮かべると、足元に転がっていた誰かの身体を足で仰向けにした。
「――――っっ!?」
背けていた現実が、真実が絶望へと姿を変え、楓の胸に嘘偽りなく突き刺さった。
「……うそ、嘘よ……ええ、そうよっ……こんなの、嘘でしかありえないわ……」
憔悴し切った表情で楓は一歩、また一歩と蔦に絡まったような重い足を進めていく。
白鬼は絶望を味わわせるように、その場から一歩引いて口角を吊り上げた。
「………………」
「そん、なぁ……っ、こんなことって、ないわよ……っ」
現実へと辿り着いた楓は嗚咽を漏らし、床で転がっている人物の胸に顔を埋めて、その名を呼んだ。
「っ、士郎ぉ……」
楓の声は横たわる宗士郎に届く事はない。冷たくなっていく身体が、心臓の鼓動が停止している事実が、ただただ無情に現実を突き付ける。
「一足遅かったですね。もう少し早く駆け付けていれば、鳴神君の死に様を拝めたというのに……」
「――なん、ですって……?」
白鬼の言葉に、楓は泣き腫らした顔を上げた。何が言いたいのかと睨む。
「鳴神君の腹の大穴。私がやったんです、ほら」
軽快に告げ、白鬼は太腕を掲げた。
赤黒く、酸化した血液が腕を伝って滴り落ち、床を赤く染める。宗士郎の事しか目に入ってなかった楓は今更ながらに、白鬼の太腕に付着した血を認識した。
「その……血はっ……」
「宗士郎の、だ……がふっ」
「そいつがぁ、牧原がやったん、だぁ……!」
「〜〜〜〜ッ!」
壁の瓦礫に埋もれていた響と亮が絞り出すように言葉を紡いだ。ほんの少し離れた所にいる蘭子、幸子、和人、元春の四人もコクコクと頷いている。
皆の証言を聞き、楓は眼前の白鬼――牧原 静流を憎悪の対象として睨み付けた。
「いやぁ、見物でしたよ? 闘志に溢れていた鳴神君が呆然と倒れた姿は! フフ、フヒャッヒャヒャヒャ――!」
「っ、ふざけんじゃないわよォォォォッ!」
聞くに堪えない下品な笑いを掻き消すように、楓が雄叫びのような怒声を腹の底より震わせた。
「アナタはッ、絶対に赦さない……! 士郎の命を奪った罪、万死に値するわッ!」
「ふぅ、何を言い出すのかと思えば……時間を圧縮し加速、巻き戻せるだけの貴方が私を倒せるとでも?」
「……倒せる、倒せないは関係ない。今は貴方を何としてでも死に追いやるッ!」
楓に静流を倒せる手段はない。楓の戦闘スタイルは時間加速と時間逆進を用いた支援主体だからだ。
だからといって楓は一度表に出した怒りを収めるつもりは毛頭なかった。
楓は敵である静流を前にして、目を閉じて瞑目する。
「――――――」
早く来ていれば……と静流は言った。
楓がみなもや柚子葉の為を思って、休憩したのが裏目に出てしまった。宗士郎が負けたのは決して、楓の選択の所為ではない。
だが、静流の言う通り早く来ていれば、恐らくは宗士郎の命を救えるだけの時間はあった。
だからこそ、あの時した自らの選択を悔いるように、楓は怒りの赴くまま過去の後悔からくる制限を外した――
「何をしているのです、目を閉じたりなどして。自分には無理だという事を今更理解したとでも言ッ――!?」
目を閉じたままの楓に呆れ、静流が嘆息していると、
ゴォーン、ゴォーン、ゴォーン……――
時計塔の鐘がなるような重低音が楓から響き渡ったのだ。ある時刻の始まりを告げるような音なのか、はたまた何かの終焉を告げる音なのか。
「(これは、何か危険だ! 何かが起こる前に仕留めなければッ)」
本能的に何らかの危急を察知したのか、静流は纏った黒紅色のオーラを圧縮し、楓へとその腕を向けた瞬間、
「――――!?」
静流の動きはビタリと静止した。目の動きや波打つオーラの奔流までもが止まったのだ。
「時間停止……アナタの時間を止めたわ」
「久々に、見たぜ……チート技、ははっ……」
神の御業が如く、静流の時間を止めた楓が目を見開くと、その瞳には時針が浮かび上がっていた。
「(時を止めたのですか!? ですが、それくらいは時間を操る彼女なら想像できた事。時間は要しますが、この呪縛から逃れる事は可能ッ!)」
楓の異能の性質上、時は止めても相手は止められた事を認識する事はできない。だが、静流の力が楓の力の埒外だったのか、静流は動けないまでも思考を巡らせる事ができた。
力を込めて踏ん張ると、静流の止まった身体が錆びたブリキの玩具のようにギギギと動き始める。
楓の神業に圧倒、歓喜していた仲間達は静流の動きを見て戦慄が走った。
その刹那、
「ッ!?」
神々しい光の盾が静流の前方を残して、上下左右を塞ぐように現出。突然の出来事に、時間の牢獄から抜け出す事しか考えてなかった静流は呆気に取られながらも宗士郎が斬り裂き、開けたドアの向こう側を見た。
「――柚子葉ちゃんッ! 今だよ!」
「……お兄ちゃんをあんな風にした報いを、受けろぉっ!」
そこには神敵拒絶を展開しているみなもと、周囲にプラズマを撒き散らしながら、エネルギーを溜め込む柚子葉の姿があった。
「穿てッ、超電磁穿砲ッ!!!」
右手を銃の形にした人差し指に、溜め込んだ高エネルギーの電気を一点集中。仇敵である静流に向けて、その莫大な雷電の塊を放出した。
音を置き去りにし、光を持ったエネルギーだけが空気を切り裂き、逃げ場を失った静流へと襲い掛かる。
「――ッグァアアアアア!?」
雷の熱線に包まれ、断末魔の叫びを上げながら静流の体組織は穿たれ、瞬時に焼け焦げていった。
「はあっ、はあっ……お兄ちゃんの仇、取ったよ……」
熱線が迸った跡は床がマグマのようにドロドロに焼け溶け、プラズマの軌跡に支配されていた。
「柚子葉ちゃん……っ」
「みなも、ちゃん……うう、えぐっ、ぐす…………」
嗚咽漏らしながら涙する柚子葉をみなもがそっと肩を抱き、共に悲しんだ。
流石に今の一撃で死なない生物はいない筈……そう思った楓も柚子葉の元へと向かい――
「――くも……」
「……えっ?」
直後に聞こえた声に心臓が跳ねた。
「よくもやってくれましたねぇぇええええええッ!!!!」
楓達の後方で、怨嗟の怒声と共に黒紅色の極光が辺りを吹き飛ばした。
「……うそ、全力以上の力で放ったのに……っぅぅ!?」
「柚子葉ちゃんっ!?」
先程の攻撃でクオリアを全て消費し切った柚子葉は頭部に走る鈍い痛みに堪えながらも膝を折る。そんな無防備な柚子葉を守るべく、みなもは前へと出た。
「……間一髪、でした。止められた時間から抜け出し、オーラでガードしなければ、くっ……私は確実に死んでいた……惜しかったですねぇ……敵討ち」
黒紅の極光が晴れた場所から、体の様々な部分が焼け落ち、穴の空いた手負いの静流が現れた。
「(な、なんて奴なの……! 激怒した柚子葉の全力を受け切るなんてっ……一体どうして……はっ!?)」
絶望に打ちのめされた楓は自らが口にした言葉で悟った。
「(そうよ、柚子葉は怒り狂っていた……! 雷心嵐牙は冷静でいる程に威力を増す! だから、さっきの一撃にも耐えられたんだわ!)」
兄を殺された柚子葉が冷静でいられる訳がない。
幼馴染の楓はそれをよく知っていた。
「皆が逃げる時間をっ……時間――痛ッ!?」
すぐさま時を止めようとして、楓は酷い頭痛を覚えた。
クオリア欠乏による弊害ではなく、長年自らの防衛本能によって封印していた力の一端を覗かせたからだ。
響と亮も先のダメージが残って動けず、非戦闘員扱いの蘭子や幸子、和人は恐怖で足が竦んで動けずにいた。
元春に至っては、反天の影響で身体がボロボロになっており、動くのはおろか、意識すらない状態だ。
「ククク、頼みの時止めはできず、最大火力の鳴神妹さんはガス欠。威勢の良かった馬鹿二人や他も役立たず……計画の邪魔者を一気に排除できるチャンスですねえ。……さあ、どうします?」
不敵な笑みを浮かべ、より一層にクオリア――黒紅色のオーラの圧力を爆発的に高める静流に、楓達の顔を絶望の色が覆った。
「――――――――」
過去の呪縛をかなぐり捨て、楓はついに時を止める。そしてみなもの協力もあって、柚子葉の全身全霊の技を静流に叩き込めた……はずだった。
即死とまではいかなくとも、瀕死の状態に追い込めたはずの静流は楓達の希望を打ち砕くように立った。
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