第三十五話 柚子葉の苦悩
宗士郎の妹、柚子葉の視点になります。
お付き合いください〜
宗士郎達が宗吉さんからの依頼による調査を行うよりも前の時間――朝の学園の教室で柚子葉が頬を膨らませていた。
「ぅぅ〜なんでお兄ちゃんは私を連れて行ってくれないの……?」
危ないのはわかってるけど、そんなところにお兄ちゃんが行くのは嫌。今回は楓さんや響さんがいるから大丈夫だと思うけど、やっぱり心配だよ……
みなもちゃんは……うん、心配しかない。
お兄ちゃんは大抵、宗吉さんからの依頼を一人か、二人でこなします。時間がかかる時は学園を休んで、そのまま夜まで……なんて事も少なくないです。
前にD.Dと戦った時、お兄ちゃんは重傷を負いました。雛璃ちゃんの異能で傷は塞がったけど、しばらく起きなかったから本当に心配した。あれ以来、依頼が来る度にお兄ちゃんが怪我して帰ってくるんじゃないかって、ビクビクしてる。
十年前のあの日から、私は大切なものを守る為に、お兄ちゃんと一緒にお父さんの厳しい修行を毎日耐え抜いた。苦手だった体術も頑張って会得したし、私の異能――雷心嵐牙も危険度Aの魔物を倒せるくらいに、鍛錬して上手に扱えるようになったのに……もう! 本当になんで連れて行ってくれないのっ!?
バンッ!!!
私は思わず、机を思いっきり叩いてしまう。
「どっ、どうかしたの? 鳴神さん?」
「えっ!? あ、いや、なんでもありません!?」
危ない危ない、今は授業中だった。先生に変な目で見られちゃったよぉ……
集中集中! 身体が弱い雛璃ちゃんの為にも、ちゃんと聞いて、ノートを取らなきゃ!
今日も雛璃ちゃんは修練場の医務室で、療養してるんだから、わかりやすく書かないと――
キーンコーンカーンコーン!
「えっ!? もうお昼……」
考え事をしながら、ノートを一心不乱にとっていたら、いつの間にか授業が終わっていました。学内戦の一週間前は昼まで授業で、教室に残っている人もまばらです。
私は一つ隣の机を見る。雛璃ちゃんの席です。本当なら一緒に勉強したり、お昼ご飯をつついたり、異能の練習をしているはずなのですが、身体が弱く病気になりやすい雛璃ちゃんは大抵は医務室にいます。
早く元気になって、一緒に遊んだりしたいな…………って、そろそろ行かないと!
先に医務室に寄って、今日の分のノートを渡して買い物に行かないといけない。今日はお野菜のセールがあるって、近所のおばあちゃんも言ってたけど、でもぉ! その前に少しだけ! 少しだけ、雛璃ちゃんに愚痴を聞いてもらおう! 最近のお兄ちゃんは目に余ります!
善は急げ! ってこの場合は善なのかな…………? ううん! お兄ちゃんの事なら、なんでも善だよきっと!
私は通学カバンを手に引っ掛け、医務室に向かって、小走りで駆け出した。
「鳴神 柚子葉です。失礼します」
数分後、医務室に着いた私はノックして静かにドアを開けた。出迎えてくれたのは、花の入った花瓶を持つ白衣の女性でした。
「柚子葉ちゃん、いらっしゃい。雛璃ちゃんなら、いつものベッドにいるわよ」
「祥子先生、ありがとうございます!」
この人は修練場の医務室で務めている女医の祥子先生です。修練場で怪我をした生徒が真っ先にお世話になる人で、皆は来るのが慣れているのか〝先生〟としか呼ばないけど、雛璃ちゃんがお世話になっている先生だから〝祥子先生〟と敬意を込めてそう呼んでいます。
「柚子葉ちゃんはこの前の宗士郎君と違って、礼儀正しくていいわね~」
「この前、ですか? 何かあったんですか?」
奥の雛璃ちゃんのベッドに行く前に足を止める。何やらお兄ちゃんが何かしたみたいだ。お兄ちゃんの妹として、ぜひ聞かなくては!
「柚子葉ちゃんも聞いてるだろうけど、前に二人の生徒が重傷を負って運ばれてきたの」
少し前にお兄ちゃんから聞いた事件の被害者。お兄ちゃんの同級生だったようで、かなり心配したというのは知ってるけど、それが何かあるんだろうか?
「心配して急いで医務室に来たのは良いのだけれど、仮にも病室なのにノックもせずに入ってきたのよ。ノックの代わりに斬撃一丁! お待ちどお! って感じで、医務室のドアが両断されたわ」
「そうなんですか……!? うちのお兄ちゃんがすみません…………」
な、ななな、なんですとっ! お兄ちゃんがそんなことを…………!?
そんなの…………!
想像するだけで、鼻血がでそうですっ!
荒々しくドアを斬り捨てるなんて、見たかったなあ!!! きっと急いでいてもカッコよかったんだろうな~!
私はその時のお兄ちゃんを想像して、恍惚した表情を浮かべる。想像するだけでご飯三杯はいけます! ……なんて冗談だけど、私の〝脳内お兄ちゃん大好きフォルダ〟に保存はしますね!
「――おーい、柚子葉ちゃん? 戻ってきて~?」
「は!? す、すみません……」
「もう、宗士郎君の事になるとこれなんだから。雛璃ちゃんが奥で待ってるわよ?」
「そうでした! 本来の目的を見失う所でした」
雛璃ちゃんにノートを渡して、愚痴を聞いてもらうんだった! 思わぬ所に落とし穴があったから、ついやっちゃった。気を取り直して、雛璃ちゃんに会いに行こう。
「雛璃ちゃん、おはよう! 今日の調子はどう?」
「柚子葉ちゃん、おはよう~。私は柚子葉ちゃんみたいに元気だよっ」
雛璃ちゃんは顔を綻ばせる。どうやら体調は良いみたいです。というか雛璃ちゃんの様子から、さっきの話を聞かれてたみたい。雛璃ちゃんは私にこんな一面があることは大分前から知っているだろうけど、やっぱり恥ずかしいよ。お兄ちゃんが好きなのは隠さないけどね!
「やっぱり聞こえてた? 騒いだりしてごめんね」
「ううん、平気だよ。お兄さんの話を聞けて、楽しかったから……」
私と雛璃ちゃんは幼稚園からの仲です。昔から今の今まで、学校でのクラスは運命なんじゃないかってくらい、ず~っと同じでした。よく家に来て遊んだりして、たまにだけどお兄ちゃんとも遊んで仲良くなっていました。
雛璃ちゃんには弟はいても、兄はいないようなので、お兄ちゃんの事を〝お兄さん〟と呼ぶようになりました。私は人前では〝兄さん〟と呼ぶけれど、二人きりの時とかは〝お兄ちゃん〟呼びなんですよね。
正直、〝お兄さん〟と呼べる雛璃ちゃんが羨ましい。その呼び方は私も呼んだことがないので、殆どが嫉妬です!
「そうだった! はいこれ、今日の分のノートだよ」
「わあ! いつもありがとう、柚子葉ちゃん! 明日の朝に返すね……!」
私は通学カバンから数冊のノートを取り出して、雛璃ちゃんに渡す。そして、近くにあったパイプ椅子にドスッと座って、愚痴を話し始めます。
「うん、それよりも聞いてよ雛璃ちゃ~ん! お兄ちゃんがまた、私を学園長の任務に連れて行ってくれなかったよぉ…………!?」
「あはは、またなんだね。単純に柚子葉ちゃんには合わない依頼だったんじゃないかな?」
「それはないよ、雛璃ちゃん……。依頼内容的に私でもお兄ちゃんの役に立てるものだったし」
依頼の話はお兄ちゃんから携帯端末にメールで聞きました。なんでも悪い人達を取り締まるやら、魔物を殲滅するやらとの事です。
私の異能は基本的には威力が高いから誰かを捕まえる時には使えませんが、魔物相手なら「ピ〇チュウ! 100億ボルトだ!」……って感じで、大抵の魔物は灰にできるのに……!
「う~ん……という事はあれじゃないかな?」
「あれ……?」
「きっと、お兄さんは柚子葉ちゃんを危険な目に会わせたくないんだと思うな……」
お兄ちゃんが私を心配……
それは私の事を大切だと思っている証拠だと思うし、凄く嬉しい事なんだけど――
「私はお兄ちゃんと並んで立ちたい。一緒に戦って、皆を守りたい……」
「柚子葉ちゃん…………」
「その為の第一歩として、もっと今よりもっと先の境地に至る為に異能の鍛錬をしないと! 私は守られる存在じゃないって、わかったもらうために!」
そう……今考えても仕方ない。今の私にできる事を精一杯する事が、いつかお兄ちゃんの助けになると思うから。
「そうだねっ……柚子葉ちゃんが今より強くなれば、きっとお兄さんも任務に連れていってくれるはずだよっ!」
いつかきっと背中を合わせて、私はお兄ちゃんと同じように、大切な人を守れるようになる。私にとって、大切な人はかけがえのないものだから――
「よし、じゃあ愚痴も聞いてもらってスッキリしたし、私はそろそろ行くね! 明日もまた来るね」
「愚痴ばかりだと流石疲れるから、次は楽しそうな話を聞かせてね……?」
だ、だよね。
やっぱり疲れるよね、うん。楽しそうな話……雛璃ちゃんが楽しめそうな好きな話は、
「お、お兄ちゃんの話……とか?」
「うん……っ!」
やっ、やっぱりぃいいいい!? 昔から思ってたけど、雛璃ちゃんってお兄ちゃんに気があるよね!? 絶対あるよね、うん!
この嬉しそうな笑顔……! 余程嬉しかったに違いないです。確かに今の日本では一夫多妻が認められているけど、お兄ちゃんの伴侶は私が認めた楓さんだけなのっ!
応援してあげたいけど、少し無理があります。ごめんね、雛璃ちゃん!
「わかった! じゃあ今日の依頼の話でもお土産に持ってくるね」
「期待して待ってる……!」
「じゃあ、また明日ね!」
「うん、また……」
「どうしたの雛璃ちゃん?」
雛璃ちゃんが何故か悲しそうな顔をしています。どうしたんだろう?
「ううん、なんでもないよ……っ! またね……」
「? ふふ、変な雛璃ちゃん! またね!」
すぐに悲しそうな顔が消え失せていきます。何か引っかかるものを感じたような気もしますが、気のせいでしょう。早く買い物に行かないと!
私は翔子先生に「失礼しました」と声をかけてから、医務室から出ました。
「………………」
「どうかしたの雛璃ちゃん?」
翔子先生が雛璃に話しかける。
「いえ、柚子葉ちゃん……とっても幸せそうだなって、思ってまして。それを壊す事になるかもしれないから、負い目を感じちゃって……」
憂いを帯びた表情で、力なく話す雛璃。翔子先生は雛璃の両方に手を乗せる。
「しょうがないわ、それも人生ってものよ。何事も壊れないものなんてないんだから」
「そう……言っていただけると気が楽になります。ッゴホッゴホ!?」
「大丈夫?」
雛璃が手を押さえて咳き込む。手を離すとそこには鮮血が広がっていた。
「私には時間が残されていません。その前に少しでも……」
雛璃の呟きを翔子先生は聞こえないふりをして、口元と手をタオルで拭った。
「さあ、今日は薬を飲んでゆっくり寝ていなさい。ご両親にもこっちから話しておくから」
「ありがとうございます、翔子先生」
翔子先生が持ってきた薬を服用すると、雛璃は次第に静かな寝息を立て始めた。
「全く世話がやける子だわ。さあもう一仕事する前に花瓶の花を取り替えないと……」
柚子葉が入ってくる前まで、鮮やかな色の花は凍った花がバラバラになるように、枯れて崩れた。まるで今までの関係が破滅に向かうような光景を彷彿させる出来事だった。
次回も柚子葉視点になります




