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第8話 ユウリ・ナイアル・オズガルドの登校

 びっくりした。

 びっくりしたなんてもんじゃない。


「初めまして、ユウリ・ナイアル・オズガルドと言います。この国の言葉や文化、暮らしを学ぶために転校して来ました。みなさん、よろしくお願いします」


 ぎゃ、あ、あ、あ~~、という声にならない悲鳴が教室に広がる。

 耳を覆うくらいまで伸ばした髪は明るい色をしており、そのあどけない笑顔と同じくらいふんわりとしている。


 雨ケ崎と負けず劣らず色素の乏しい肌。ほんのちょっとだけ緊張しているのか頬は赤く、耳に心地よい響きの声と、中性的な線の細さによって男どもはすでに壊滅寸前だ。

 その学生鞄を両手で持った子は、優しい笑みを深めながらこう言った。


「見ての通り男です」

 

 ぎゃ、あ、あ、あ~~、という声にならない悲鳴が女子に移った。おい誰だ、いまイエスって叫んだやつは。


 えー、嘘でしょ。やわらかそうな唇もそうだけど、あちこちを興味津々に眺めている様子はウサギさんかなってくらい普通に可愛いんだけど。まさかこれが男の娘ってやつ?


 こほん、と咳ばらいをしたのは担任である筋肉マッチョなゴリラ男……ではなくて誰だお前は。


「えー、前もって知らせていた通り、本日よりここの担任を兼務することになった東堂だ」


 いや、知らんて。

 完全に初耳なのだが、気にするそぶりも見せずに男は黒板に名前を書く。それから振り返ると教壇に両手を置いた。


「諸君も知っての通り、オズガルド家というのは世界的な名家であり、ご子息はそれぞれが望んだ国に家を建てて住んでいる。今回、幸いにも君たちと縁ができたが……不届き者には合法的な天誅を喰らわすからそのつもりでよろしくな」


 ぎらりと睨みつけられたけど、めっちゃ怪しい人ですね。合法的な天誅というパワーワードが気になってしょうがない。


 男は鍛えられていると分かる身体つきであり、また腰についているホルスターとそこに収まっている金属っぽいなにかがすっごく気になるよね。スーツの裾からチラチラ見えているんだけど、俺たちのゴリラ先生を一体どうしたの? 大自然に還しちゃった?


「ではユウリ様、どこでもお好きな席をお選びください」

「えっ、あの先生、僕は空いている席で構いません。だれかを追い出すようなことは……」

「窓際のそこのお前、群青。今日からお前の席は床だ。文句はないな」

「は? いや先生、意味が分かりません」


 おいおいおい。おい。

 床ってお前、それで文句を言わないのは、うちの愛犬イザベラくらいだよ?


「なんだ、不服とでも言うのか?」

「いや、普通に納得できませんよ。いくら授業料を無償化したとはいえ、そんな扱いにはとてもじゃないけど耐えられませ……」


 がしっと両脇を抱えられた。

 唐突に二名の黒服に挟まれたら「へ?」としか言えないよ。無理やり立たせられると両ひざの裏を蹴られてそのまま正座させられた。あのさ、この人たちどこから出てきたの?


 かつ、こつ、と靴を鳴らして新任担当が近づいてくる。穴あきの革手袋を取り出したのは、いったいどんな意味があるのかな。


「不思議に思うなら教えてやろう。すでにお前たちの平穏に生きるという権利は消えている。『はい』以外の返事は認めないし、例外も認めない。もしも異議があると言うのなら……」


 ミチミチと革手袋を着けながら、鷹のように鋭い目で睨みつけてくる。なんだこの怪しい奴はと喉を鳴らしたとき、唐突に教室のドアがガラッと開いた。


 俺たち生徒は一斉に目を見張る。そこにはガタイのいいゴリラみたいな先生がいたのだ。あ、ゴリラ先生、無事だったんだ。


「東堂先生、困りますよ。就任早々、生徒を脅すようなことを言うなら校長に伝えますからね」

「ぐっ! そ、それは困る!」


 困るのかよ。

 ゴリラ先生の説教は尚も続き、正座の俺、そして立ちっぱなしのユウリとかいう線の細い男だけが、どうしていいのか分からず気まずい思いをしていた。




 ぺかっと光る真新しい机が俺のすぐ隣に置かれた。

 横を見ると青よりも少し落ち着いた色の瞳があり、ふんわりとはにかんでくる男子がいる。驚くほど首が細いし、また瞳も大きい。これで本当にナニがついているのか疑問に思うし、漂ってくる香りが完全に女子なんだけど。


 気まずい思いをしている俺に、まつげの長いそいつが顔を近づけてきた。


「よろしく、群青君。さっきはうちの東堂がごめんね」


 ぽそっと心地よい声で囁かれて、さらに気まずさは増す。

 どうしてかというと、同性なのに「めっちゃ可愛い」と脳が勝手に判断しているからだ。やめろ。やめてくれ。勝手に誤認するんじゃない。


「ああ、それはいいんだけどさ……何で俺が机を並べることになったの?」

「それもごめんね。日本語は去年から勉強しているけど、まだ漢字までは読めなくて」


 ふわんふわんとした話し方をユウリはする。

 周囲に花が咲きそうな奴だなと思っていると、顎までかかる横髪をかきあげて、ちっさい耳を俺に差し出す。

 肌の白さ、それに警戒心のなさと相まって「完全に女子だろコイツ」と俺のほうが警戒することになった。


「ま、いいけど。それよりよく一年で会話を覚えられたな」

「ふふ、すごいでしょ」


 くったくのない笑みを向けられて、はためくカーテンの向こうにある青空をまぶしいと俺は感じた。


 世界的な名家であるオズガルド家がここに越してきた。

 そのご子息が俺と雨ケ崎のクラスにやってきたし、息も届くくらいの距離でこうして座っている。

 知らないうちに護衛役の教師や黒服が居座るようになった。


 そんな異様な状況だけど授業は淡々と進む。


 これまではいつも退屈で、息抜きとしてたまに窓の外を眺めるような授業だったが、今日はというと小声でぼそぼそと教科書の内容を読み、ユウリが真剣な顔で頷きながら慣れない日本語でノートを取るという少し変わったものになった。


 こいつ、けっこう真面目な奴なんだな。

 あんなにつまらない授業なのに、ノートにどうにか記そうとしているし。


「群青君の声、聞きやすい」


 唐突にぽそりとそう囁かれて、振り向くとユウリはまたもふんわりとはにかんでいた。


 ふと気づくのはいつの間にか肩がくっついていたことと、それに気づいたらしくわずかに赤く染まる頬。鮮やかな藍色の瞳はまた教科書に戻されて、横髪を指ですくうと小さな耳をそっと差し出してくる。

 なにこいつ、俺のこと好きなの? 結婚する?


 変わった奴だなと俺は思う。もしかしたら金持ちはみんなこういう風に変わっているのかな。


 その日の放課後、俺は雨ケ崎に呼び出された。

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