第40話 夏休み初日に早くも床が破壊されそうだ
夏休み、それも初日の朝というのは特別にして格別だ。
なぜならば学校に通うという制約がなくなったまさにその瞬間であり、最も自由を感じられる日だからだ。
この時間の学生たちは「働きづめの大人ザマア」と優越感に浸っており、ニヤニヤしながら朝を過ごしていることだろう。
しかしいまの俺はというと、額に青筋を浮かべながらジャコーッと炒飯を作っている。いや、作らされている。
「あーあ、せっかくの初日なのにこれだよ! まったくさー、誰かさんが意地悪をしなければ気持ちいい目覚めだったのにさー!」
その文句を聞いてくれるのは居間に寝そべるイザベラくらいで、むくりと頭だけ起こして俺を見つめる。
整った毛並みと愛らしい目。もうおばあちゃんなんだけど、歳を増すごとに可愛くなっていくのは少し不思議だなと思う。あいつとは正反対だ。
「いま私の悪口を言ったわよね」
がらっと戸を開くなりそう言い放たれて、俺の心臓が痛いくらいドキンと鳴る。
こいつは相変わらずの地獄耳だなと呆れつつ振り返ると、無表情ながらも不機嫌なオーラを発する雨ケ崎が立っていた。威風堂々とした立ち姿は、まさに仁王立ちである。
さっき言った通り、夏休みの初日というのは特別だ。
残り40日もの休みがあるので最も気楽に、そして最も自由を謳歌できる。幼馴染の雨ケ崎もまた同じ考えだったらしく、俺に飯を作らせているあいだに朝風呂を楽しむという暴挙に出た。
しかしだな、学校では品行方正な態度だというのに、こいつは俺の前だとなぜか気がゆるむ。かすかな谷間を覗かせる桃色のネグリジェなどという信じられない服装で現れやがった。
なだらかな胸のふくらみを見てしまい、俺はバッと振り返ったあとにババッと顔を元の角度に戻す。
おおおおーーいっ!
おいおいおい、おおおーいっ!
あったまおかしいんじゃねえの、アイツ!
夜ならならまだ分かるけどさ、明るい時間だとちょっとした犯罪臭がにじみ出てるよ? 男に見せたらいけない恰好だとなんでわかんないの?
などと炒飯を無意味にジャコジャコ焼きながら俺は苦悩する。
「誠一郎、私を無視するなんていい度胸ね。料理はいいから、ちょっとこっちを向きなさい。聞いているの?」
ぐいぐいと背中のシャツを引っ張られても、俺は無言をつらぬいた。あまねくすべての人間が持っている権利、黙秘権の発動である。冗談じゃないよ。こんな痴女みたいな恰好をした奴を直視できるかっての。
そう思っての権利行使だったが、ペシペシ背中を叩いてくるし、シャツの裾がずるんずるんになったり、キックしてきたりつねってきたりで非常にウザったらしい。
と、そんな猛攻がピタリと止んだので俺は怪訝に思った。
「もういいわ。あなたのことだから、きっとバカなことを考えているのね。さっさと炒飯を用意してくれるかしら?」
「あのな、俺は使用人じゃないぞ。そんな口を利くヒマがあったらジャージでも着てきたらどうっスか?」
そう言って振り返ると、雨ケ崎はなにかに気づいたようにピクンと顔を揺らす。察しのいい子は嫌いだよと思うのだが、雨ケ崎はこういうとき妙に勘が鋭い。
「……へえ、あなたもそれっぽい反応をするのね。なんだか可愛いわ。子供みたいで」
そんなことを意味ありげに言われても、俺は絶対にドキドキしないぞ。雨ケ崎は弱みを見つけた者特有のニチャアという笑みを浮かべているし、むしろ眺めていてムカムカする。
「おっぱい見えてるよ? 平気?」
ババッと胸元を見下ろす様子に、プークスクスと笑う。その瞬間、床から雨ケ崎の足が跳ね上がり、股間のあいだをまっすぐ抜けてこようとする動きに冷汗が流れ落ちて……ぎりっぎりのところで手で止めた。ああ、さっき桃色キャミソールを見たとき以上に心臓が暴れ狂っていやがるな。息子の死を迎えかけたのだからやむなしか。
「チッ、先に髪を乾かしてくるわ。着替えるから覗かないでね」
おいおい、舌打ちしたぞこのバカ女。
でも肝が冷えまくったおかげでエッチな気分が抜けてくれたのは幸いだ。おまけに着替えてくれるのなら言うことない。
そう思っていたのだが、背中を向けて歩いてゆく雨ケ崎はというと、薄い布のせいで形の良いお尻が丸わかりで……不覚にも鼻の下がずるっと伸びた。
くっそ、相変わらず俺の好みのドストライクな容姿をしやがって。これで性格さえ良ければなぁ。神様はどうしてこんな組み合わせにしたんだろう。光りと闇の同時詠唱でもしてんのかよ。
などと嘆き悲しみながら、俺は炒飯をお皿に盛り始めた。
ストンと目の前に座る雨ケ崎は、半そでシャツというシンプルな服装に変わっていた。いつもと異なるのは三つ編みのお下げくらいで、これはこれで清楚な感じがして可愛らしい。絶対に口に出して褒めたりはしないけど、心のなかであれば素直にそう評価する。
「やっぱり雨ケ崎って可愛いよな」
もぐりとレンゲで炒飯を口に運ぶ途中だった雨ケ崎は、その姿勢のまま瞳を見開く。
きゃあああ、正直に言っちゃった! バカバカ、俺のバカ! 昔からそうなんだけど、思ったことを口にすることがたまにあるんだ!
彼女以上に目を見開くことになったけど、しかし俺の心配をよそに雨ケ崎は普段通りでなにも変わらなかった。
「あらそう、ありがとう。あなたも褒めるときは褒めるのね。安心したわ。人並みの感性を持ち合わせていることに。……ちょっと脱衣所に忘れ物があったから取りに行ってくるわね」
そう言って背を向けると廊下の向こうに消えてゆく。
ホッと安心したよ。変なことを口走ったせいで、ぎくしゃくするのはできるだけ避けたい。
なんだかんだあいつといる時間を楽しめているのだし、それはこのあいだ何日も一人きりで過ごしたせいで痛感した。小学生のころからずっと一緒に過ごしてきたせいで、いつの間にか離れたくない相手になっていたんだ。
もう何年の付き合いになるのかな。小学生のころからだから……などと思っていたときに、脱衣所のほうからドスドスと床を踏むような音が聞こえてくるな。
「どうした? Gでも出たのか?」
そう声をかけると、すっと脱衣所から雨ケ崎が戻ってきた。冷静な顔をしており、ならGじゃなかったかと俺は安堵する。
「せっかくの炒飯が冷めてしまうわ。早く食べましょう。それで、夏休みの初日をどう過ごすつもり? 特に予定がないのなら買い出しに行きたいわ」
「買い出し? ああ、菓子とかジュースとかか。引きこもりの定番アイテムだもんな。そうそう、前にやったオンゲーにアップデートが入ってさ、夏休みイベントが今日から始まったぞ」
「! それは見過ごせないわね! いいわ、買い出しと今日のぶんの宿題を済ませたらゲームで遊ぶことにするわ」
ニヤリと俺たちは不敵な笑みを浮かべあった。
しっかり宿題をしておくあたり、普段の優等生っぷりが現れている。俺もまあ勉強自体は嫌いじゃないし、きちんと勉強会をしているので親からうるさく言われないところもあるんだよね。
そういうわけで、夏休み初日は自堕落なゲーム大会をすることになったのである。
更新が遅くなり申し訳ありません。
お仕事の都合と別作を書き切ろうとしている最中で、時間があまりありません。
申し訳ありませんが、もうしばらく更新をお待ちくださいませ。




