測定室前での静けさ
廊下の突き当たりに、重厚な木扉が静かに佇んでいた。
魔力測定室――貴族の子女にとっては、自らの価値を半ば決められる場所。
だがヴィオラにとっては、朝の深呼吸ほどの意味もない。
扉の前で、リリアがそっと立ち止まる。
その指先は、緊張からか、淡く震えていた。
「お、お嬢様……」
声は囁きのように細い。「今朝こそ……測定針が……ほんの少しでも、動くと良いのですが……」
不安の色が、朝の光より薄く漂う。
ヴィオラは、静かに拳を握り直した。
ゆっくりと指を折り、柔らかな音さえ立てずに手の形を整える。
「動かぬ。」
その声は、水面に落ちる石のように淡々としている。
「だが、それでよい。」
リリアは一瞬まばたきをし、言葉の意味を測りかねているようだった。
気配の薄さと、悟りにも似た落ち着きが、どうしてこの美しい令嬢の口から出てくるのか――理解が追いつかない。
扉の向こうでは、測定器が静かに待っているはずだった。
昨日も、一昨日も、そして今日も。
何度試しても動かない針に、器具自身が困惑しているかのような光景を、リリアは何度も目にしてきた。
廊下の魔力灯がわずかに揺れ、ヴィオラの影が床に長く伸びる。
その影は薄く、しかしどこか鋭い。
まるでそこだけ空気の密度が違うかのように。
リリアは胸に手を当て、小さく息を整える。
「……お、お嬢様。どうか……どうか本当に、ご無理だけは……」
ヴィオラは扉に視線を向けたまま、柔らかく答えた。
「無理はせぬ。
呼吸を整えるだけじゃ。」
その言葉が落ちた瞬間、
廊下の空気が一拍、静かに凪いだ。
まるで世界そのものが、彼女の呼吸に合わせて息を潜めたように。
リリアは気づかぬまま、そっと背筋を伸ばしていた。
隣に立つ令嬢の“異質な静けさ”が、ほんの少しだけ伝染したのかもしれない。
そしてふたりは、重い扉を前に、静かに立ち尽くした。
今日もまた、測定器が答えるのは――
限りなく見えない、無風の数値だろう。
だが、その静けさの中にこそ、
ヴィオラという存在が揺らぎなく息づいていた。




