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『悪役令嬢ですが武の道を往く ― 元空手家おじさん、貴族社会を正拳突きで切り拓く!』  作者: 南蛇井


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“悪役令嬢イベントの予兆”

学院に入学してまだ数日――

ヴィオラは何もしていない。

本当に、驚くほど何も“特別なこと”をしていない。


だが、生徒たちの間では既に 一つの物語 が静かに形を取り始めていた。


■噂の源①:入学式での“異様な静けさ”


「……入学式の時さ、気づいた? あの人だけ空気が違ったよな」


「魔法陣が飛び交ってるのに、あそこだけ無音に感じたんだよ……」


「魔力ゼロなのに、光の鳥が避けてたって聞いた」


「背筋が……なんか、軍の教官みたいに真っ直ぐで……怖くない?」


小さな囁きは、驚きより畏れを含んでいた。


■噂の源②:廊下で“勝手に道が開く”


「今日も見たか? 彼女が歩くと廊下が割れるやつ」


「うん……目すら合わせてないのに、なぜか退いちゃうんだよ……俺らが」


「存在感が薄いのに……気配が重いってどういうこと?」


「気づいたら真後ろにいるの、心臓に悪い……」


ヴィオラはただ歩いているだけなのだが、

その“静けさ”が、逆に周囲の想像を膨らませていく。


■噂の源③:魔獣学での“本能の拒絶”


「あれは見た。ガチだった……」


「魔獣が一斉に怯えたやつ?」


「うん。マナキャットもスピリドッグも、全部固まって逃げた」


「魔獣って本能で動くんだろ? つまり、アレは――」


「――危険だってことだろ……?」


恐怖というより“理解できないもの”への戸惑いが、恐れを増幅する。


■噂の源④:図書館での“静謐の圧”


「司書のエルマーさんがさ、珍しく眉を上げてて……」


「魔力が吸い込まれてるように見えたって聞いたぞ」


「本読む姿も怖いんだよ……無駄がなさすぎて……」


「魔法じゃなくて武の人って……何それ……?」


学院中の噂は、まるで一本の線に結ばれるように集約していった。


■そして、生徒たちの中で出来上がった“物語”


・魔力ゼロなのに魔法生物が避ける

・魔獣が怯える

・道が割れる

・周囲の魔力が乱される

・背筋が軍人

・目が合うと魂が抜ける

・静かにしていると逆に怖い


もはや事実よりも、イメージだけが独り歩きしていた。


そして、そのイメージはこう呼ばれ始める。


「魔力ゼロのくせに怖い貴族令嬢」

「静かなる悪役令嬢候補」


もちろん、どれもヴィオラの耳には届いていない。


■ヴィオラ本人の感想(世界とのズレ)


昼休み、静かな中庭で。


ヴィオラは、深呼吸してから淡々と呟く。


「……ふむ。学院生活、問題なさそうだ」


その言葉を聞いた周囲の生徒が――

なぜか一歩、後ずさった。


ヴィオラは気づかない。

読者は笑う。

そして物語は、静かに“悪役令嬢イベント”へ向かっていく。




学院の廊下、食堂、中庭──

あらゆる場所で、ある名がひそやかに囁かれ始めていた。


ヴィオラ・エルステイン。


魔力ゼロの、静かすぎる令嬢。


最初は単なる目撃談だった。

だが、学院という小さな社会は、噂を “物語” に変えるのが得意だ。


◆ 入学式の静寂から生まれた誤解


「あの時……魔法が飛び交ってるのに、彼女だけ空気が違ったよな」


「魔法生物が避けたらしいぞ?

 魔力ゼロなのに、どうやって?」


「背筋……すごかった……軍の教官かと思った……」


入学式の大広間で、喧噪の中にただ一人だけいた“静寂の中心”。

その印象は、多くの新入生の心に刻まれていた。


◆ 廊下の“自動的に開く道”が尾ひれを生む


「すごかったよ……。

 誰も何も言ってないのに、スッって道が割れたんだ」


「気配薄いくせに……重い。意味わかんない」


「目が合う前に、背中がゾクってした。魂抜かれるかと……」


実際は皆が勝手に避けただけ。

だがその光景は、まるで“圧倒的格上の存在にひれ伏した”ように見えた。


◆ 魔獣学の噂が決定打になる


「魔獣が全部逃げたって本当?」


「隠れた。怯えて震えてた。

 だって、魔獣は本能で危険を察知するから……」


「魔力ゼロなのにだよ? 逆に怖いって!」


小型魔獣が一斉に逃げ出したあの瞬間は、

すでに学院中に“事件”として広がっていた。


真実はただの武の気配。

だが生徒たちはそれを“魔力を狂わせる何か”と解釈した。


◆ 図書館での静謐さが噂に深みを与える


「司書のエルマーが珍しく真剣に見てたよ。

 あの人、千冊以上の魔法書を読んだ魔力量評価の専門家なのに」


「彼女の周り、魔力が吸い込まれてるみたいだった……」


「異質……いや、悪役令嬢の素質あるだろ」


もはや噂は、事実から独り歩きを始めていた。


◆ そして、学院中に広がった“まとめ”


決定版とも言える噂話は、いつの間にかこうなっていた。


・「魔力ゼロなのに魔力を乱すらしい」

・「近づくと“気”が刺さる」

・「魔獣を沈黙させた実績あり」

・「貴族令嬢の顔して、裏では武の鬼」

・「視線を合わせると魂が抜ける」

・「学院の魔力灯が彼女の周りだけ揺れる」


──どれも事実ではない。

だが当人の無自覚な行動が、噂に説得力を与えてしまっていた。


「……ふむ。学院生活、問題なさそうだ」


昼休み、廊下でヴィオラがそう静かに呟いた瞬間。

周囲の生徒は一歩、自然に後ずさった。


本人はまったく気づいていない。


だが、学院では確実にひとつの“イベント”が進行していた。


──静かすぎる悪役令嬢の誕生、である。



① 朝の型(稽古)


朝。学院の裏庭はまだ人影が少なく、薄い霧が残っている。

そこでヴィオラは、ゆっくりと正拳を突き、型を一つひとつ丁寧に流す。


呼吸を整えるたび、木々の葉が震え、周囲の魔力粒子がふわりと揺れた。


もちろんそれは「空手の気合」で生じる微細な気流のせいなのだが——

偶然その場を通りかかった生徒には、まったく別のものに映った。


「……魔力の風だ……!

魔力ゼロのはずなのに……何か放ってる……」


「あれは上級魔法使いじゃないとできない“気魄”? こわ……」


ヴィオラはそんな誤解には気づかず、静かに一礼して庭を去った。


② 昼休みの呼吸法


人の少ない体育館裏。ヴィオラは壁にもたれ、目を閉じて深く息を吸う。


心身の調整のために、武道家として必ず行ってきた“呼吸法”。


呼吸に合わせて、周囲の魔力の濁りが薄くなり、空気が澄んだように見える。

ただの偶然——だが、近くを通った数人は青ざめた。


「い、今……彼女の周りだけ光が透明になってた……!」


「浄化してる……? 魔力を……?」


「魔力ゼロで浄化って何者……?」


ヴィオラはただ

「昼食後は息を整えれば、午後の稽古も問題ない」

と、ごく普通に思っているだけだった。


③ 無駄のない移動


廊下を歩くヴィオラ。

背筋は伸び、歩幅は一定。呼吸は深く、足音すらほとんどない。


「武の移動」を“日常の歩行”にしているせいで、周囲にいる者は無意識に身を引く。


結果、彼女の前には必ず綺麗な一本道ができる。


「うわ……来た……! 避けろ避けろ……圧が……!」


「押されてる……? いや、勝手に体が退いちゃう……!」


「あれ絶対……怒らせちゃいけないタイプの人……!」


ヴィオラは涼しい顔で、


「……ふむ。この学院は、通路でも礼儀正しいな」


と、本気で思っている。


④ 常に凜とした表情


それはヴィオラの“普通の顔”だった。


武道の稽古で培われた集中と平静。

ただそれだけだが、魔法学院の人々はその意味を別物として受け取る。


「……あの無表情、絶対怒ってるよな……?」


「あれは……決闘前の顔じゃないか……?」


「何かの“裁き”の前みたいな静けさがある……」


ヴィオラの心は晴れやかで、今日も平和そのものだった。


◆ 結果:誤解の連鎖は止まらない


ヴィオラの“いつも通り”が、学院ではすべて誤解される。

その誤解は尾ひれをつけ、静かに、しかし確実に膨らんでいく。


そして——

「魔力ゼロなのに、誰よりも怖い貴族令嬢」

という新たな称号が生まれつつあった。


本人だけがまったく知らないままに。



学院の昼休み。

中庭の木陰で、数人の生徒たちがひそひそと顔を寄せ合っていた。


「……見た? 今朝のあの令嬢。庭で木を揺らしてたって話」


「揺らしてたんじゃなくて、“揺れてた”んだよ。

 魔力ゼロなのに、魔力の風が起きたらしい」


「ていうかさ……最近もう、“キャラ設定”が固まってきてない?」


ひそひそ声は、いつしか妙な熱を帯びていく。


「分かる! あれって完全に……悪役令嬢ムーブじゃない?」


「いやいや、“静かなラスボス”だよ。

 動かないのに強いタイプ……剣聖とか拳聖とか、そんな感じ」


「攻略対象になると思ったけど……あれはならないね。

 存在が強すぎる」


「分かる……乙女ゲームだったら、

 最終章の“実は裏で暗躍していた真ボス”として出てくるタイプ……」


「……でも、ただ真っ直ぐ歩いてただけなんだけどね」


全員、同時に黙る。


――分かっているのだ。

噂のほとんどが誤解であり、実際の彼女は何もしていないことを。


ただ、何もしていない“その佇まい”が、物語を勝手に作り上げてしまうのだ。


教師たちもまた、この奇妙な熱に気づいていないわけではない。

だが――


「まぁ……害はないから……」

「むしろ静かでよろしい」


と、特に指導するでもなく、ただ静観している。


結果として、噂は放置され、自然に育ち、

まるで学院全体が劇作家になったかのように、

“悪役令嬢”という設定だけが、ひとり歩きしていくのだった。


放課後の学院の廊下は、昼間の喧騒が嘘のように静まっていた。

それでも生徒たちは完全には帰らず、なぜか――

“彼女の帰り支度が終わるのを、遠巻きに見守っている”。


廊下の中央に立つヴィオラは、いつも通り背筋を伸ばし、淡々と荷物を整えていた。

ほんの少し、今日を振り返るように目を閉じる。


魔獣学の実習はすこし混乱したが、原因は分からないまま。

図書館では静かに本を読めたし、授業にもきちんとついていけた。

特に困ることはない――彼女の感覚では、すべて順調そのもの。


ゆっくりと息を吸い、吐く。

空手の稽古前と同じ、深く静かな呼吸。


その瞬間――

周囲の生徒たちは、まるで不可視の圧に押されたように肩を震わせた。


「……今、空気が……」

「また、圧が……」

「ひっ……!」


本人は気づいていない。


ヴィオラは自然な声音で、ぽつりと言った。


「……ふむ。学院生活、問題なさそうだ」


ただの独り言。

ただの冷静な自己評価。


だが――

その落ち着いた声音が、周囲には“判決宣告”のように響いた。


生徒たちは条件反射のように、一歩あとずさる。


「ま、問題ないって……」

「いよいよ本格的に……悪役令嬢の貫禄……」

「いや、ラスボスでしょ……」

「私まだ怒らせてないよね……?」


ひそひそ声が跳ねるように広がる中、

ヴィオラは困ったように小首をかしげた。


(……丁寧な者が多い学院だ。歩きやすくて助かる)


その無垢すぎる感想だけが、静かに胸に浮かぶ。


そして――

周囲の誤解は、もはや確信へと変わりつつあった。


こうして学院は、

“魔力ゼロなのに怖い貴族令嬢”

“静かすぎる悪役令嬢”

という、まったく的外れな物語を勝手に紡ぎ始める。


静かで平和な放課後の廊下に、

小さな――しかし決定的な

“悪役令嬢イベントの幕開け”が刻まれた。




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