「気配が希薄すぎる」違和感
リリアは、そっと胸に手を当てていた。
先ほど、ほんの一瞬だけ。
まるで部屋の空気そのものが、ひとつ呼吸を忘れたような――そんな妙な“穴”を感じたのだ。
「お、お嬢様……」
声は震えていたが、控えめさを失わぬ程度に押さえ込まれている。
ヴィオラは、ゆるやかに首を傾げただけだった。
白い髪が、朝の光を静かに跳ね返す。
「どうした」
「い、いま……ほんの一瞬だけですが……
その……“お姿が、そこにない気配”と申しますか……」
リリアは眉尻を下げ、言葉を選ぶように喉を揺らす。
言ってみれば、意味のわからない恐怖だ。
確かに目の前には公爵令嬢がいる。
しかし感覚だけが、彼女の存在を拒んでしまう瞬間があった。
ヴィオラは少しだけ黙し、それから淡々と告げた。
「呼吸を整えると、気配は薄くなる」
「……は、はい?」
リリアはまばたきを忘れた。
「息を深く吸い、静かに吐く。
それだけで、体の力が抜ける。
力が抜ければ、気配も薄まる」
「そ、そういう……ものなのですか……?」
侍女の戸惑いは、朝靄のように薄く震えた。
魔力という名の“色”と“波”を基準に生きるこの世界では、
存在感が薄いということは、魔力の流れが弱い――
すなわち“不気味”の一言に尽きる。
だが当のヴィオラは、ただ日常的なことを言っているだけだった。
「呼吸を乱せば、拳も乱れる。
逆もまた然りだ」
「け、拳……?」
リリアの声にまた震えが混じる。
ヴィオラは、ひどく静かに微笑んだ。
その笑みは、朝の白い光に溶け込んで輪郭を曖昧にした。
「気にするほどのことではない」
たったそれだけだった。
しかし、その瞬間。
――また、空気がひとつ息を止めた。
リリアはぞくりと背筋を冷やしながらも、
なぜか“このお嬢様は危険ではない”と心のどこかで確信している自分に気づき、
ますます理解が追いつかなくなるのだった。




