侍女リリアの登場
扉の向こうで、小さく息をのみ、何かを整える気配がした。
静かな廊下に響くのは、ほんの短い呼吸の揺れ――
この屋敷では珍しい、ささやかな乱れである。
「……お嬢様……失礼いたします」
控えめなノックのあと、扉がわずかに軋み、
そこから淡い茶色の髪を揺らしながら侍女リリアが姿をのぞかせた。
彼女の瞳は、驚きと安堵と、説明のつかない不安を同時に宿していた。
「お嬢様! お目覚めに……あの……その、お加減は?」
声は震えているが、礼儀作法だけは完璧だった。
しかし、ベッドの上のヴィオラはただ、
静かに呼吸のリズムを整えたまま、淡い眼差しで応じた。
「問題ない。呼吸も乱れておらぬ」
リリアは一瞬、言葉を失う。
目の前にいるのは、
白い髪をゆったりと肩に落とした、美しい公爵令嬢――のはずだった。
しかしその顔に浮かぶ静けさは、まるで
長年道場の隅で黙想を続けてきた老人のそれに近い。
「……そ、そうですか。乱れて……おられないのですね」
リリアは胸の前で指をそっと組み、
“胸をなでおろすべきか、警戒すべきか”判断がつかぬまま、微妙に揺れた。
ヴィオラはわずかに首を傾げ、
まるで鳥の声を聞くように自然な仕草で、侍女を見つめる。
「何か、気にかかることがあるのか?」
「い、いえ……その……お嬢様があまりに静かで……
まるで……息を、されていないように思えて……」
「しておる。必要な分だけ」
「……必要な、分……」
リリアの困惑はさらに深まったが、
しかしその困惑も、ヴィオラの静けさに吸い込まれていく。
まるでこの部屋では、
戸惑いすらも深呼吸してしまうかのようだった。




