3/51
鏡に映る“自分ではない自分”
枕元に、朝の光を薄く宿した銀の手鏡が置かれていた。
ヴィオラ――いや、元・おじさんは、静かにそれへ手を伸ばす。
鏡面は冷たく、薄氷のような感触がした。
角度を傾けると、白い髪の少女がふわりと映りこむ。
透き通るような肌。
眠りの余韻を残す細い睫毛。
かつて見慣れていた、日焼けした額の皺も、潰れた拳の節張りもない。
ここには“武道家のおじさん”の影は、どこにもない。
しばらく眺めたあと、彼女はただ短く息を吐いた。
「……なるほど。
これは、そういうことか」
驚きよりも、受け入れが早い。
長年、呼吸を整え、状況を見極め、事実だけを淡々と飲み込むことを繰り返してきた身体と心が、
こういう非常事態にさえ静かに順応してしまう。
少女の顔が、鏡の中でわずかに瞬きをした。
その表情には、動揺の影はない。
ただ、朝露に触れるような淡い静けさだけがあった。
「顔が変わろうとも、呼吸は同じじゃ。
なら、問題あるまい」
そのつぶやきが、鏡の向こうの少女に染み込むように消えていった。




