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019

「やっぱり、望の言った通りだった」

 背後で拳銃を構えるセフィリアが、ふとそんな言葉を漏らす。顔は伏せていて表情がよく分からなかったが、声にはっきりと悔恨の色が混じっているのは分かった。

 とりあえず、その拳銃はどこから持ってきたの? と聞きたい望だったが、それはそれでこの雰囲気がブチ壊しになるだろうなぁと思い、言い留まる。

 きっと、自分が寝ている間にどこからか持ってきたのだろうと推察して、思考を切った。

 ここには〝全て〟があるのだから。

 それよりも。

「やっぱりって?」

「『人間は《欲望》と《愚鈍》と《冷血》でできている』っていう話だよ。……私、もう放したくない。貴方が与えてくれた自由を。……人間として生きることができる生き方を」

 拳銃のグリップが力強く握られる。固く冷たい感触が頭蓋骨を通して直に伝わってくる。

 だからこそ、分かる。あぁ、彼女は本当のことを言っているのだと。


 ――小刻みに震える拳銃の振動も一緒に伝わって来るのが分かるから。


「『願いが叶えばそれでいい』っていうのは本当。『叶えるために生きてきた』というのも本当のこと。……だけど、ダメだね」


 拳銃を通して伝わってくるセフィリアの感情は〝祈り〟だ。

 ――今度は『手に入れた〝自由ねがい〟を二度と手放したくない』という祈り。


「それで、僕を殺して世界と自由を手に入れたいって?」

 望は両手を上げて言葉を紡いだ。セフィリアの言葉に望は軽蔑も憤りも感じない。それが人間として当然の姿だと認識しているから。

「だから……死んで? お願いだから」

 セフィリアの頬を伝う涙がぽたり、とベッドの上に落ちた。

 落ちた雫は一度ではなかった。幾度となく伝ったのであろうそのしずくは、ベッドの上に大きな染みを残していた。

 そんな彼女の声を聞いたから。精一杯の覚悟をもって生きることを選択したから。

 だから望は、


「いいよ」


 そうはっきりと告げた。躊躇うこともなく出された望の声に、

「えっ――」

 一瞬、セフィリアは言葉を詰まらせたが、望はゆっくりと彼女が理解できるように、優しく静かに告げた。

「だから、『いいよ』って言ってるのさ。〝どうぞ僕を殺してください〟って」

「な、んで……」

「なぜ? なぜって……別に死んでもいいかな? ってそう思ったから」

「でもっ! 世界が消えちゃうんだよ! 望はその人たちの、見ず知らずの人の命や家族や生き方、生活……全て背負えるとでも言うの? 望はそれでもいいの?」

 引き金に掛けられていた指がわずかに動く。まだ迷いがあるのか、引き金が引かれる様子はなく、望の心臓は今この瞬間にも一生懸命「生」を体現していた。

「それを返すならさ、セフィリアも同じでしょ?」

 望は突き付けられた銃口を後頭部から額へと自ら動いて再設定する。

 セフィリアが殺人者となり、望が殺されるという事実から逃げられなくするために。

 黒々と鈍い光を放つ拳銃を境に、セフィリアと向かい合う形だ。望は「いつ引き金を引かれて死んでもおかしくない」という状況の中、先ほどからまったく変わらない様子で淡々と口を動かしていた。

「自分が生きるために、『人殺し』かつ『その向こうの幾十億という名もない人を殺した』ことになるけど?」

 望の言葉が深くセフィリアを貫き、抉った。その事実については、正直セフィリア自身も聞きたくはなかったことではある。だがしかし、望は続けた。

 それは紛れもない事実なのだから。

「――〝人殺し〟〝大量殺戮者としての自責の念〟――。それを一生、一人で抱えて……。セフィリア、君はそれで生きていけるの?」

 哀しげに問いかける顔が目の前にあった。それを見た途端、セフィリアの手から拳銃がするりと滑り落ちた。

「そんなの……そんなの抱えられるわけないじゃない! でも、私は人間としての生き方を、自由を手放したくない! でも、でもどうしたらいいの!」

 悲痛な叫びが部屋を包んだ。どうしようもない行き場のない声が望をすり抜けていく。

 セフィリアはぽろぽろと大粒の涙を溢しながら、悲痛な訴えを望に浴びせかけていた。

「セフィリア……」

「望ぅぅぅぅ~……」

 優しい声が続いて部屋を響かせる。目の前で崩れた彼女を労わるようにして掛けられた声は、まるで母のような慈愛を錯覚させ、


「君って、本当に馬鹿だね。 なぜそんなに君って愚かなの?」


「へっ――?」

 前言撤回。続いて、セフィリアの胸中に一瞬だけ殺意が湧いた。

(……あれっ? 何だか方向がオカシくない?)

「まったく……。人一人満足に殺せない君に……。僕は――絶望するしかないじゃないか」

 ぼろぼろに泣きながら顔を上げたセフィリアの目の前。彼女の頭を優しく撫でていた少年は、そう言いながら悪戯っぽく笑っていた。



「結論、出なかったよ」

 一週間後、期限通り迎えにきた眞白に向かって、望は単刀直入にそう切り出した。

「そうですか。では、お話しした通り、ゼウスの面前にて決定します」

 眞白は踵を返して二人を先導する。望は自分達を先導する眞白の背中が哀しげに思えてならなかった。

「この先でゼウスが待っています」

 どれくらい歩いたのか、やがて先導していた眞白が目の前に立つ大きな扉の前で立ち止まった。セフィリアが立ち止まった眞白の背に問いかける。

「ちなみに、ゼウスの大きさってどのぐらい?」

「詳しくは分かりませんが……おそらく十階建てのビルよりかは大きいかと」

「そ、そんなになの? 知らなかったぁ~~」

「そんな事を聞いてどうするのですか?」

「いや、単なる好奇心からだよ♪」

「僕も同じかな」

 この期に及んで……と眞白は若干呆れながらも、ゆっくりと扉を開けた。


 コツコツと足音が響く。目の前にはあの匣の中で見た光景と同様の空間が広がっていた。

 しかし、以前とは異なり、無数の匣は無く、ただ伽藍洞の何もない空間が広がっているのみだった。

「お連れ致しました」

 眞白がそう言って二人から離れる。やがて、

「期限内に決められなかった判定者よ。事前に聞かされてはいるだろうが、改めてこの場で〝撰択〟をしてもらう」

 有無を言わさぬ圧力を持った声が空間内にこだまする。何もないためか、声は反響を重ねもはやどこから声を出しているのかすら分からなかった。響く声が聞こえたと同時に、シャボン玉のような薄い膜に覆われ、セフィリアと望、二人の身体がふわりと浮いた。

「えっ――」

「うわわっ!」

 ゆっくりと持ち上げられた身体は、しばらくして止まった。目の前には巨大な男の顔がこちらを睨んでいる。言われるまでもなく、ゼウスの顔だった。

「最後の審判だ。これより――」


「あー、ちょっと待ってくれないかな?」


 厳粛な言葉で始めようとしたゼウスの言葉を望は手で制して遮る。

「どちらか一方が生き残って、一方が消えるってさ、何か不平等だと思わない? だから、もういっそのこと〝どっちも消す〟ってのはどうかな?」

「どちらも消す、だと?」

「あぁ、いや……。僕はもう別に消えてもいいんだけどね。世界と人間に絶望しているから。でもさぁ、残った方は一生人殺しと大量殺戮者として傷を抱えることになるでしょ? ましてや〝撰択の儀〟なんんて、そんなこと誰も信じるわけがないし……」

「ふむ。では、どちらも消すというのは?」

「どちらの世界もそのまま残すのではない。双方の世界を――〝統合〟するってのはどうかな? ほら、これだったらどっちも遺恨を残さなくて済むし、万々歳じゃない?」


 ――二つの世界の統合。二つの世界を合わせて一つに。


 それが望の出した答えだった。

 それはどちらか一方だけが残り、片方は消滅するというルールを根底から崩すものだ。

「統合……だと? それがどんなことを意味しているのか分かっているのか? 選んできた撰択が異なる世界は、もはやそれだけで一つの独立した世界だ。それを統合するとどうなるか……。最悪世界そのものが破綻するぞ?」

 ゼウスは何も根拠なく否定しているわけではない。社会のシステム、人口密度やバランス、科学技術……。二つの世界には程度の差こそあれ、明確な差異がある。大局的には些細な違いかもしれない。しかし、そうした小さな差異はやがて軋轢を生み、世界を巻き込む戦争にすら発展する可能性もある。単純に人口が二倍になり得ることで、人口問題、経済発展、環境破壊の可能性も無視できないだろう。


「ましてや――世界が維持できても自分が消えてしまう可能性もあるのだぞ?」


 念押しするかのようなゼウスの言葉が、二人の間に重く静かに響く。

「世界は歪みを直そうと力を働かせる。それは眠っているものを無理矢理殴り起こすようなものだ……。どのような影響が起こるか私にさえ想像がつかない……。だから私はこのようなルールにしたのだぞ? それをお前は否定した」

 望は突き付けられた危険性に対して、怯えることや躊躇うことはない。

「じゃあ、無理に管理しなくてもいいじゃないか。僕ならすぐに放棄しそうだけど?」

「管理されない世界など、もはや世界とは呼べん。秩序があり、管理とシステム化された営みがあるからこそ世界として成立するのだ」

「そうかな? まぁ、別にカミサマが言うことに反論なんてないのだけれどさ……。ただ――」

 瞬間、望の顔にどこか嗜虐的とさえ思える笑みが浮かんだ。どこかこの状況を愉しんでいるようにも思えるその笑顔は、見る者にぞっとするほどの不気味な感情を植え付ける。


 ――リスクが無い撰択なんてありはしないんだヨ。


「人口問題? 環境問題? 存在の消失? ……ゼウス、君は〝カミサマ〟なんだろ? なんだってそんな人間と同じように愚かなことをしようとするのさ。それとも僕が馬鹿だと暗に言いたいわけなのかな?」

 セフィリアと眞白は望の言葉に何も言えなかった。

 目の前の神様に何言っちゃってんだコイツは? などと思う。

 だけども、これまでの経緯から二人はどこかで「これが希坂望という人間なんだ」とも思う。

 いつだって他人からは無茶苦茶に見えて、けれどもその答えは誰かを救うためのものに力が働く。

いつしか、美冬が言っていた言葉のように。


 〝最適解〟。


 それは誰にとって最適なのか? 

 それは目の前で苦しんでいる人のために、だ。

 望は何も求めない。

 ありのままを受け入れ、組み換え、ただ最適解(こたえを導くだけだ。


 『最適解』。


 それは誰にとっても最も適切な解答。

 それはその日、その時、その場所で誰もが望む最適解(ハッピーエンド)を導く魔法の言葉。

 望の出す最適解(こたえ)は、そういったものだ。終わってみれば皆――笑っているのだ。


「まったく、いくらカミサマだといっても、度し難いほど愚かだなぁ……。いや、救いようのないほどの馬鹿だと言ってやろうか? それとも僕が馬鹿なのか?」

 始まった。望の最終弁論が――。

「リスクのない撰択なんてこの世にあるわけがないさ。ゼウスが提唱したルールだって、片方の世界が消えることとか、判定者が罪の意識から再起不能になるリスクだってある。ましてや消去法で残された世界が良い世界だなんて保証はどこにもない。逆に僕が提唱した案もリスクはある」

 だから何だ? だからどうした?

 一瞬の静寂が広い空間を包み込んだ。しかし、それを破るように望は続ける。

「本当は好き勝手にやらせて欲しいし、世界を管理して欲しいだなんて頼んだ覚えもないけどね。まぁ、必要なら仕方がないのだろうけど、僕は双方の世界を〝統合〟することを提示するよ。なぜなら――」

 望はそう言ってシニカルに笑った。


 ――まったく新しい世界を造るなんて、こんなワクワクすることないだろ?


 ゼウスの眉がピクリと動く。

「まったく新しい世界を〝造る〟。これまでは『可能性の分岐』によって自然と造られた世界を、ゼウスが造り上げる。まぁ、それがどう転ぶかは、その住人である人間にかかることなんだろうけどね……。これまで、神様はただ見ているだけの存在でしかなかったのだろうさ。と同時にこれほど退屈で面白みのない仕事なんてないだろうね。ただありのままに起きている事象を淡々と見ているだけしかできないのだから。しかも、自分で造り上げたものでもない、ただそこに生まれてしまったものを見ているに過ぎないのだからね」

「望……」

 セフィリアは呟いた。言われてはじめて気づいた。望は、


 ――ゼウスを救おうとしているのではないか、と。

 『ゼウスは〝カミサマ〟である自分にもきっと「後悔」しているんじゃないだろうか』

 それはいつしか望が学校の屋上で呟いた言葉だ。

 セフィリアはカミサマと対峙する望の横顔をただ見つめていた。

 彼は何を捉え、何を感じ、何を考えているのだろうか、と。

「僕は両親という、この世で最も深く太い絆で結ばれた存在から、『失敗作(がらくた)』と烙印を押された人間さ。だから僕には分かる。何者からも見てもらえない、何者からも認めてもらえない孤独な存在の行く末を、行き着く考えを。……それは絶望だ」


 絶望しているから第三者的に世界を見る。

 絶望しているから無関心でいられる。

 絶望しているから考えられる。


「ゼウス――君は……認めてほしかったんだろ?」

 自分がいることを。

 自分が関わっていることを。

「だったら、新しい世界を造って認めさせてやればいいんだ。確かに世界はどこまでいってもクソったれだ。《現実(リアル)》はいつも無慈悲に、冷酷に選択肢をつきつける。だから何だっていうんだ? 人間は愚かでどうしようもないが、幸いにも知識と知恵は脳ミソの中に詰まっている生き物だ。問題が起きても自分たちなりに対処はするだろうさ」

 気づけば、望は自分の思いを散々にばらまいていた。思うがままに、心が、感情が、望の意識を素通りして口を動かし、空気を震わせる。

「だから認めさせるんだよ。『自分はココだ!』ってな! そもそも結論は誰が出すものだ? 

世界という状況? 今、この場所という環境? 『撰択の儀』というゲームのルール? 希坂望という他人?  ――違う。すべて違う。大間違いだ。一つたりとも合っちゃいない。状況とか環境とかルールや他人じゃない。全部自分で考えて導くものさ。認めてほしかったら、自分で泣いて喚いて訴えろ。どうせ、もう絶望の底の底まで行ってるんだ。もう落ちるとこまで落ちて、下はもうないんだろ? だったら這い上がって、駈け上がってみせろよ」

 自分と同じだと思ったから。だから救いたいと思った。望には何の力もないただの人間だ。ちょっとばかり思考する方向が他人と違っているが、ただ望は知っている。

 ――絶望という闇を。それを抱えて進む強さを。

「駈け上がった先で、見下ろしていた奴を逆に自分が見下してみればいい。きっと、ゾクゾクするほど爽快な気分になるからさ」

 瞬間、何かが弾けるように光が満ち溢れた。白く輝く光が辺りを包み込み、やがて何も見えなくなった。白い光は全てを包み、その温かさとともに一つの声を届ける。


 ――うわぁぁぁぁん、うわぁぁぁぁん……。


 遠くで誰かが泣いている声が聞こえてくる。声とともに、光も収束し、やがて消えていく。

「ひっく……うっ、うぅ……」

 いつの間にか宙に浮いていた身体は床に降り立ち、望とセフィリアの前には小学校低学年ほどの幼い男の子が顔を腫らして泣いていた。少年の涙はとめどなく溢れ、顔は涙でぐずぐずになっていた。

「この男の子が……?」

 セフィリアが唖然とした表情で望に訊ねる。

「たぶんね」

 望は目の前の幼い男の子に歩み寄り、

「君がゼウスだろ?」

「う、うん……」

 幼い男の子は涙を止めてそう頷いた。



「いつから気づいていたの?」

 幼い男の子――ゼウスはそう望に訊ねた。

「最初は分からなかったよ。でも、なんとなく気づいたのはこの儀式のシステムをすべて聞いた時だったかな? ルールとしては分かりやすいけど、眞白がちょくちょく顔を出したりサポートしていたり、君も世界に対して干渉的だったのもあったし」

「そんな前から?」

 セフィリアが驚いたように望を見やった。望は驚く彼女の顔を見ながら呆れるように、

「はぁ……。オカシイとは思わなかったのかい? 『判定者は決して自分の世界を判定することはできない。できるのは、ペアとなった相手の世界についてのみ……。判定者とそのパートナー以外の判定者からの介入・干渉は一切許されない』」

「えっ? だから?」

「『ペアとなった相手の世界についてのみ。判定者と〝そのパートナー以外の判定者〟からの介入・干渉は一切許されない』というルールだけど……。判定者の干渉は許されないのに、なぜ運営者側の干渉は許されるのか? というのがオカシイってこと。僕達判定者は〝世界を残すか消すか〟という大事な、壮大な選択をしなきゃいけないのに、なぜ運営者は介入できるのか……。判定者に選択を委ねるのなら、誰も干渉しちゃいけないでしょ? もし、干渉してしまったらさ、いろんな思惑が絡んで撰択なんてできやしないじゃない? ……まぁ、ゼウスがこんなに幼い子どもだったということは予想できなかったけど」

「あ――っ!」

 望に指摘されて、セフィリアは気がついた。

 そう、これには別の意図が隠されていたのだということを。

 それは、


 ――忘れるな〝ゼウス(わたし)〟という存在がいるということ。

 ――自分で動いているようでいて、実際は「動かされている」という事実を。


 気づかされたセフィリアの顔には「なぜ黙っていた!」と若干の怒りが含まれていた。

「う~ん……バラしても良かったんだけど、確証がなかったしね」

 セフィリアの怒気を流すように、望はさらりとそう答えた。


 望は再び視線を目の前の男の子に戻した。

「さて……どうする? 僕の案か、君の案か。……どっちでもいいけど、もし君の案を取るなら消すのは僕の世界でいいよ」

「望っ!」

 セフィリアの声を望は制して続ける。

「言ったろ? 僕は『世界に絶望している』って。それに別に死んでもいいんだけどね。ただ、わくわくして面白いのは僕の案だと思うけど? 何せ、初めて君が世界を造るんだから……」

 望はそう言って、ゼウスの頭をくしゃっと撫でた。そして、ゼウスは決断する。

「わかった。君の言う通り、二人の世界を統合させることにするよ。僕が造った世界、初めて自分の意思で造る世界の行く末を見ているのが楽しそうだし。……それに――望が絶望しているのを、また見てみたいからね」

 頭に乗せられた望の手を押さえながら、ゼウスはにへらと笑ってそう答えた。



「これで良かったのですか?」

 セフィリアとゼウスが遊んでいる様子を眺めていた望に、眞白はそう訊ねた。

「何が?」

「世界の統合――それは確かに良い案だとは思います。しかし――二人の記憶が消える可能性もあるのですよ?」

 ゼウスは言っていた。可能性が分岐して生まれた世界、それは同じ人間が生まれ、双方の世界で生活していることもある、と。統合によって、二つの世界にいた人間は、一つにまとまり世界に存在するようになる。

 それはつまり、望が双方の世界にいた場合、統合された世界ではどちらの記憶を保持しているのかが分からなくなることを示す。

「運良く自分が相手のことを覚えていても、相手が自分のことを覚えていてくれる保証はありません。また、貴方の存在自体消えてしまう可能性も……」

「言ったでしょ? リスクのない撰択なんてないんだって」

「――それはそうですが……」

 眞白が言い淀み、声が萎むように縮み込む。

「やってみなくちゃわからないことだってある。たとえ可能性が低くても、出来てしまう場合だってある」

「ですが、確率的に――」

「まぁ、そうだね。確率的には低いと思う。というより、ほとんどないんじゃないかな?」

 ――でも。本当に「確率」という不確かなもので測れるのかとも望は思う。

「う~ん……例えばさ、コインを投げて一万回に一回の確率だとしても、十万回に一回だとしても……本当にそれを実行した人はいるのかな?」


 一万回コインを投げた?

 十万回コインを投げた?


「それは多分いないでしょう」

「うん。きっとほとんどの人が馬鹿馬鹿しいと諦めるだろうね」

 望は視線を動かさずにそう言った。

 それが人間として当たり前の行動だろうねと付け加えた上で、

「――でもさ、たとえそれを実行しても、最初に出来てしまうかもしれないでしょ?」

 眞白の視線の先には、わずがに頬緩めた望の顔があった。

「何が起きるか分からないから、僕は生きていけるのかもね」

 現に僕は何とか生きているわけだし、といった望の声はどこかあっけらかんとしていた。

「何が起きるか分からない――本当にそう思います」

 眞白は目の前で無邪気に遊ぶゼウス――幼い男の子の姿を見ながら、そう呟いた。

 何が起こるか分からない――。眞白はその言葉を噛みしめていた。

 それを今、眞白は見つめているのだから。

 

 しばらくして、望とセフィリアはそれぞれの「もといた場所」へと帰っていった――。



「望は面白いな!」

「――はい?」

 閉じていく扉を見ていた眞白の横で、小学生ぐらいの背丈の幼い男の子が無邪気に笑っていた。まるで新しい玩具を前に「これは何だろう?」と好奇心で目を輝かせるように。

「どうしてそう思われるのですか?」

「なんでだと思う?」

 意地悪にも、ゼウスは眞白に問い返した。眞白は首をひねり、やがて「わかりません」と小さく呟いた。

 ゼウスは、「それはね……」と前置きしたのち、

「――望は唯一、『自分を諦めていない』からだよ」

「それは――」

 眞白が続ける前に、ゼウスは続けた。

「二つに一つ。しかも自分の世界と生死を賭けたあの儀式で、望は『新たな第三の道』を示したでしょ? 普通なら目の前に突き付けられた状況に諦めて、受け入れてどちらかを選ぶよ。でも、望は違った。『自分で自分を諦める』のが嫌だった。どこまでも自分の力を信じていた。だからこそ、追い詰められたあんな状況でも、望はあれほどの柔軟な発想ができたんだと思う。諦めずに、自分が出すべき最適解(あらたなかいけつさく)の糸口を探したから。……だから僕は望が気に入ったんだ」

 ゼウスの解説に、眞白は「なるほど」と首肯した。

「それでどうするのですか? 私は消えるのですか?」

 眞白は冷静だった。確かに『消えたくはない』という思いもあった。だが、それはあくまでも眞白自身の思いでしかない。ゼウスという、自分の造物主の前では眞白の願いも風の前の塵に等しいものだった。

「う~ん。それで? って言われてもなぁ……。当面は望が提示した世界――僕が造り上げた世界を見てみたくなった、というのが正直なところかな。もともと儀式が終われば、眞白は消滅させる予定だったけれど、お前は他とはちょっと違う存在になっちゃったし」

 何か含みをもたせたように、ゼウスは眞白をちらりと見やり笑った。眞白もゼウスの意図したことが分かったのか、さっと頬を朱色に染めゼウスから視線をそらした。

「なっ、ななな、何を……」

「僕が知らないとでも思う? 眞白は僕の一部と言っていい存在なんだ。出すも消すも、僕の意思次第。……でも、お前は他とは違った道を歩いたな」

「違った道?」

「望が『名前』を与えたからさ。眞白っていう名前を持つことで、彼女は他とは違う個体となったんだよ」

「存在証明、ですか……」

「だね。……さて、これから面白くなりそうだ」

 くすくすと笑うゼウスの目の前で、扉は完全に閉じた。大きく伸びをしながら、ゼウスは眞白に向かって一言。

「それじゃ、これから望と一緒に過ごしてきてよ。僕としてはお前もどんなふうに成長するのか楽しみなんだ」

「えっ? でも……」

「『どうやって?』って?」

 ゼウスが先回りして口に出した。言いたいことを先に言われたためか、眞白はうなづくことしかできない。予想通りの反応に、ゼウスの口元が緩む。


「僕がどうして――全能神、なんて呼ばれてると思ってるのさ」


 ニカッと白い歯を眞白に見せながら、ゼウスは悪戯っぽく笑っていた。

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