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016

「二人とも知ってるかな? ……本当の絶望ってヤツを」

「本当の、絶望?」

「絶望は絶望ではないのですか?」

 二人の反応に、望はシニカルに笑った。何かを含むようなその笑みに、セフィリアと眞白は一瞬二の句がつげなかった。

「……違うよ。本当の絶望っていうのは、意外と柔らかくてぐらぐらと揺れるんだ。ちょうど皿にのったゼリーみたいにね。見たことない? よくテレビのCMとかで見るでしょ。プルプルと皿の上で揺れるゼリーとかプリンとか」

「は、はぁ……」

「テレビで見たことあるかも」

 二人は想像する。テレビのCMに映るようにプルプルと揺れるゼリーの画面を。柔らかく、脆そうではあっても、しっかりとそこに存在する存在感。

「僕は本当の絶望を知ってる。自分が親から『見捨てられた』という絶望を知っているから」

 望は二人の様子を見ながら静かに語り始めた。

 世界での自分の位置を。

 希坂望――彼の〝失敗作(がらくた)〟としての存在を。


「僕は、両親の愛情なんて注がれてこなかった。物心ついた時には、もう保育園や施設の中で、夜遅くまで親の帰りをひたすら待つ子供だったよ」

 望は「夜遅いから、いつ親が迎えに来たかなんて寝ちゃっていて分からなかったけどね」と付け加える。

「小学生になったら、もうすでに一人暮らし状態だったよ。あの時はもう寂しさと孤独感で、精神なんてズタズタのボロボロでさ……。なんとか必死に周りに溶け込もうとしたけど、なんだか周りに合わせて生きることが息苦しくなっちゃってね」

 肩を竦ませつつ、望は自らの過去を言葉に乗せて吐き出していった。興奮も見せず淡々と告げる望の表情は、セフィリアや眞白がゾッとするほどに無表情で不気味なものだった。


 周リハ誰モ助ケテクレナイ。

 誰モ自分ヲ、存在ヲ認メテクレナイ。

 誰モ愛情ヤ優シサナンテ注イデクレナイ。


 孤独、寂しさ、侘しさ、不安、恐怖――。どろりと粘つくように、自分に向けられた悪意。


 望は必死でそれらと戦った。自分自身を守るために、自分の存在を世界に証明するように。時に一人で戦い、時に周囲に合わせて自分を誤魔化して。

 まだ十歳にも満たない子供にとって、それはどれほど苦しいものだろうか。

 とうに少年の涙は涸れ果て、

 とうに少年の身体は戦い疲れていた。

 そう、幼い望にとっては視界に映る何もかもが、眩しく見えた。だからこそ、対照的な自分が嫌で辛かった。もうズタボロだった。使い古された雑巾のような身体と精神。そんな状態が続くことは、子供にとって重荷の他はない。

 すぐに限界は来た。

「そんな感じでフラストレーションが溜まりに溜まって、とうとう限界に来ちゃったみたいでさ。……そしてある日、とうとう僕は『なんで構ってくれないんだよ!』って叫んだんだ」

 それは凄絶な戦いの果てに、決意して叫んだ言葉だった。一人の幼い子供が、喉が切れそうなほどに叫び、泣き、訴えた言葉。

 それはまさに身を切り、血を吐くような想いで出た言葉だった。

 しかし――

「両親は何て言ったと思う? 二人は僕にこう言われたんだよ」


 ――お前は〝望んで生まれた子供じゃない〟。〝失敗〟して出来てしまった子供(がらくた)だ、ってね。


 その時の両親の姿は今でも昨日のことのように思い出せた。

 望の叫びにまったく耳を貸さず、

 まったくの無関心で、

 ぞっとするほど冷め切った顔で。


 ――まるで「今更気づいたのか?」と言いたげな態度と表情を望に向けて。


 父と母はそう言ったのだ。

 言われた瞬間、望は自分が何て言われたのかまったく理解できないでいた。

「両親は目の前の僕を指さして、面と向かって『お前は〝失敗作(がらくた)〟だ』って言い切った」

 失敗作(がらくた)

 その言葉が、どんな意味を持つのか理解した時、望の足元が音を立てて崩れた。

「その時かな? 目の前がぐにゃりと歪んで足元ががくがく揺れたのは。その時始めて分かったんだよ。……あぁ、本当の絶望ってこんな感じなんだって」

 愛情がなく、いつも孤独を抱えて生きてきた少年は、両親という最も深い宿縁のある人間から祝福されて生まれた子供ではなかった。

 大人達は残酷に突き付けた――お前は〝失敗〟の末に出来てしまった〝失敗作(がらくた)〟だ、と。

 現実を突き付けられた彼は、世界を、人間をどう思うだろうか。

 絶望するしか道はない。

 けれども。

「僕は同時に、こうも思った――」

 もしそれが絶望の底なのだとしたら。

 これ以上、落ちることが無いのなら。


 ――そこから這い上がったっていいんじゃないのか? って。


「僕はきっと、どうしようもないほどの負けず嫌いなんだろうね」

 自分で言った言葉に、くすくすと笑う望の姿は悪戯っぽい幼い少年のような印象を受けた。

「だから僕は生きている。たとえ誰からも、何からも望まれていない、不必要だと言われた僕であろうとも」

 だから生きるために、その術を見出すために望は必死で考える。

 狡く、卑しく、欺いて。

「僕は僕自身を守るために必死で考えた。どうすれば生きられるかを……。だから僕は親に頭を下げた。こういっちゃあなんだけどさ、土下座もしたよ。……そうでもしなければ、一人で生きていくことになる。子どもの僕が一人で生きるだなんて、土台無理な話だし、ましてや、お金は? 生活は? っていうことも考えたからね」

 切羽詰まるといろんなこと考えるんだよね、と望は笑いながらそんな言葉を付け加えた。

「両親、ね。私たち複製人間(クローン)は、ある程度までは工場内の施設で育てられたからなぁ……」

 セフィリアが望の言葉に重ねる様に呟く。望はくすりと笑って、

「なまじっか〝両親〟っていう存在がいるからこそ辛いんだよ。僕とセフィリアは『両親の存在がいる・いない』という点が違うのだけど、『最初から両親がいない』ということと、『両親に見放された』ということは、「捨てる」という意味では似ていても、両者は全然違うものだからね」

 諭すようにそう小さく呟いた。


 最初から希望(ひかり)がない者と、途中で希望(ひかり)を奪われた者。

 

 両者は似ているようで、そこには大きな壁がある。一度でも目の前に見えかけた希望(ひかり)を奪われた者は、その後に訪れる絶望(くらやみ)に無力感や虚無感を覚える。

 見えかけた希望(ひかり)を『奪われる』ことほど、残酷で辛いものはない。

「そうですか……」

「そういうもんなのかな?」

「そうだよ。今も僕は僕自身に絶望してる。だけど、それは角度を変えて見てれば『絶望の底にいる自分』だからこそ、そこからいくらでも這い上がれるって思えるんだ」

「結局、《現実》には絶望しているけれど、自分自身には絶望していないということなのではないのですか?」

 望は「確かにそうかもね」と笑ったまま、首を傾げるセフィリアを眺めていた。眞白とセフィリアの二人は思い思いの言葉を吐いて、それ以上何も言わなかった。

 わかってしまったから。

 彼は――今も抗っているのだと。

 自分の境遇や思考や思いに抗っているのだと。絶望した少年は底から這い上がる事を学び、実践しているのだ。ちょうど絶望を希望に転換するように。

 けれどもそれは――

「果てしないんだよなぁ……。乗り越えるって難しいよね……」

 望の声は虚空に消え、、ペラペラと眞白が本のページをめくる音だけがかすかに聞こえてくるだけだった。

 死刑実行まであと四日――。

 四日後、自分がどうなってるなんて分かるわけがないと思い、望は静かに目を閉じた。

 自分は預言者でも英雄でも権力者でもない。


 ――ただの非力な、欲望と愚鈍と冷血に塗れた、ただの人間の一人なのだから。



 何もしない、何もできない三日間はまるで退屈という名の地獄だった。どこかで見た「退屈は人をも殺す」という先人たちの言葉に妙に納得してしまう望だった。

 そして、望がセフィリアの世界に来てから六日目の朝――つまり、死刑実行の日。

 その日も世界は相変わらず回り続けていた。


「お前達に特別な趣向を凝らしたものを用意した。……真正面から堂々と制度廃止を訴えたお前等の行為に敬意を湛え、その最期の雄姿を全都市の人々に見せてやるという、なんとも心温まる処刑だ」

 これでもかと長ったらしい言葉を吐くが、つまり見せしめだった。

 望たちに手錠をかけ、牢獄から出るように命じた看守はそのような言葉をかけながら前を先導する。後ろにはいつしかの警備兵がにやにやと酷薄な笑顔を浮かべながら怪しい行動を起こさぬようにチェックの目を光らせる。

「はぁ……そうですか……」

 望はいたって平常心を保っていた。いや、既に刑場に連れて行かれること自体、相当なストレスのはずだ(現にセフィリアはふだんの緊張×五ぐらいで顔が真っ青だ)が、望はある事が気になってしょうがなかったのだ。

「ちなみに……その死刑にはこの都市のトップの方々も来られるのでしょうか? いっ、いえ……顔を見たことがないので、せめて最期ぐらいは見たいなぁと思うのですが……」

 望は下手に出て前を歩く看守に訊いた。看守は下手に出られたことが嬉しかったのか、気を良くしてべらべらと喋りはじめた。

「あぁ、来られるぞ。何せお前等が初めてらしいからな。正面切って制度の廃止を謳ったという愚かなヤツは……。それに、お前等の処刑の模様はテレビを通じて全都市中の住民に放映され、資料としても記憶としても永遠に残るだろうよ。カカカッ」

(扱いやすい人だなぁ……)

 訊いても無い事までべらべらと喋っている看守を見ながら、望はそう思った。


 明るい、と望が思ったのは一瞬だった。

 うっ、と目を細めつつ、辺りをうかがう。そこは広い広場だった。

「ここ、で?」

「そうだ。……あそこを見てみろ」

 看守が指し示すその指の先には、これまで幾人もの血を吸ってきたのだろうと思えるほどの古めかしい磔台があり、その周囲をテレビカメラがひしめき合うように場所を陣取っていた。

「これから『重犯罪人』の死刑執行を行う」

 高らかに宣言をする声とともに歓声が広がる。

 地鳴りのように響く歓声の声が望達の身体を揺らし、空気を震わせる。

(なんて狂った人間なんだ)

 そう思わざるを得ない光景が望の目の前に広がっていた。

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