015
零番街とその他の区域の境には、柵や扉といった仕切りは特段何もない。人々の意識下で「ここから先は零番街だ」という線引きがされているに過ぎない。
言い様の無い〝空気の密度〟と廃墟、廃ビルという風景が『人間』の住む領域と異なるだけだ。内にこもる濃密な空気が零番街を覆っている。その外側で人々は、日々豊かで便利で安全な世界を享受しているのだ。
しかし、それはまるでどこからも切り離された世界そのものだった。
「ふーん……。零番街の外って、意外と普通なんだ」
零番街を出て歩く望はふとそんな感想を漏らした。
「まぁ、見た目は人間も複製人間も同じだからね。ただ置かれている状況が違うだけだよ」
「ですが……恰好だけはどうにかしないと」
眞白はバッグから着替えを取り出すと、望の分を押しつけた。
「えっ?」
少しばかりのぞんざいな扱いに、望は戸惑いの表情を浮かべた。押しつけられた着替えを受け取りつつ眞白を見ると、
「いつまでもそんな汚い恰好じゃ、すぐに『人間ではない』とバレるではないですか……」
眞白がその白い顔を真っ赤に染めながら、
「着替えるのですが……えっちなのは……その……まだ早いと言いますか……」
もにゅもにゅ。
そんな言い淀む姿は、ある特定の人種なら「萌えぇぇぇ!」と狂喜乱舞することだろう。
正直、望も対処に焦った(セフィリアは悶絶していたが)。
「私も、ここまで来たのは初めてだから……」
着替えが終了し、セフィリアと眞白と合流してから数十分後、三人の視線の先には巨大な門扉が待ち構えていた。
「この先が……」
「そう、権力者たちの住まう処――」
セフィリアの声に望は顔を上げる。視線の先、門扉の先には螺旋状に伸びる巨大な塔がたてられ、その塔をぐるりと囲うように巨大な白い壁が堀のように敷設されていた。
「あの塔は?」
「重奏都市、リンドマリアの象徴――マフィストケサイア。別名、天国への階段」
セフィリアの声に、望は頭の中で、先日「情報検索」の際に見たこの都市の地図と重ね合わせた。
――重奏都市リンドマリア。
西には海が広がり、東は高い山々が連なる地形が描き出され、西地区には港湾機構や重化学工業地帯が広がっている。東の地区には山と緑に自然に囲まれた美しい景色が広がり、その麓は芸術が息づく活気ある町が広がっている。
零番街は、中心街からまっすぐ北の方に位置し、まるで隠れるようにひっそりと息を殺して静かに残っていた。
数十メートル先には、巨大な門扉とそれを潜るものをチェックする警備兵が一人。
「でも、どうする? 警備兵がいるとちょっとやっか――」
「あのーっ! すみません!」
警備兵を避けることもなく、堂々と走り寄る望の姿に、セフィリアは吹き出しそうになった(何とか必死でこらえたが)。
(ちょっ! 本気っ? 何してんのよ! 直談判するんなら、こんなところで捕まってる場合じゃないでしょうに! そんなものは軽くあしらって本丸突入でしょ?)
「ここの都市の一番偉い人に会わせて欲しいんだけど」
「何だお前は?」
「えっ? 僕? 僕は最近この都市――零番街にやってきた複製人間こと、希坂望と言います」
(あぁっ! 堂々と名乗りやがったコイツ! しかも何その眩しすぎる笑顔っ!)
後ろから追いかけるセフィリアがそう思うのも束の間、事態はどんどん進行していく。もちろん、いい方向ではなく悪い方向へと。
「複製人間? そんな者が何しにこんな所へ来た。ここから先はお前みたいなモノが不用意に入れる場所ではないんだぞ」
威圧するように凄む警備兵の殺意とか威圧とか圧力とかそんなヤバいオーラなど、まるでどこ吹く風のように受け流し、
「は、はぁ。いやぁ……なんでしたっけ? あのクソ忌々しくて愚かなやつ……あぁ! そうそう……生命身体修復保障制度――でしたっけ? それをちょっと廃止してもらおうかなぁ~、なんて思ってまして……」
「……はっ?」
ウンウン唸りながら訥々と発せられた望の言葉に、警備兵の表情が一瞬のうちに強張る。顔が曇り、不審者を見るような鋭い目が望を射抜く。
だが、「そんな相手のことは知ったことか」と告げるかのように、構うことなく望は続ける。
「いや、だから――
あのクソ忌々しくて、
馬鹿馬鹿しくて、
人間の愚かさの象徴とでもいうべき、
あの制度を一刻も早く、可及的速やかに――。
止めろっつってんだよ。ったく、何回言われなきゃ理解できないんだ? まったく、この都市の人間はみんなこうなのか? 絶望しかないじゃないか」
警備兵の目の前の少年は皮肉めいた笑いを浮かべながら、用件と来た目的を告げた。
後ろの眞白とセフィリアが追いついた時、既に事態は手の施しようがないほど悪化していたのは言うまでもない。
――結局、ガシャン! と気づいた時には、重厚な金属音が暗い空間にこだましていた。
「ちょ、出してよ!」
セフィリアがガシャガシャと格子戸を揺するが、びくともしない。三人の目の前には、太くて頑丈な鉄格子が行く手を阻んでいる。
警備兵の前で堂々と名乗り、かつ制度廃止を訴えた望達三人は、「危険思想の持ち主」と判断され、マフィストケサイア――重奏都市リンドマリアの中心塔の地下にある牢獄にブチ込まれたのだった。
「久しぶりだよ、お前達のような奴らが来るのは。以前にも危険思想者はいたにはいたが、お前のように正面から来たものは今までいなかった」
牢獄へブチ込めれた際、警備兵の一人がそう睥睨するような目をして吐き捨てる様に言ったのが、セフィリアの中で嫌に頭に残った。
「四日後、お前達の処刑が執り行われるそうだ。危険思想者は死刑が基本だからな」
そう言って鉄格子を締めた警備兵のあの顔――見下し、軽蔑し、その顔を冷笑に歪ませ、ただ望たちを見ていた顔は、忘れようにも忘れられなかった。
「もう! 望があそこであんなこと言わなきゃ、こうなることはなかったんだよ!」
セフィリアがヒステリックに叫び声を上げる。だが、望は隅の方であくびを一つ上げただけだった。
「どうするの! 四日後には私達死んじゃうんだよ? ……って、あれ?」
言って彼女は首をかしげる。おかしい。どう考えてもおかしい。
(このまま本当に死ぬ? そうだったっけ?)
セフィリアが記憶をたどり、一つの疑問を提示した。
――私ってこんなところで、こんな感じで死ぬことってできたっけ?
「あっ、気づいた?」
セフィリアの小さな声を耳にしたのか、隅でニヤニヤと笑った望が、その疑問を見透かすように問いかける。
彼はまるでそれは最初からすべてを知っていたかのように。
こうなる事を願い、予想していたかのように。
「僕達判定者が死ぬことができるのはどういうときだっけ、眞白?」
ニヤつきながらも、望は右手の人差し指で指揮を振りながらにんまりと笑い、眞白に「撰択の儀」についての基本的なルール説明を求めた。
「ゼウスによる〝撰択の儀〟が行われている以上、『判定者が死ぬ』ということが考えられる場合とは……たった一つの可能性だけです。それは――」
そう、それは絶対のルール。誰も破ることができないそれは――
「「パートナーの判定者に殺されたとき」」
セフィリアと眞白の声が重なった。
それは誰も破ることができないルールだ。
もし、今の段階で望やセフィリアを殺そうとすれば、ゼウスが定めた判定者の〝特権〟が自動的に作動する。
――〝絶対遵守〟。特権の第三、生命維持だ。
望が相川聡史から守られた時のように。
判定者は判定者以外の何物からも殺すことはできない。判定者は判定者しか殺せない。それを絶対のルールにするための特権なのだ。
「こうなること、分かっててあんな風に名乗ったり、堂々と目的を告げたりしたの?」
冷静さを取り戻したのか、セフィリアが望に訊ねた。
「う~ん。まぁ、予想はしてたけどね。贅沢を言えば、そのままご案内してくれた方が、さっさと事は進んだろうけど。でも、使えるモノは存分に使っとかないとね」
セフィリアは感心した顔をするが、一方の眞白は静かに本を読んでいた。
いやいや、どっから取り出したのさ、その本はっ! などと激しく突っ込みを入れたかったが、セフィリアはこの先どうするつもりなのかを聞きたかったため、あえてスルーを決め込む。
「で、どうするの?」
「どうすると言われてもなぁ……。とりあえずは動けない訳だし、僕はこの都市のことを調べてることにするよ。暇だしね」
望はタグを取り出し、情報検索のタブに触れる。立体映像が踊り、次々とモニターに情報を表示させていくのを眺めていた。
言い知れぬ安堵感がセフィリアを包む。
(何故だろう……全然不安じゃないや……)
制度廃止をするために、直談判に乗り込んだ。冗談でも何でもなく、真正面から敵の本拠地へと乗り込んだ。
誰もが無理と思うことをしようとし、
案の定、ソッコー捕まってこうして牢獄にぶち込まれ、
挙句、四日後には死刑だ処刑だと宣告された。
状況としてはもう手も足も出ない、誰だって絶望に打ちひしがれるものなのに。
望がいると、そんな絶望感から不思議と解放されたような気がした。
◆
希坂望を一言で表現するならば、それは「摩訶不思議」の一単語で説明がつくと眞白は思う。
(彼は人間と世界に絶望していたはず……)
そう思うのだが、それは彼の一面を言い表しているに過ぎないのではないかと思うのも事実だと思えた。現に、彼はまったく自分とは無関係の世界と人間を救おうとしているのだ。
(本当に摩訶不思議な人だ……)
眞白は心からそう思う。
名前のない自分に名前をつけ、
世界と人間に絶望し、
自分とまったく無関係の世界と人間を救う。
「どうした、眞白?」
眞白の視線に気づいたのか、望は操作していたタグの画面から顔を上げて眞白の方を見やった。
「どうして貴方は助けるような真似をするのですか? 絶望しているなら世界を消す方が早いのではないのですか?」
眞白は淡々と意見を言い、
「あ~、そうかも。私も、望が『自分がやるよ』って言ったから、売り言葉に買い言葉みたいにここまで来ちゃったケド……。確かにそうだよね。別に望がこんな事をする必要はないんじゃなかったの?」
セフィリアも眞白に同意して続ける。そして眞白は言い切った。射抜くような鋭い目を望に向けて。
「――はっきり言って、矛盾していませんか?」
行為、思考、行動、言葉。それの全てがちぐはぐで、結びつきなんてない。
眞白の言葉に望は手を顎に当てて考えた。
「矛盾、かぁ……。どうなんだろうね? でも、人間って得てして矛盾した生き物だと思うよ? かく言う僕もその人間のうちの一人だけど」
望はバツの悪そうに苦笑を浮かべながら続けた。そんな望の言葉に眞白の眉間に皺が寄る。
しかし、眞白に構うことなく望は言葉を紡ぐことを止めない。
「僕は《現実》に絶望してる。《現実》への絶望――これは僕の根っこに巣喰う、動かない想いだよ。だけど、僕は一度たりとも『自分に絶望』したことはない」
「で、でもなぜですか? 助ける義理なんてないでしょう?」
「確かにね。僕はこの世界の住人じゃない。けれど、人間ってさ、理性と感情の二つの側面があるんだよ。効率的で合理的に見えることでも、感情が、心が邪魔をする。好きや嫌い、愛とか憎悪……人間はそんなに論理的な生き物じゃない。だから、一見矛盾した行動もあるだろうし、無理無茶無謀なように見える時もある……。理屈じゃない。感情がそうさせるんだ」
「感情――」
「だからかな? 僕は衝動的に理不尽な《現実》ってヤツをブチを壊してみたくなるんだ。真っ当に考えれば、《現実》を壊したり変えたりすることのなんてナンセンスだよ。だって今まで安定で安全だったシステムそのものを壊すことなんだからね。僕の行いは他人から見ればそれこそ『ドン・キホーテ』のようなものだ。現実という巨大な壁に幾度も挑戦する滑稽な騎士なんだろうさ。……だけど、そうでもしなければクソったれな《現実》は変えられない。《現実》に絶望し、戦いを挑む――それは僕の『感情』がそうさせるんだ。理性じゃなく、感情――僕の強い想いがね」
一瞬の沈黙ののち、望は静かに告げた。
「……たぶんそれは、『僕が一番嫌いなもの』に抗っているからだと思うんだ」
「「一番嫌いなもの?」」
「一番嫌いなものに抗っている? ……では、その『一番嫌っているもの』とは?」
「私も聞いてみたいかも」
興味があった。
一番嫌いないもの、許せないもの――それはつまり自分の信念とも言うべきものだ。
素直に知りたいと思った。
望は若干辟易しながら、
「僕が嫌いなもの――それは自分自身だよ」
短く、簡潔にそう言い切った。
「僕は自分が大大大っ嫌いだ。外見だけじゃなくて、周囲に絶望を抱いて日々生きている自分も、人間を《欲望》と《愚鈍》と《冷血》でしか見ることができない自分も、すぐに諦めてしまう自分の思考も。何もかもに不満で、何一つ好きと言えるところがない、最低最悪な僕が嫌いなんだよ。あぁ、もう言ってるそばから悪寒がしてきた……」
「それは自分を卑下していると言えるのではないですか?」
「それって言い過ぎじゃあ……」
「そう? 僕は卑下しているなんて全然思わないけどね。僕は僕自身ですら絶望しているのだから。まぁでも、だからこそ僕は上を目指して這い上がれるんだけど」
望はからからと笑いながら、自分の思いを吐露していた。セフィリアと眞白は、意味深な望の言葉に思わず互いの顔を見合せていた。




