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014

「寒っ! いつまで僕はこうしていればいいんだろう……」

 具体的なことはまた明日ということで、三人はこうして夜の仕事へと繰り出した。

 とはいっても、眞白と望は素人同然なため仕事という仕事は無いに等しい。

(こんなことなら早く寝てしまえばよかったかな……)

 セフィリアの言葉を無視してしまうのも一つの選択肢だったが、貴重な経験ができると判断してセフィリアと一緒に店――「ナイトメア」まで来たのだが。

「そう言えば、男の子って必要だったっけ?」

 到着して早々、店の主人からの言葉に望は呆然とし、「せめて恰好だけでも」という温かくも余計な一言でスーツを着せられ、

「どうせ仕事も何もないから」

 と今の今まで入り口付近で突っ立っている。

(う~ん、ヒマだ……)

 吹きつける夜風に、身体がぶるりと震えあがる。ジャケットもなしに立っているのは、予想以上に辛いものがあった。

(店の中は、しばしの楽園……か)

 望はそう思いながら煌々とした光が漏れる店を眺めていた。

 女が誘い、それに誘われ群がる男たち。繰り広げられる制限時間付きのひとときの楽園。

 終わった後に待っているのは、代金請求という現実だ。

(なんか……。現実って本当に切ないよなぁ……)

 直面している《現実(リアル)》のもつ冷酷さに辟易しつつも、望は建物の方をどこか虚ろな目で見ることしかできなかった。

「でも、ホント……。人間て、つくづく貪欲で愚かで冷血だな」

 また一人、また一人と店の入り口をくぐる男の姿を目で追いながら、望の口から白い息とともにそんな言葉がポロリと零れ落ちる。

 自分の飽くなき欲望を埋めるため。

 社会という地獄の釜で煮られ、ぼろぼろに擦り切れた精神を癒すため。

 そんな個々の想いを抱きながら、男達は樹液に集まる虫のように、何かに吸い寄せられるように店へと入っていく。

 一時の夢を見なければ、彼らは現実には立ち向かえないのだろう。

 たとえ夢のあとに訪れる〝カネ〟という現実が待ち構えていても。

 望はそれを弱いとか負けなどと思うことはない。彼らは自分と違って生きることに希望を見出しているのだから。

(でも、まぁ人間はどれもみな、《欲望》と《愚鈍》と《冷血》でできているのは変わりないけどね……)

 ――ココだけは何があろうと変わらない。

 たとえ百人が百人とも「違う」と否定しても、望は素直に「はい、そうですか」と頷くことはできない。望は「あぁ、本当に自分は性悪説派なんだなぁ」などと実感する。人間は生まれながらに「悪」を抱えている、と。

 飽くなき欲望、野心。

 他人を見下し、侮蔑する目。

 他人には一切の無関心を貫く態度。

(はぁ……だから)

 だから、現実に絶望する。現実に打ちひしがれ、自分にはどうせ何もできないと嘆く人間に望は絶望を覚える。

 なぜ、彼ら彼女らは「もう、何もできない」と思考を停止させるのだろう?

 何もできないと言うのなら、なぜ……どうして生きているのだろう?

 なぜ、彼ら彼女らはそうして問題を先送りして満足するのだろう?

 本当は今でも何らかの手段があるかもしれないのに。確かに現実は理不尽で残酷でそれはそれでクソ面白くもないものだけど、なぜ彼らは自分に絶望するのだろうか。

 そんなくだらないことも気づかない人間に、望は絶望する。

 そんなふうに絶望するしかない自分と違い、わずかばかりの希望を見出し生きる人は素直に尊敬できる。矛盾するようでいて矛盾がない。自分は比率が多い方に目を向けてしまうから。

 要するに、物事の捉え方が違うだけの話なのだ。

 望は常に九九・九%のマイナスを見ている。でも、生きる人々は〇・一%のプラスに目を向けられている。だから尊敬しているのだ。ただ、後者の人が思考を停止し、問題を先送りし、ただ漫然と受け入れているときに望は絶望を覚えるのだが。

「寒くない?」

 思考の海に潜っていたためが、望は不意に掛けられた言葉に、瞬時に対応することができなかった。声のした方へと顔を向けると、視線の先には艶やかな服をその身に纏ったセフィリアがいた。この世界に来て初めて見た彼女の印象はガラリと変わっている。うっすらと化粧を施し、男を惑わせる衣装に身を包んだ彼女は、その内面に小さな魔性を秘めたものを感じさせた。

「別に。大丈夫だよ。……そっちは?」

「こっちはこっちでいつも通って感じかな?」

 セフィリアがにへらと笑って答える。その笑顔は、どこか憑き物が落ちたかのような晴れやかな笑顔があった。

 ナイトメアの店長いわく、

「ウチのモットーは『清く正しく健全に!』、『お客様に最高の楽園(エクスタシー)を!』」

 らしく、その言葉通り、本当の「娼婦」としての仕事は成人以上からというのが決まり事らしい。

 未成年はせいぜい店内の客の話し相手になるのがせいぜいで、

「私はそんなに擦り切れてないよ! まだ処女だよ!」

 店長からの言葉に驚く望に対して、慌てたようにセフィリアはそう答えた。

 処女だとか非処女だとか、そういった話題は公言していいものだろうかと望は思うが、あえて言わない(まぁ、女性としては大切な要素とも言えるのかもしれないが)。

(というより、指摘できないよ。こんな時、どうやって対処するのかね?)

 とりあえず、その時は無難に愛想笑いで返すことしかできない望だった。

「店の方はいいの?」

「う~ん、多分大丈夫だと思うよ。今日はそんなに込み合う日でもないし、ピークタイムは過ぎてるからね」

 彼女はそれだけ告げて、静かに望の隣に立った。しかし、瞬時にその顔に影が差す。

「本当にそんなこと……できるの?」

 不安げな表情を隠すようにセフィリアは訊ねた。

 生命身体修復保障制度――別名クローン代替制度の廃止。セフィリア達「代替品(スペアパーツ)」と呼ばれる者達を縛る制度。

 それを廃止させることは、軽蔑と憎悪を込めて「零番街(アウトサイド)」などと呼称されるこの区域に住む誰もが望み、願うことだった。

 この制度がある限り、「自分は人間以下の存在だ」と烙印を押されていることに等しい。人権という権利も生命の尊厳なんてものもありはしない。この制度の裏には、欲望と愚鈍と冷血に塗れた人間たちの思いが透けて見えそうでもある。

 だからこそセフィリアは制度廃止に向けて己の人生をかけて取り組んでいたのだ。相手は都市の中心部に住む高級官僚や政治家どもだ。

 カネと権力に溺れ、制度を構築して運用した者達――。彼らに復讐するために。


 けれども、セフィリアの目の前にいる少年は、それを「くだらない」と言い切った。


 加えて。

「――なんなら、僕がいる間に廃止にして見せようか?」

 大言壮語を放つにも程がある、とその時はセフィリア自身驚きを隠せなかった。今まで誰もできなかったのに、それを今日この世界に来たばかりの少年が解決させるという。ハッキリ言って無茶だとさえ思った。

「そんなの、やってみなくちゃわからないよ」

 自信満々に大言を放った少年は、先ほどの言葉とは裏腹に弱々しい言葉を吐く。

 普通なら、『絶対大丈夫だよ!』などと励ますような言葉をかけようものだが、希坂望という人物は生憎とそんなところまで気が回らない少年だったようで、セフィリアはがっくりと肩を落とした。こればっかりは御愁傷様としか言いようがない。

「えぇーっ、もう、どうしてそんなこと言うのかなぁ……」

「この世に〇%と一〇〇%なんてものは存在しないよ。誰だってどこかに必ず不安を抱えているものだよ」

「そうかもしれないけど……。でも、やっぱり励まして欲しいというか何というか……」

「でも、事実そういうものでしょ?」

 望はあっけらかんとした表情で言う。セフィリアはあの廃墟で見た少年と今目の前にいる少年が同一人物とは思えなかった。

 でも、どうしてだろう?

 彼女の中には何かが吹っ切れた感覚があった。今まできつくきつく張り詰めていたものが、ふっと緩んで軽くなった感覚。

「でも……ありがとう」

 少年の前には、穏やかに優しく微笑む顔があった。望はその彼女の美しさに、一瞬胸がドキリと高鳴る。女の子に対してこれまで無関心だった望だったが、セフィリアの見せた穏やかに優しく微笑んだ笑顔に、素直に美しいと思ってしまった。

 夜の闇はなお深く、濃くその色で空を染めていく。

 夜はまだ始まったばかりなのだ。

「風邪ひくよ? 望は店の裏で手伝ってよ」

「えっ? でも男には何もできないって店長が……」

「でも、本当かどうかは分からないでしょ?」

 くすりと笑うセフィリアにつられて、望もバツが悪いように笑う。そして、二人並んで店の中へと戻って行った。

 ちなみに、眞白は見かけによらずキツイことを言うキャラクターが客にウケたのか、「幼い女王」として男共から指名されていたらしい。

 罵られ、虐められることに快感(エクスタシー)を感じる一部の、偏った、癖のある人間から。

「……もう二度と行きたくありません」

 閉店後、苦虫を噛み潰した顔でそう漏らした眞白に、セフィリアと望は小さく笑い合った。



「ふわああぁぁぁ……」

 盛大なあくびをし、頭をガシガシと掻きながら望はセフィリアと眞白と一緒に零番街(アウトサイド)を歩いている。時刻は午前八時を過ぎた頃。普段なら学校へ登校している時刻だが、そもそも今いる世界の中で、望・セフィリア・眞白のいる立場から見るとそんなものは関係がない。

 というよりも、セフィリアをはじめとする複製人間(クローン)には、学校という教育機関など最初から用意されていない。必要なのは、代替品として機能することなのだから。

 どこからか聞き慣れた歌を口ずさんでしまいそうな生活だが、複製人間達は別に妖怪でも何でもない。人間の〝お仲間〟なのだ。

「う~~ん! 朝から動くのって相当キツイよぉ……」

 望の隣で歩くセフィリアが辛そうにぼやく。彼女にとっては日中=睡眠時間という昼夜逆転の生活が基本のため、こうして外で歩くことはリズムが狂うらしく、相当キツイとのことだった。

「キツくても我慢してよ。僕と眞白は土地鑑なんてないんだから、これから向かう場所がどこにあるかなんてわからないんだし」

「タグで情報検索して地図情報を出せばいいじゃない……」

「こんな場所でそんなことしたら、『珍しいもの持ってるナァ……』なんて言われてぼこぼこにされた挙句、タグを盗られるに決まってるじゃない」

 呆れるように言った望に眞白も同意して頷く。

 眞白はこの世界に来た時に持参した大きなスポーツバッグを、ふらつく足取りで担ぎながら、

「タグを盗られる=消滅ですから」

 と静かに告げた。眞白が付け加えた言葉に、望も「そうそう」と頷く。

(なんでこの二人はこんなにも意気投合しているのかな?)

 などとセフィリアの中で瞬時にそう言った思考が働くが、今は置いておくことにした。

「わかったよぉ~。でも、大丈夫なの? 判定者がそんなことして」

 気だるそうに文句を垂れながらも、セフィリアは不安だった。

「ルールブック読んだの?」

「う~ん。詳しくは読んでないけど……。でも、大体のことはあの時に説明受けたでしょ?」

 望が告げたのは〝撰択の儀〟におけるルールのことだ。


 一、世界を残したいのなら、相手の判定者を殺す。しかし、自分が死ぬこともできる。ただし、その場合は自分の世界も消すことになる。

 二、判定者は決して自分の世界を判定をすることはできない。できるのは、ペアとなった相手の世界についてのみ。判定者とそのパートナー以外の判定者からの介入・干渉は一切許されない。

 三、判定者にはそれぞれ特権が与えられる。意思決定(ディシジョン)情報検索(インフォメーション)生命維持(アライヴ)の三つ。

 これらが大まかなルールだが、それと今の現状を結びつけることはできない。

判定者が判定対象の(・・・・・・・・・)世界に干渉しちゃいけ(・・・・・・・・・・)ない(・・)というルールはどこにもないよ?」

 そんな望の言葉から、三人は正にクローン代替制度廃止への行動を起こしているのだ。望の行為がルールを裏読みした行為だと知ってか知らずかはともかくとして。

 この都市のトップに直談判をするという作戦もクソも何もない、傍から見れば「正気かよ!」ということを大真面目にしているのだ。

 セフィリアが不安がるのも無理はない。というより、どうせ出来ないと思っていた。

 そう思いながらセフィリアは隣の男の子を見ていた。

「うん?」

 男の子はところどころ跳ねた寝癖を気にする様子もなく、まるでピクニックにでも行くような陽気な鼻歌を唱っていた。

(なんだかものすっごく不安なんだよねぇ……)

 比率で言うなら、八対二の割合で不安の方が大きい。後の二はもしかしたら……という淡い期待だ。がっくりとうなだれそうになるのを必死でこらえ、セフィリアは都市の中心部へと続く道を先導していた。



「何って……お偉い方達に言うんだよ。『こんな制度、もう止めて』って」

 閉店後、廃墟の中へと戻った三人。その中の一人、セフィリア=キャンバロットは目の前の男の子――希坂望に対して「どうやって制度を廃止させるのか?」と訊ねた。

 その結果が、先の言葉だったのだが……訊いた瞬間、彼女の口が開いてふさがらなかったのは事実だ。傍から見ると、本っ当に馬鹿っぽい顔だったと後で思うのだが、それはさておき。

「要するに、直談判ってこと?」

「そうそう、その通り」

(本当に大丈夫なのだろうか、こんなことで。いや、目の前の男の子は考えているようで、実は何も考えていないんじゃあ……)

 などというセフィリアの不安を無視するかのように、望は淡々と話を続けていく。

「自分達が権力握って上に立って廃止させるという道もあるけどね。でも、現実的に考えてそれは無理だろうし、なおかつ……いつ実現できるのかはっきり分からないでしょ?」

 望は冷静に、肩を竦めて案その一を否定する。

「でも、それは時間がかかるとはいえ、最も有効な手段なのでは?」

 眞白が反論を加える。セフィリアもそう考えたからこそ、今まで生きていたのだが。

「有効? いやいや、全然ちっとも有効ではないでしょ」

 望が「またまた変なことを言うなぁ」と言いたげな顔をして笑う。そのちょっと見下したかのような顔にカチンと来たのはここでの秘密だ。

「クローンとは言え、所詮は人間の〝お仲間〟だよ。実際に上に立った人物というのは、得てしてカネと権力に溺れてそのままズルズル……なんていうのがオチだろうさ。それに、現実を見てごらんよ。クローンを人間として区別して管理し、あまつさえ自分達の代替品として利用する奴等だよ? クローン達の人権なんてものは、当の昔にゴミ箱行ってるさ……。そんな社会が、クローンを上に立てるとそもそも思う? 人権が認められてこそ、法律手段に訴えることができると言っても間違いじゃない。どちらにしろ、僕達は最初から手足をもがれた哀れな贄なんだよ。後はいつ料理されて食されるのかを待つばかりの存在ってわけ」

 望は両手を広げて再反論を加える。もはや眞白もセフィリアも何も言えなかった。

 そこまで深く、最悪の状態を想定していなかったからだ。

 だから――。

「にっちもさっちもいかないのだから、結局のところ直談判しかないわけ。まったく……この状況、本当に絶望するしかないな」

 望の軽く呻く声が二人の耳に届いた。

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