012
「う、う~ん……」
――声がした。
薄暗い部屋の中、何者かの声が聞こえてくる。そこはどこか閑散としていてだだっ広く、かすかに土ぼこりが舞う部屋の中だった。そんな状況の中、望はうっすらと目を開けた。
いつも定時にその激しい音で起こしてくれる、相棒こと目覚まし時計はいなかった。
寝ぼけまなこで望は周囲を確認する。最初は暗闇に慣れていなかった目も徐々に慣れはじめ、ようやく辺りの状況が見え始めた。あるのは光がなく薄暗い空間と、ぼろぼろの壁や倒れた柱がそこら中に転がっている。
(うん? ぼろぼろの壁? 倒れた柱?)
「どこだろ……ここ?」
セフィリア、眞白とともに生活を始めてから八日目――ゼウスの言葉通りなら、セフィリアの世界に来た初日。
希坂望は廃墟となったビルの一室で目を覚ました。
「セフィリア、ここ……どこ?」
「どこって……私の家~」
望は隣で寝ていたセフィリアを起こし、二人で周囲を確認する。朝陽も差さない薄暗い室内には、他に人気は見当たらなかった。
望はその薄暗い廃墟を、しばらくぼうっと眺めていた。廃墟と成り果てて時間が経っているのか、床の上にはほこりが降り積もっている。床もタイルがところどころ剥がれ落ち、灰色のコンクリートが顔をのぞかせていた。
壁紙も破れ、剥がれ、中には中の錆びた鉄筋が見える箇所もあった。天井の蛍光灯はすべて砕け散り、コードが剥き出しのまま下へと垂れているところもままあった。
「セフィリアの家? ここが?」
「うん。そうだよ」
隣で起きた彼女はそれだけ言うと、「おやすみ」と言ってセフィリアは二度寝を決め込む。
「ちょっと外に出てみたいんだけど、大丈夫?」
「大丈夫だけど……今動くと、夜キツイよぉ~」
『夜』という言葉が引っ掛かったが、すぐに思い至った。それは、望の横で今も眠り続ける同世代の彼女――セフィリア=キャンバロットの「職業」だ。
(なんだったっけ……。確か……)
――娼婦。
望はセフィリアが自分のパートナーである判定者と決まった時、首から下げたタグの機能を使い、彼女のプロフィールを見たことを思い出した。
職業欄に記載された彼女の仕事内容は望も知っている。
しかし、望は「なぜそんな仕事をしているのか?」とセフィリアにその背景を訊くことはしなかった。
――興味がないと言えば嘘になる。きっかけがあれば訊きてみたい、と望は思っていた。
けれども、訊いてしまったら今までの(といっても出会ってまだ一週間足らずだが)関係が壊れてしまうような気がしたのだ。彼女が自分の世界の話をする時、決まってその瞳が暗く淀むことを望は知っているから。
「わかったよ。でも折角別の世界に来たんだから、楽しんでみてもいいんじゃない?」
「そぉ? あんまり見るものってないと思うけど?」
「でもまぁ行ってみるよ」
望は立ち上がり、真っ直ぐ部屋を出ていこうとドアノブに手を――
「何してるんですか……」
「うわあああぁぁ!」
かけようと思った時、ひとりでにドアが開いたのだ。
ドアの向こうでは聞き覚えのある声が響いてきたが、運悪くこれから望が出て行こうとしたタイミングと重なり、結果として驚いた望はビクリと身を跳ね上げる羽目となった。
「まったく、お二人とも私がいなければてんでダメ人間じゃないですか」
蝋燭で燈された明かりに、眞白の雪よりも白い髪と肌がオレンジ色に染め上げられる。
「はぁ、すみません」
「いやぁ~、眞白っち……助かったよぉ~」
「助かった、ではありません……。まったく、私がいなければ明かりすらないなんて」
「面目ない」
しゅん、と縮こまるセフィリアを前に眞白が呆れる様に望を見やった。眞白のジト目が望を射抜くが、水を差し向けられた本人としては何がどう悪いのかも皆目見当がつかないというのが本音だった。
(えっ? 何かまずい?)
望は訳も分からないと言った状態で自分の身なりを見つめた。
極々普通のTシャツにジーンズ。そのTシャツの色と合わせる様に、上着として薄い灰色のジッパー付きパーカーを羽織っていた。
「そんな小綺麗な恰好をしていたら、一目で『人間』だと分かってしまうではないですか」
眞白の発言に、望はピクリと片眉を上げる。
(人間と分かる? いや、僕は紛れもない「人間」なんだけど……)
そんな風に冷静に自分を評価する望に眞白は何かを読み取ったのか、すぐさま顔をセフィリアの方へと向けた。
「セフィリアさん……貴方、自分の世界のこと、何も説明してないのですか?」
「してないよ。あぁ、でも『人間とは言わないで』っていうことは伝えたけど」
あの言葉か? と望は思い至るが、しかし――
「セフィリアさん、それだけだと『なぜそんな事をしないといけないのか?』といった前提部分がまるで分からないではないですか」
眞白が望の思っていたことをそのまま口に出す。一方のセフィリアは、キョトンとした顔で、
「そぉ? でも私も別に望の世界に来た時は説明とか受けてないよ?」
「あの世界では人間だけの世界ですし。それに初日の登校前に説明したのにまるで聞いていなかったじゃありませんか」
眞白の言葉に望は記憶を掘り起こした。確か、セフィリアが望の世界に来た初日、望が眞白に部屋から追い出されたことを思い出した。
「あぁ、あの時そんなことも話していたの?」
「えぇ、もちろん。でなければ、『判定者のサポートを行う』私の存在意義などありません」
望の言葉にキッチリ断言した眞白は、セフィリアと会話した初日のことを思い起こしながら饒舌に話し始める。
「置かれている世界の現状、今いる国の状況、社会秩序やパートナーのことについてなど……。最低限のことは話しましたよね」
「にゃはは~。すっかり忘れてた……ごめん」
「ごめんじゃないよ……」
望が呻くが来てしまった以上どうしようもない。過去を嘆いても、現状が好転することはまずないのだ。これ以上、何も言っても無駄だと望はすっぱりと諦めた。
「これで大丈夫なの?」
眞白から渡された着替えに袖を通した望は、思わずそんな声を漏らした。
なんというか――酷く汚い、というのが望の第一印象だった。
いや、汚いというよりみすぼらしいと言えば的確だろうか。
そんな出で立ちとなった望は、くるりと一回転して自分の身なりを改めて見ていた。
「この格好がこの世界の服装?」
「正確にはセフィリアの置かれている状況、この世界の秩序、社会構造に最も合致した服装――とも言えますが」
そう解説した眞白に、望は訝しげな目を向けた。「どう見ても変じゃない?」とセフィリアを見やるが、彼女は「そうかな?」と小首を傾げるだけだ。「むしろこっちが普通だよ」というセフィリアの言に眞白も頷くが、望には到底理解できないものだった。
「望、言い忘れてたけど……」
『この世界の服装』に不思議な顔を浮かべていた望を見ながら、急にセフィリアが思いつめた顔で言い淀んだ。
次の瞬間、セフィリアからの言葉に望は我が耳を疑った。
――私、人間じゃないの。
(えっ? 何それ? 人間じゃないって、宇宙人とか? あっ、でも冷静に考えると、宇宙人もヒトの一種なのかな……? 詳しくは分からないけど)
望の頭がクエスチョンマークで埋め尽くされる。
「えぇ~っとね? なんて言えばいいのかな……」
「複製人間」
セフィリアの隣にいた眞白が言葉を補う。
「そう! それそれ。私、実は複製人間なんだよ」
「複製人間?」
望はセフィリアの言葉が信じられなかった。望の知っているクローン人間はせいぜい映画や小説の中に出てくるフィクションの世界だけだった。稀にヒツジや牛のクローンはニュースで取り上げられて目にすることはこれまでに何回かあった。だが、望の世界では倫理的な問題でクローン人間を作ることは禁じられているのだ。
ここで「冗談だろ?」と一言で切り捨てるのは簡単だ。耳をふさぎ、目を閉じてこれ以上の情報が入らないようにすればいいのだから。
しかし、望にはなぜかそれができなかった。
なぜなら、自分を見つめるセフィリアの瞳の中に、どうしようもないほどの真剣さが宿っていたからだ。
「本当に? でも何故……?」
「それは、彼女ら複製人間たちが『代替品』として位置づけられるからです」
望の問いに顔を下に向けたセフィリアに代わり、眞白が答えた。
「だ、代替品……」
「そうです。ここでは、人間が事故や怪我等で身体に深刻なダメージを負った場合、複製人間のものを使って修復するのです。生命身体修復保障制度――別名クローン代替制度が、彼女らが存在する理由と目的です」
眞白は静かに告げた。目の前の蝋燭の火がゆらりと揺れる。
足りない部品を補うための代替品。それがセフィリアに課せられた役割と存在理由であった。
「そっかぁ……そんな制度がこの世界にはあるのかぁ……」
望は眞白の言葉を聞き、詳しい説明を受けた時――どうしようもなほどに腹の底から沸き起こる笑いを抑えるのに必死だった。
そうか。そんなにもこの世界は、人間は――
己の欲望に塗れて、
己の愚かさに気づかず鈍感で、
己と同じ種として生まれた彼ら彼女らに冷酷なのか。
(まったく、いやいやまったく。なんともまぁ……)
「《現実》は本当に――絶望しかないじゃないか」
うっすらとにやける口元を抑えながら、望はそう呟いた。
◆
望は眞白から一通りの説明を受けた後、部屋から出て外を歩いていた。
「ここはそういった複製人間が集まり区画整理された区域なのです」
通称――零番街。ここにはセフィリア達クローンが住まい、生活する場所。
眞白の説明を聞き、ある程度予想していたが……外へと出ると、そこは想像以上の場所だった。
建物はどれも廃墟と化し、ぼろぼろのコンクリートの破片があちらこちらに散らばっている。靴を履いているから良かったものの、裸足で歩けば一〇〇メートルも歩けば足の裏が血塗れになること間違いなし、とも言える状況だった。道にはゴミに溢れていて生ゴミの腐った強烈な臭いが鼻を刺激し涙が出そうになった。
(ここに住む人たちは、みんなこうなのか?)
街の中を歩き、すれ違う人々を望はただ眺めているしかなかった。
行き交う複製人間達はどれも顔を下に向け、覇気がないということが明らかだった。中には片腕を失くした者や片足を失い杖をついて引き摺るように歩く者もいた。その人々に共通しているのは、どれもその背中が悲壮感に満ちていたことだ。
「なるほどね……」
歩き疲れて道端の建築資材をベンチ代りに座った望は、周囲に誰もいないことを確認すると、首から下げていた銀色のドッグタグを指で二回ほどタップする。
(さてさて……。ここではどんな《現実》が顔を見せることやら)
すぐさま反応し、立体映像よろしく、鮮明なフォログラフィが目の前に展開する。
表示されたメニュー欄から「情報検索」のタブをタップし、望はこの今いる世界の情報を掻き集めた。
重奏都市、リンドマリア――それがセフィリアのいる都市の名前だった。このリンドマリアは大きく分けて科学と芸術の二つの要素から成り立っている都市だ。それが〝重奏都市〟とも呼ばれる由縁だった。
重奏都市の「重」とは、重化学工業を示している。精密機械産業を始めとする、機械、エネルギー関連産業、果ては生命情報技術関連産業といった様々な産業群。そうした最先端の科学技術が、複製人間などと言った存在を造り出すほどのテクノロジーを生み出した。
一方、「奏」とは芸術文化を指すようで、こちらは主に建築・絵画の面で優れた人物を過去に輩出しているということが分かった。
「――重奏都市リンドマリアは、貴方に豊かで快適な生活を提供いたします」
望はそのような文句を謳う都市を紹介したページを眺め、ちらりと視線を周囲へと動かした。
(……どこが『豊かで快適な生活』だよ)
立体映像上で踊る「豊かで快適な生活」と、その生活を実現するために犠牲となることを義務付けられた代替品たちが住む隠された区域。まるでこの零番街はリンドマリアの住人達にとって鏡のような存在に望には思えてならなかった。
そんな思いを抱きながら、視線を目の前の画面に戻してページをスクロールさせた。その指がある場所でぴくりと停止する。
「リンドマリアの歴史――」
止まった指の先には、そんな文字が表示されていた。望は丹念にそのページをスクロールしていく。
それによれば、ここ重奏都市、リンドマリアはもともと小さな小国だった。しかし、この国は世界を巻き込んで行われた戦争により、その経済的発展を築く基盤作りに成功した。
地下資源に恵まれていたことも幸いし、世界大戦の後期には他の追随を許さないほどの経済大国となった。
「こういうところは、世界が変わっても同じか……」
望が住んでいた日本も、東西の冷戦とその間の朝鮮戦争をきっかけに経済成長を遂げたようなものだしなぁ……などと思い返す。戦争はどちらにしろ資源が多い方が勝つに決まっている。
テクノロジーも同様だ。敵より豊富にあれば選択できる手段が増える。戦況を優位に進められ、それは後々の発展にも役立つ。資源もそうだ。多ければ多いほど兵器の量産化は可能になる。兵士となる人間であっても所詮は同じだ。
しかし、戦後にこの国は重大な課題を背負うことになった。
それは――
「復員兵士の保障制度、だろうな……」
望が呟き、画面をスクロールさせた。呟いた言葉がそのまま画面上に踊っているのを確認するとそこでブツリとメニューを閉じる。
「そのためのクローン代替制度、ね」
望は資材の上にごろりと横たわった。収集し、閲覧した情報群の中から必要なものを抽出、整理、関連付けを行う。そうすることで、徐々にこの世界の《現実》が見えてくる。
固いコンクリートは相当に寝心地の悪いものだったが、この場所でベッドなど求めるのが間違っていると思い、突っ込むのを止めた。
生命身体修復保障制度――別名クローン代替制度。
これは、もともと世界大戦後に身体も精神も傷ついた兵士をどうやって元の生活に復帰させるかという問題が起点だった。これを解消させるため、国は代替品という「素材」を使って問題に対処したのだ。
つまり、身体機能を失った者には代替品を使い国は必要な人材と利益を得る。国民は代替品があることで、「いつでも代わりがいる」という安心感と安全を手に入れた。
(やってらんないな……)
ふてくされるように寝転がっていた望は、彼方に見える青空へ思考を飛ばした。
下を向き、ただ俯いたままで日々を過ごす彼ら彼女らは、どういった気持ちなのか、と。
(彼らはこの状況や世界に絶望しているのか?)
そんな疑問が望の脳裏を掠めたが、すぐさま『違う』と浮かんだ疑問を否定した。この街の現状見ていた望は、一つの結論を導き出していた。
人が行き交い、社会を形成する。
社会が織りなし、国を支える。
国が人々の方向を示し、世界を回す。
(たぶん、彼らはこの状況を受け入れているんだ……)
自分達がクローンであること、人間達の道具であることを。
生命身体修復保障制度などという制度の一部分であることを。
『仕方がない』と諦めているのではなく、ただ受け入れている。それは要するに、「それでいいのだ」と自らが満足している状態なのだ。
満たされているのなら、不平や不満は生まれない。ましてや、現状を変えようなどという考えすら生まれない。
たとえそれが心の奥底で思っていることでも、受け入れているのなら表面に出てくることはない。
「見渡す限りの絶望……か。この世界も、そこに生きる人間も」
この世界の住人達は自分達の生にしがみつくあまり、代替品という愚かなものを造り出し、冷酷にもそれを実用化させる制度まで構築した。誰もそれがおかしいのではないかと指摘も意見も出さずに、今日もそして明日も変わらず世界は回り、愚かな人間を支える。
沈黙し、思索を巡らす。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた思考の糸が、《現実》を捉え、最適解を導き出す。
「まったく嫌になる。嫌になりすぎてさっさと絶望したいぐらいだ……」
望の出した最適解は、リンドマリアの――特に零番街に住む人々にとって――真に望んだことなのだろうか?
やってやれないことはない。望は眼前に差し出された手札を眺めて最適解に至る手段を組み立てていく。
だが――
(本当にやっていいのか?)
湧き上がる疑問に、望自身ハッキリと断言することはできなかった。誰であれ、望んでもいないことをされてもその行為には何ら価値は生まれない。
(さて、どうしたもんだか……)
望の目の前には、学校の屋上で見た時と同じ様な抜けるような青空が広がっていた。
しかし、その青空には、青とは違うわずかばかりの「灰色」が混じっているような気がしてならなかった。
「お前……最近見てない顔だなぁ」
不意に掛けられた声に望はちらりと顔をその方向へと向ける。
その視線の先にいたのは、白髪交じりの小汚い老人だった。彼の足は片方がその付け根からすっぱりと失われている。白髪交じりの老人は、慣れた手つきで支えていた松葉杖を突きながら望の方へとやって来た。
「は、はぁ……最近ここにやってきたもので」
望は体を起こし、無言で老人に席を譲った。その言葉は、もちろん嘘だった。けれども望はなんとなく自然と会話に合わせていた。それはただ単に、「面倒」の一言で言い表されるだけのものだったのだが。
老人はおぼつかない足取りで望の横に座ると、
「そうか……お前、さては〝造られたて〟だろ」
老人は唐突にそう言い、ボロボロの上着に忍ばせていた煙草に火をつけ吸い始めた。
その姿はどこか枯れて萎れてしまった一輪の花のような印象を望に植え付けた。




