009
明けて次の日。
より具体的には、セフィリアが望の住む世界に来てから四日目――。
「なんだこれ?」
昨日と同じように登校した三人は、校門の前で突っ立ったまましばらく動けずにいた。
なぜか? その理由は簡単だった。
校門の先――学校の敷地内で生徒同士の(醜い)戦争が始まっていたからだ。
(往年の安保闘争かよ……)
望は目の前の光景に、歴史の教科書で見た写真を重ね合わせながら、ふとそんなことを思った。
校門に立った望からでも、中から漂うピリピリとした緊張感は感じることができた。ちらほらと見える生徒は、頭にヘルメットやタオルを巻き、手には金属バット持つ物騒な者も見受けられる。
日常からはとうにかけ離れた、『異常』とも思える空気がそこにはあった。
「いやぁー参った参った……」
事態がまるで飲み込めずに、ただ立ち尽くす三人に美冬が声を掛けた。今日も朝練だったのか、学校指定の上下のジャージを着こみ、左右それぞれの靴ひもを結んだスパイクをぶら下げている。
「冬……。さっそくで悪いんだけど、これ……どういうこと?」
荒れ狂う戦場を前に、事態を把握しているであろう美冬に望は訊ねた。なぜこのような事態に陥ってしまったのか、当然だが後から来る者には想像もできるはずもない。
訊ねられた美冬は「にゃはは……」とバツが悪そうな顔をして、
「あっははは……。いやぁ~……ぶっちゃけ、私のせいなんだわ」
「「「はっ?」」」
美冬の歯切れの悪い言葉が三人に届いた。
時間は遡り、午前七時半頃――。ちょうど美冬が朝練を始めようとしていた頃のことだった。
「なぁなぁ、昨日登校してきたセフィリアさん……綺麗だったよなぁ」
「確かに。だけど、一年の希坂眞白も引けを取らないぜ?」
校庭でスパイクのひもを結んでいた美冬は横で話す男子生徒たちの会話を聞き取った。女子ならばその下心が見える馬鹿そうな会話に眉をひそめるものだが、男子生徒は知ってか知らずか眞白とセフィリアの人物(身体?)批評に熱中のご様子だった。
はっきり言えばこれが原因だった。
なぜなら、その男子生徒達の会話に入るように美冬が、
「――でも、それじゃあ〝どっちが〟綺麗なの?」
この戦場を引き起こす撃鉄を叩いてしまったのだから。あろうことか、熱中している話に新たな燃料を投下するかの如きその所業。知らぬは本人ばかりなり、とは言い得て妙の譬えである。
美冬のその言葉に、一瞬唖然としたその男子生徒は、
「そりゃぁ……もちろんセフィリアさんだろ?」
あっさりと答えを提示した。だが、その答えに満足がいかなかったのか、傍らにいた別の男子生徒が顔をしかめて叫んた。
「アホかお前は。何言ってんだよ。眞白さんだろ?」
こうして不毛な言い合いが始まり、あれよあれよという間に議論に参加する生徒は増え続けた。結果的にこの時を境に戦争の火蓋は切って落とされ、みるみるうちに事態は混沌へと突き進んでいったのだ。
火に油を注ぎ、燃え広がるように。
二人の男子生徒の言い合いは、校庭にいた他の朝練中だった男子生徒にも波及し、やがては校庭に居た男子生徒が議論に参加する。
「いぃや、ここは絶対セフィリアさんだろ!」
「それは聞き捨てならならないな。『綺麗』という言葉は、眞白嬢にこそふさわしい!」
「ハァ? 何言ってんだ、このボケナスは。セフィリアさんしかいねぇだろうが!」
終いには校庭の騒ぎを見ていた一般の生徒も参加し始め……ついには取っ組み合いの喧嘩に発展、一端は落ち着いたものの膠着状態が継続中……というのが目の前に広がる事態の顛末だった。
「はあああああぁぁぁぁぁぁ……」
盛大にため息をつく望の横では、眞白とセフィリアがどこか微妙な表情を浮かべながら目の前の惨状を眺めていた。
「にゃはははは……ゴメンね」
手を合わせて謝る美冬に、望の横の二人が「気にすることはない」と気を使っていたが、それで事態が進展することもない。
「それでさぁ~。おね――」
バツの悪い顔を浮かべ、両手を合わせて告げた美冬。彼女の言葉がいい終わる前に、望はその意図を明確に汲み取った上で言った。
「……どうせ僕に『この騒動を止めて!』とでも言うんでしょ?」
「えええぇぇぇぇぇっ! 望が?」
「兄さん、これはどう考えても止めることはできないと思うのですが……。通常、こういった生徒同士のいざこざは教師達が止めるものでは?」
望の横にいた二人が驚き、考えたことが普通の反応なのだが、
「いや、まぁ……。どうせ教師に掛け合っても、無駄だと思うよ? これだけの事態になっても、彼らは何もしていないのだからね。『止める』なんて土台無理でしょ」
現状を冷静に分析していた望は、容赦なく結論を弾き出した。その言葉通り、ピリピリとした緊張感が張り詰める現在になっても、大人であるはずの教師達の人影は微塵もない。
「さっすがホープ! なんでもお見通しだね! 見せてよ……〝最適解〟の君を」
「「最適解?」」
美冬の言葉に首をかしげるセフィリアと眞白だったが、望は構わず続けた。
「いや、そんなの僕でもわかるよ……。というより、、誰が付けたか知らないけど都合のいい時だけそう言うよね? ちなみに、僕はそんな二つ名を広めて欲しくはないんだケドね」
一瞬横にいた二人から白い目が向けられたことに疑問を感じた望だったが、すぐに意識を目の前の状況に対処することに傾けた。
(うぁ~、やっぱりこうなるのか……。もぅ、本当に面倒この上なんですけど……)
さてこの状況をどうしようかと望が考えていた矢先、一人の男子生徒が拡声器を手にして叫び声を上げた。
「我等『セフィリア親衛隊』は断固として主張する! 〝一番はセフィリアさんただ一人である〟ということを!」
「うっっそぉぉ……」
「あらまぁ……私って罪作りな女?」
望はギロリと隣を見やる。この場を煽りそうな発言をしたセフィリアが「すみません」とすごすご引き下がった。叫んだ男子生徒の周りには、同じような考えを持つ生徒が集まっているのか、口々に「そうだそうだ!」「いいぞー!」などと支持する声が続々と続く。
瞬間、その真向かいにいた別の生徒が同じように拡声器越しに叫んで反論する。
「何を言う! 希坂眞白こそがこの学校で一番であると我々『眞白応援団』は断固として主張する!」
声を張り上げた生徒の周りでは先ほどと同じように支持を表明する声が続々と響き渡った。
「こっちもか……」
「まぁ……」
「どうなってんだ、この学校は……」
どちらも似たような状況に望は顔を手で覆いながら呻き声を上げた。
(なんなんだ、コイツらは。どっちもどっちで末期症状じゃないのか?)
これは学校なんか行ってないで、さっさと切り上げてとっとと帰ろうか、と一瞬考える望だったが、逃げたところでこれは明日になっても事態は続くだろう。
心の底から嘆きたい望だったが、それをしたところで事態は好転などするはずもない。
だが、手のひらで覆われたその顔、隙間から見える口元はわずかにつり上がっていた。
「本当に――絶望しかないじゃないか」
その声に呼応するように、望の瞳がギラリと光った。
こんな騒ぎになっても場を収めようとしない学校のシステムや教師たちに、内心毒づいた。いっそのこと笑って壊れてしまった方が楽だとさえ思える目の前の状況。
面倒事からはあっさりと手を引く、保身に走ったその姿。大人はいつもこうだ、とどこか諦めにも似た感情が浮かんでくる。
その清々しいまでのクズっぷりに、望は思わず声を上げて笑いたかった程だ。
(あぁ、まぁ分かり切ったことだけど。チクショウ、とんだ貧乏クジだよまったく)
彼らに教師の「師」の意味を問いただしたい、そう思いながらも、望は頭を回転させた。
「望……。こんなの解決できるの?」
隣にいたセフィリアが、目の前で繰り広げられる戦場を見ながらぼそりと呟く。
しかし、望は集中しているのか、セフィリアの言葉もどこか蚊帳の外といった感じで、ただ目を閉じて無言でうんうんと唸るだけだった。不安そうに望を見ていた眞白とセフィリアに
「大丈夫だよ」
そっと美冬が笑って答えた。その視線の先で、
「これをこうして……後は指示して……。うっし! 解けたっ!」
目の前の状況に絶望していた少年は、やがて一つの結論を導き出した。
◆
「要するにさ、『一番』というのが曖昧過ぎると思うんだよ。……なんだかみんなそこに拘っているだけで、《何が》という大切な部分が抜けてるんだよね」
「ホープ、言ってることが全然分かんない」
美冬が手を上げて即座に詳細な説明を求めた。美冬と同じなのか、眞白とセフィリアもその言葉に同意するように頷いた。
彼女たちの目の前に立つ少年は、スポーツ解説者のように滑らかに話し始める。
「簡単に言えば、〝タイプ〟が違うってことだよ……。考えてもみなよ。目の前に並ぶ二つを比べて、どちらかが『より優れている』と評価するには、《同じ基準》で二つを比べないといけないでしょ? そうでもしなければ、公平性もへったくれもないじゃないか」
「う~~ん。まぁ……確かにね」
美冬が納得したのか、首を縦に振る。
「だから、どうしようというのですか?」
「だから、対立する彼らの中心存在――セフィリアと眞白の二人には、別々の分野でそれぞれに『一番』になってもらおうって考えたわけなんだよ。そうだなぁ……様々な分野・カテゴリを記載したアンケートでもしてもらおうか」
「「アンケート?」」
望の出した意外な結論に、眞白とセフィリアの声が重なった。
「やれやれ……。どうしてこう、人間って愚かで醜悪でドス黒いんだろうね。まったくもって絶望的な生き物だよ。あぁ、《現実》なんて本当に絶望しかないな」
二人は肩を竦めた望が吐き出す言葉とは裏腹に、かすかに笑っているのが不思議に思えてならなかった。
◆
「だからさぁ……。『御嬢様系』というのは、清楚系タイプと高慢な高飛車タイプに細分化できると思うんだけど、どうかな?」
「あぁ、なんとなく分かるかも。後者はさぁ、ツンデレになる可能性あり、ってことでしょ? でも僕はさぁ、活発な女の子って尽くすタイプに繋がると思うんだけど?」
望は美冬に指示して男子生徒約十名ほどを各陣営から連れて来させた。選ばれた二十名も生徒は眞白とセフィリアの両者を見ながら議論を交わしていく。望は最初その議論の進行役を務めていたが、途中で「それじゃあ後で結果を教えてね」とだけ言い残して輪の中から抜けた。
「ねぇねぇ、望。私にはさっぱりわからないんだけど?」
戻って来た望と一緒に議論の様子を眺めていた美冬が訊ねた。同時に眞白・セフィリアが美冬の言葉に頷く。
というより、議論の内容自体、何を言っているのかさっぱり分からないのだが。
「別に難しいことじゃないよ。ただ単に彼らにはいつものように『萌えるタイプの女の子』のカテゴリを列挙してもらってるだけだよ」
望は鼻歌交じりに携帯電話のゲームで遊んでいた。周囲がピリピリとした空気の中だというのにもかかわらず、望の周りは驚くほどのんびりとしたどこか長閑な空気が流れていた。
まるで空間が別々に区切られ、それぞれの時間の流れが異なるように。
「あとどれぐらいで目途付きそう? なるべく早く教えてねぇ~」
カチカチと手元の携帯電話で遊んでいる望から、軽い調子で言葉が飛び出す。
「うーい」
「了解であります」
そんな気だるそうな望の言葉に、議論中の生徒数名から声が上がった。
「さて……。では問題です」
携帯電話をポケットにしまった望は三人に悪戯っぽい顔を向けて言った。
「彼らが『争っても無駄だ』と思うためには何が必要でしょうか?」
まるで『彼らの結論が出るまでのヒマつぶし』とでも言いたげな、ひどく問いかけられた方の神経を逆なでする調子で。
「『何が必要か?』とは……私達に関する〝情報〟でしょうか? もともと私達のことで争っているのですから……」
眞白の意見に、美冬が首をひねった。
「でもさ、情報って何だろ?」
「う~~ん……趣味とか、スリーサイズとか、かな? あはは」
三人が額を寄せて(時に的外れな言葉が出るものの)交互に意見を交わす。
しかし、
「はい、時間切れ」
望は三人の前に立つ。
「まったく……馬鹿馬鹿しいとは思わない? 僕はさ、別に誰が好きだの綺麗だの憧れるだの何だのって、妄想だって言葉に出たって構いやしないよ。ただ呆れるのはさ、そんな曖昧過ぎる言葉に自分の勝手なイメージを持たせて争う人の醜さと愚かさに呆れるわけ」
「自分の勝手なイメージ……ですか?」
「そうそう。そもそも『綺麗』とか『可愛い』という言葉は、確かに誰もが『そうだね』って頷ける共通した表現なんだよ。発言者がどのような意味でそう言った表現をしたのか、言わなくても何となく賛同できるからね。だけど共通であるがゆえに……棲み分けができない」
「棲み分け? ……って何の?」
「つまり、二人の人間がいた場合、綺麗とか可愛いという表現を使ってしまうと、評価する人間は同じ基準で二人を測ってしまうってことだよ。差が明らかな場合は別段問題は起きないんだけど……」
そこで望は眞白とセフィリアをちらりと覗き見る。二人とも誰もが振り向くほど「綺麗」であるし、「可愛い」とも思われる存在だ。――それぞれがどんなカテゴリかはさておき。
共通であるからこそ、賛同するものが多く群れ易い。
共通であるからこそ、どちらが一番か、より優れているかという問題も発生しやすい。
「眞白は清楚でお嬢様みたいで可愛いと表現する人もいれば、セフィリアは明るくて元気が良くて可愛いと表現する人もいる。どちらも同じ『可愛い』だけど、まったく違うカテゴリでしょ? けど、人間っていうものは絶望的に愚かだから、まったく違うカテゴリであっても、同じ『可愛い』という曖昧な表現で無意識のうちに二つを括ってしまうんだよ。結果だけを見て過程を顧みないのと一緒さ」
「そういうものなの?」
美冬が腑に落ちないと言った顔で周囲を見渡す。でも、それが男の子の性というヤツなのだろうと実際の現場を見ながら勝手に納得することにした。
「希坂君、できたよ」
議論が終わったらしいのか、一人の男子生徒が望に駆け寄る。彼は三枚の用紙を差し出して、それを望に手渡した。
「望、何それ?」
用紙を眺めた望は満足そうに「ありがとう」といって生徒と別れた。
「これ? これは――」
女の子、カテゴリ別アンケート。全百問(マークシート式)。
「これを暴れる生徒全員に渡して、埋めてもらって公表する。それが僕の出した《最適解》だよ。あぁ、僕は朝から脳ミソをフル回転させて疲れたから、教室でゆっくりと寝てることにするよ」
用紙を美冬に渡した望は「じゃあね。これ、人数分コピーして渡しておいて」と言ってその場から去っていった。




