【第二百五十九話】狂人・狂人?
演説とも言えぬ演説が終わった場は実に奇妙な空気に包まれていた。
一喜との同盟は誰しもにとっても喜ばしい。喉から手が出る程の庇護を約束された今、責務を忘れない限り生活の質はこれから更に向上することが目に見えていた。
それがたとえ皮算用に過ぎないにせよ、未来に希望を持てる時点でこの街の人々の意識はこの世界の普通とは外れていくことだろう。
求められている内容は解っている。それを提供するのに不都合も無い。
裏切られることを最初から想定していないのは些か隙があり過ぎるも、そこは信頼の表れであるとすることで納得可能だ。
故に、老人の言葉は水を差されたようなものと認識してしまう。
最初の引き金を押し、以降も別に何もしなかった怪物だ。何もしなかったことが善意なのかもしれないが、なら最初から何もしなければ良かった。
自分で破壊した上で自分がこれから皆を守る。
矛盾にしては酷過ぎていっそ滑稽にさえ見えてしまう発言に、住民の殆どは彼に馬鹿にされていると激怒した。
既に修復をするには両者の間には大き過ぎる溝がある。老人自身信用してもらえるなどとは欠片も考えておらず、そして現実は正しく予定調和を成した。
誰しもが物を投げる行為を止めた後、老人は静かに頭を下げてその場から姿を消している。
言い訳もせず、怒りもせず、ただ静かに己の罪と向き合う姿勢だけを示して彼は去っていったのだ。
この行為をしたのが純粋な人間であれば、或いは疑問と共にもしもを考える住民が出てきたかもしれない。
彼が今行った行為は、実際のところ嘘など含まれてはいないのではないかと。
怪物が謝意を示した。
それがあまりに現実味に欠けるから、信じられる要素を一つも考えられないのだ。
この事実は幾年経過しても消えることはなく、何度世代を重ねても共通認識として定められていくだろう。
化物は化物、信じてしまえばそれで終わり。
自己防衛の本能が言葉を紡ぎ、皆は真実を調べる気も無くそれに頷いた――――ならば、老人を信じてもらえる人間は二度と現われはしない。
「……ま、予想通りと言っちゃあ予想通りだったな」
一喜達が過ごしていた部屋に戻った老人は決まり切った光景に残念がる素振りも見せない。
予定がそのまま通っただけの話。悲しむことも怒ることも無く、逆に多くに嫌われているからこそ老人は己のしたいことに意識を向けることが出来る。
「もう動くのか?」
老人の背後から遅れて部屋に入室した一喜の声がした。
窓に向けていた顔を動かすと、真剣な表情の一喜の目とぶつかる。その目は嘘を許さぬと語っているようで、老人は自身の頭髪を掻きながらこの後を話し始めた。
「連中が動くなら直ぐに動く必要があるだろうが、今はまだそんな話は聞いてねぇ。 黙っているかもしれんし、突発で動く奴が出るかもしれないがな」
「一枚岩ではないと?」
「おいおい、俺達がそんな社会適合者だとでも?」
皮肉気に口を歪める老人に一喜は眉を寄せる。
正直な話、やはりといった感想が一喜の脳裏には流れていた。相手は化物で、基本的に自分本位であることを隠しもしない。
善良なる想いを抱えていても結局は武力による殲滅を選び、残った人間を形だけの統治で放置していた。
これは脅威が生まれないと確信していたのもあったろうが、一番は協調性に欠けるから。
以前にも戦った連中にまともな思考回路は殆ど搭載されていなかった。自分を何よりも優先して他者を嬲る様は正しく醜悪そのものであり、常識的な社会生活など維持出来る筈もない。
遠からず事件を起こすか、馬鹿な真似をして死ぬかの二択。故に全員がお行儀良く命令を遂行することもない。
黒幕の人物に対する恩義自体は嘗て傍で侍っていた女王から察してはいるものの、敬意を持つことと自分が我慢することは違う話だ。
「……なら、あの人物が計画していることはなんだ?」
「計画ぅ?」
「惚けるな。 痴呆になっても介護はしないぞ」
「まだまだ認知症になる気はねぇよ。 ただ純粋に変な話を投げるもんだと思っただけさ」
「変な話?」
おうよ、と老人は再度窓に視線を向けた。
演説をしていた小さな広場では杏子が多くの人間と言葉を交わしている。今後の予定や罪人となった稔達の処遇等を伝え、諸々の処理をさせているのだ。
その間にも彼女に頭を下げる人間が多く現れ、皆最後には握手を交わしている。
この分では戻ってくるにも時間が掛かるだろう。この街の次へと進むまでに時間が掛かるのなら、今こそ多くの情報を握っている老人に敵の情報を教えてもらうまでだ。
しかし、一喜の思惑とは異なり相手の反応は実に微妙である。
図星を突かれたにしてはまるで意味不明な言葉を投げ掛けられたような表情をし、彼との視線を切っていた。
「なぁ、俺はさっき言ったよな。 俺達が社会適合者かと」
「……」
「ちょっと考えりゃ解ると思うんだが、馬鹿がどんなに頭をこねくり回しても出来上がるのは馬鹿なモンだけだ。 真面目な奴の出した案には勝てないことが殆どで――――つまり碌な考えなんて最初から持ってないんだよ」
「化物共はそうかもしれないが……」
「トップは違うって? ……はぁ」
溜息が窓に曇らせる。
吐息に混ざる僅かな失望を一喜は敏感に察知し、彼はそんな老人に逆に不思議な顔をしていた。
「組織を率いるには他よりも優秀である必要があるだろう。 無能に付いて行きたい奴はいないだろうし、振り回されたらそれこそ不快感も青天井だ。 ……反乱は起きたか?」
「いいや、アイツに牙を向けた奴はいない。 だが別に争いに発展したってこともない筈だ。 少なくとも俺はそんな話は聞いちゃいねぇ」
「だとすれば……」
武力による服従は起きていない。
であれば、やはり黒幕たるルネサンスは言葉や自身の行動で皆の信を勝ち取ったことになる。
それは絶望の沼に嵌まった身を助けたからか、己の頭脳で事をスムーズに進めてみせたのか。
君主にも様々な形がある。怪物達がルネサンスに恩義を感じているとなれば、人徳によって支配していると考えることは出来るだろう。
だが、そうであるならば避けては通れない部分がある。
人徳を有している時点でその人物には真っ当な精神があった筈だ。仮に犯罪行為に手を出していたとしても、その心根に何の痛痒も無いとは考え難い。
大量虐殺をした時、ルネサンスが罪悪感に襲われない訳がないのだ。
普通なら恨みの対象に報復し、それで終わりとするのが真っ当な人間である。そこから逸脱して多くを殺す怪物が生まれれば、ルネサンスは苦しみに苦しむだろう。
そして次を生まない為にカードを封印する。これにて化物の世は終わり、元の人間の時代に戻っていくのだ。
なのに、ルネサンスは次々に怪物を生んではそのままにした。カードを回収することもせずに好き放題を許している。
「ルネサンスは狂人か?」
「言いたいことは解るが、お前の推測は外れてるぜ」
ルネサンス個人に揺るがぬ指針があり、それが揺れねば好き放題も許していると一応の納得は出来る。
納得するまでが非常に苦しいものの、狂人の思考などそんなものだ。まともに理解することが間違っている。
だが、そんな一喜の推測も老人は断ち切った。首を左右に振り、幼い子供に教えるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「変に知恵が回ると色々考えちまう。 物事は単純で、実際のところは深く考える必要もない。 怪物は全員馬鹿だ、例外も無い。 ルネサンスと呼ばれるあの男は、ただ感情で物事を決めているだけなんだよ」
恩義ある人物を老人は愚者であると切って捨てた。その言葉には微塵も迷いは含まれていなかった。




