【第二百五十七話】演説ごっこの男
「呼び出した内容を説明する必要は無いだろうね? もしも理由が解らない奴が居たら周りの連中が説明してやんな」
杏子の初手は実に力強いものだった。
緊張も不安も見えず、こんなものは慣れたものだと言わんばかりにゆっくりと口は言葉を発していく。
実際、彼女が人前で喋る機会も多かった。
幾度となく多人数の前で命令を下していた過去がある以上、久し振りであっても心は微塵も揺れ動かない。
その姿こそ支配者。人が人のまま生きていけるように先頭を進んだからこそ、一喜は見せ付けられた心持になる。
あれにならねばならない。例え中身が凡俗の類であっても、せめて支配者の隣に立つに相応しい姿で胸を張らねばならない。
「先ず最初に言うよ。 ――先導者はこの街に残らない」
――――――――ッ。
昨日の出来事を皆は知っている。そして、皆が一喜に残っていてほしいと願っている。
この街が集団として存続するのであれば、大衆の願いは叶えていかねばならない。
それが達成不可能なら妥協して、創意工夫の範囲で解決しなければ諦めるのが街の基本だった。
努力をすること。その姿を民衆は見て、じゃあ仕方ないと諦観の籠った吐息を零しながら街はゆっくりと変化していった。
杏子は支配者として誠実だ。大衆の不利益に直結する情報は確りと伝え、有益な情報を独占せずに皆で共有した。
彼女の意見によって状況が好転した住人も数多い。故に彼女の発言に嘘があると思うことはない。
だがそうであっても、この事実だけは素直に飲み込むことは出来なかった。
一喜は、先導者は、全体にとっての希望だ。苦しい日々に終止符を打ってくれるかもしれない、神に近い存在なのだ。
縋らずにはいらなかった。諦めてしまうには、彼の齎した光はあまりに強烈に過ぎた。
ざわめきは止まらない。中には杏子に対して怒りの眼を向ける者も居る。
まだ彼女は我々に努力の痕跡を見せていない。妥協するに足る証拠を堂々と示し、それならばと納得するモノを伝えきってはいない。
それは杏子とて解っている話だ。だから彼女は続けて言葉を発するが、されどこの妥協の結果を伝えたところで皆が認めるかは解らない。
「此処に来る前に本土の方で先導者は一つの街を作ったそうだ。 その街はまだ此処程発展しているとは言えないものの、しかし徐々に元のあの頃に戻ろうとしている。 私達が嘗て助けてもらったあの人と同じ事をこの人は今やっているんだ」
妥協するに足る要素その一。自分は幸運だったと思わせる。
己よりも過酷な環境を生きている者を救う為、先導者は手を差し伸ばした。
それは善意が無ければ出来なかったことである。この善行に否を突き付けられる人間は即ち人でなしと詰られることになり、必然的に周囲からの印象も下がるだろう。
「それに、私達は既に一度大きな罪を負った。 実際にやった奴を捕まえてあるとはいえ、この街の人間が恩人に牙を向けたのは事実。 治ったからこそ最悪にはならなかったけど、じゃあそれで終わりにはならない」
その二。恩を仇で返した事実を繰り返す。
実際に会ったことがない者でも先導者に恩があることは知っている。再会したのであれば持て成すつもりは勿論あるし、それは街全体にまで広がっていくだろう。
本来、善には善を返すのが道理だ。善に悪を返すのは非常識であり、悪に善を返すのも人によっては意味が解らない。
因果応報は常にあって然るべし。なればこそ、そこを指摘されてしまうと住民の殆どは何も言えなくなる。
一喜は今日此処に来たのだ。そんな彼からすれば、この街の人間の誰しもが似たような行動を取るかもしれないと偏見を抱かれても不思議ではない。
「私達には諦めなきゃならない理由がある。 素直に送り出す必要がある――――じゃ、納得なんてしやしないだろう?」
真面目な顔をしていた杏子の表情がにやりと歪む。
突然の表情の変化に住民は一瞬呆け、次の瞬間にはそうだと声を大にして叫ぶ。
理性では一喜が去ることを許容しなければならないと解っている。他に救いを求められているのであれば、助けるのが先導者だとも思っている。
だがそれでも。例え醜い我欲だと指摘されても、ただ安心が欲しいのだ。
笑って明日があると教えてほしい。次の日も訪れると当たり前の如く語ってくれ。貴方の光でこの街を照らしてほしいのだ。
感情が溢れ出る。誰も彼もが一喜を呼び続ける。
納得なんて出来るものか。理解なんてしてやれない。助けて、助けて、嗚呼どうか。
「良いだろう」
杏子が口を開ける前に、一喜が先に言葉を発した。
唐突に挟まれた言葉にしかし、杏子の表情に動揺は無い。寧ろそうでなければと弧を描く口が更に吊り上がった。
「俺はお前達の知っている奴とは違う。 優しい性格なんざしていない。 この街に居続けるってのも無理だ。 でもまぁ、繋がりを残してやることは出来る」
断言しろ。無い自信で心を満たせ。痩せ我慢に過ぎないとしても、先導者だと思われているのであればそうでなければならない。
それがこの世界にメタルヴァンガードを持ち込んだ者の責任だ。期待を持たせた者の責務だ。忘れるなかれ、強大な力にはそれに比肩する役割が生まれるのだと。
「俺が作ったばかりの場所は正直此処とは天と地程に違う。 まだまだ足りない物ばかりだし、特に治安に関してははっきり悪いと言える。 良い部分があるとすれば、怪物を潰すことが出来るくらいか」
何てことのないように語る。
この世界の常人が思う最大のメリットを、彼は大した得にならないように告げる。
化物を恐れる姿勢が無く、寧ろ真向から潰せると豪語する様は真の強者でしかできはしない。
最大最強の安心と安全。それがあるのだ、それこそを彼は提供出来るのだ。
なんという素晴らしき魅力。魅了されないなど出来ず、住民は尚更に彼を欲する思いを強めていく。
「……技術も人の質もこっちの方がずっと良い。 出来ることなら此処の人間を全員本土に連れて行きたいくらいだ。 そうすりゃお前達の望みも果たされる」
言外に杏子の恩を仇で返した事実を気にせず、更に煽るように溜息を交えながら彼は解決策の一つを出した。
この提案を人々は無視することは出来ない。出来ないが、されどこの街を捨てることは彼等には出来ない。
安定した環境を放棄することは将来への不安を発生させるだけだ。例え今此処に居る住人がそれを良しとしたところで、間違いなく将来の人間が恨む。
彼の提案を飲みたくとも、拒むしかない。その上で自身の望みを果たすのであれば、やはりこの街で何時も起きる妥協が必要だ。
「お前達は外には出たくないだろう。 俺もそれが良いと声を大にして言える。 折角の街を捨てるなんてのは馬鹿がすることだ。 ――――だから俺は一つ、お前達と同盟を結びたい」
周囲がざわつく。
今度のものは困惑が支配していた。
「俺は拠点と呼んでいるんだが、その拠点と此処で双方に特のある協力関係を結ばないか? 内容は、お前達の安全と拠点の技術向上」
唐突な同盟。提示された条件。
安全を保証する代わりに、この街の技術の全てを拠点に提供する。
一喜がこの街で滞在することは出来ない。それをするには拠点に残る理由があまりにも大き過ぎる。
彼等に内容を説明する訳にはいかない。説明すれば今度はもっと面倒な展開になることは自明の理であり、そもオカルトにしては度が過ぎる。
あくまでも大藤・一喜は拠点を大切にしているとだけ思わせる。人情家めいた理由を掲げ、その上で皆のことも見捨てない姿勢を見せた。
「昔に戻るんだ。 ……いや、昔にも悪い習慣が蔓延っていたな。 なら昔よりも良い社会を作ろう。 次の将来で笑う為に」
意識して優しさの籠った声を出す。
静かに浸透していく彼の言葉は、最終的に無数の拍手を呼び起こした。




