【第二百五十四話】重苦しい人
青天の霹靂。
降って湧いた出来事は住民を驚愕と激怒の渦に飲み込ませ、しかし外に漏れ出る程にはまだ至っていない。
捕縛された者達は皆揃って建物の一室に監禁された。常に見張りを五人は立たせ、稔側の人間は百m圏内までの接近を禁止されている。
建物の周りには巡回する自警団の人間が多く配置されていた。今ならば少々の犯罪をしても見つからない可能性があるも、誰もがそんなことを頭の片隅にも置いてはいない。
あるのは、ただ犯罪者への極刑を求む声のみ。
殺せ。潰せ。先導者に対して深く頭を垂れさせ、何時間も謝罪をさせて街の外へと追放させろ。
いいや、そんな程度では生温い。海へと落して苦しませ、這い上がろうとする度に蹴り落として溺れさせるのだ。
最早犯罪者となった彼等に人権は無い。
少々の罪であれば無償奉仕によって生き長らえることも出来るが、救う手を差し伸ばした先導者の力を有した者に害意を向けたのであれば最低でも極刑である。
マイナス方向に噴き出る感情は街で起こる様々な問題の中でも最も量が多く、必然的にそれを食料とする老人には彼等の心中が見えている。
食べても食べても尽きぬ嚇怒。満腹を迎えてなおも出て来る激情は、胃もたれを引き起こしてしまいそうだ。
「――で、どうするんだよ? センドウシャサマ?」
「黙れ」
老人の言葉を黙らせ、一喜は新たに用意された部屋で頭を抱えていた。
室内はこの街の中でも最上位の手入れがされている。見た目は極平凡な一戸建ての家だが、外観にまったくの汚れも破損も無い状態となっているのは極めて希少だ。
内部も元の世界の頃と質は然程変わらず、電気や水道といったライフラインが無いことを除けば住むのに一切の問題は無い。
これほどの状態を維持するには並大抵の努力では不可能だ。専門の業者が最適なサイズの廃材を見つけ出し、その上で綺麗に処理する腕前が無ければならない。
上下に一階と二階に別れた4LDKで一喜は二階の一室を使っているが、その部屋でさえも新築同然に見えた。
特別も特別。待遇の中でも最上級に位置づけられる家は本来嫉妬されかねないが、今では寧ろ此処に住むのが当然のような扱いを受けている。
そうなる過去を知ったが故に一喜としては解らないでもない。しかし、それでも自分が対象になるのは違う。
一喜が語った内容はほぼほぼ嘘で、実績の一つだって稼いでもいないのだ。
あの場で馬鹿な連中を捕まえて適当に処罰させ、隙を見つけたらすたこらさっさと去るのが彼の予定だった。
予想外だったのは住民の好感度が一気に反転したことだ。それこそ敵である筈の老人が近くに居ても彼等は怯えなかった程である。
一喜達が去ろうとしていることを知っている老婆でさえも口を噤んでそっぽを向いてしまっていたあたり、先導者との繋がりを明確にしておきたいのだろう。
今も護衛の名目で家の周りには無数の自警団が目を光らせている。此処から即座に脱出をするならば、もう着装をした上で強制的に空の旅に出る他ない。
「面倒なことになる前に脱出するぞ。 崇められるのは勘弁だ」
「同意だが、そんな真似をすれば追いかけて来るぞ? 奴等は恩返しをしたいみたいだからな」
「他人にすんなよそんなこと」
ダブルベットの一つに座っている一喜は深い溜息を吐いた。
窓の傍でその様子を見ている老人は愉快気な笑みを浮かべ、彼の表情に嘘の様子は無い。
「お前さんがあんな話を捏造するからだろ。 いっそ俺は知らないって言っちまえば良かったのに」
「まさかあんなに好意的になるなんて思わないだろ、普通」
「……ばーか。 救われた側ってのは存外重いもんだぜ?」
一喜の様子に気安い態度を取りつつ、老人は内心で呆れていた。
彼等がどうしてこれほどまでに一喜を逃したくないのかを本人はまるで理解していない。
恩であれ仇であれ、人から受けるものはそれが大きければ大きい程に胸に刻まれる。場合によってはそれが行動指針になってしまい、身の丈に合わない行為であろうと迷わずに直進してしまう。
正に今、この街の人間は普段とは異なる行動を起こした。それが良いことであるかどうかはまだ解らないが、彼等は命を救われた恩をなんとかして返さねばならないと奮起している。
「――失礼するよ」
ノックの音の後、扉が開かれる。
現れた老婆は背後に二人の護衛を連れて室内に入り、そのまま一喜の前に立つ。
護衛二人は一喜に対して深く頭を下げては入り口の両脇を固め、その雰囲気はやる気に満ち溢れている。
最初の警戒感マックスだった頃とは大違いだと一喜は内心で苦い顔をした。
「住み心地はどうだい? なるべく良い場所にしてもらったんだけど」
「俺が住むには過剰なくらいには良い家だよ。 アンタみたいな立派な役職持ちの人間が住むべきだ」
「その権利を手に入れる経緯を知っていれば、死んでも先導者様より相応しいと言い出す馬鹿は居ないさ」
「あのなぁ……」
家の選定をしたのが老婆であることを知り、彼は半目で睨む。
その目を飄々と受け流し、次に真剣な顔で彼女は口を開けた。
「出て行きたいのは解っているよ。 私としても長く此処に居てもらおうだなんて思っちゃいないからね」
「そいつは重畳。 別人が居たって破綻するだけだろうからな」
「まぁ、そうさね」
老婆こと杏子の言葉は一喜にとっては喜ばしいものだった。
現状、彼等が敬意や信仰を向けているのは一喜に対してではない。この世界の大藤・一喜であり、もっと言えば先導者そのものだ。
彼が道を示せば幸福になれる。不幸の只中に居るからこそ比較的安穏と暮らせた事実は彼等の脳内に浸食し、麻薬めいた作用を齎した。
先導者が居れば幸せは確約される。ならば逆に、先導者を外にやってしまえば自身はどうなるだろうか。
居なくとも平和は続いた。けれど結局、内部の人間によって幸せは崩壊した。
居なくなった時間は、謂わば嵐の前の静けさに他ならない。
それが無くなった瞬間に自分達の平和は無くなる。であれば、先導者がずっと此処で暮らせば嵐の前の静けさは永遠だ。
だけれど、望まぬ共存は軋轢を生む。馴染めなかった方は相手側に負の感情を募らせ、何れ破綻を呼び起こす。
老婆は一喜に丁寧に接したが、かといって完全に信仰に吞まれた訳ではない。
支配者としての頭が回転することで最善の道を選び始め、今こうして全ての思考を纏めた彼女は彼の前に立っている。
「でも、黙って居なくなれば騒ぎになる。 それは理解しているね?」
「じゃあどうする。 言って解ってくれる状態なのか、今は」
「全然だ。 どいつもこいつも浮かれちまっている。 そして、今この状態だからこそ何も起きちゃいない」
一喜にとってこの街は特段気に掛ける必要は無い。
特別な感情がある訳でもないし、そもそも拠点から大きく離れている。加えて彼が居ない状態でも安定していたのだから、拠点の方に意識を割くのが普通だ。
だがそれは、杏子に多大な負担を背負わせることになる。
彼が居なくなることが次の騒動の引き金を押すことになる以上、彼女側は両者が納得する形に着地させねばならない。
これは難しい話だ。互いが望む目的が正反対であり、特に住民は皆が皆理性的であるという保証が出来ない。
彼等が求めているのは証明だ。先導者が居なくとも安穏とした生活が出来ることを杏子は示す必要がある。
「住民が爆発するか否かはアンタ次第だ。 ――でも、アンタはこの街を気にしないような男じゃない」
「…………」
「気にしていないならとっとと消えてた筈だよ。 だから、私の提案を聞いてみちゃくれないか」
杏子は一喜のことを理解し始めている。同時に、だからこそ彼女はこの話し合いが良い未来に繋がることに確信も抱いていた。




