【第二百四十七話】過去と現在の熱
「ざっと見る限りだとこんなもんさね」
太陽は何時の間にか西に沈もうとしていた。
電気的な明りの無い建物は陽の沈みと共に完全な闇に閉ざされ、僅かな光を灯す為には原始的な方法で火を起こす他ない。
夜になれば一喜の目にも当然見える範囲が限定される。老人にはまだまだ余裕だが、終わりを長引かせる気は勿論無かった。
振り返る老婆の顔は心なしか穏やかだ。
何も問題が起きなかったことを安心していたのか、外の人間がまだ居たことを喜んでいるのか。
一喜の目では彼女の真意を読み取ることは出来ず、しかし別に深くは考えなかった。
どだい、此処でやるべきことはない。地続きの土地であれば積極的な交流も狙えたが、一喜のようにメタルヴァンガードになれねば行き来が出来ないのであれば何れ関係も切れてしまうだろう。
街の人間も今の生活に然程不満を抱えているようにも見えなかった。
技術的問題は此方も多く見られるものの、そちらはそちらで自身で抱えている技術者集団がある程度の解決の目途は立てるかもしれない。
食料生産はこの街の方が優秀だ。現地で生み出す術は寧ろ此方が教えを受けたい程で、一喜達の拠点で完全に勝っているのはやはりメタルヴァンガードを含めた軍事力だろう。
その軍事力も外部頼りではあるので、実質的には拠点で勝っている点は皆無だ。
見習うべき要素は多岐に渡り、技術派遣を是非にお願いしたいくらいである。
この街で何か無視出来ない問題が起きて、それを一喜が解決すればチャンスはあると考えるも、そも他人の不幸が前提にある時点で望むものでもない。
それにこの話を持ち帰る時間も無い。相談しようと動けば老人の我慢が限界を迎えるかもしれないのに突発的な行動など出来はしないだろう。
「勉強になる部分が多かった。 拠点に持ち帰って是非に参考にしようと思う」
「そう言ってくれたなら有難い話だね。 ……悪いが何かをくれてやることは出来ないよ?」
「解っている。 最初から期待はしていないし、持ち帰るのも面倒だ」
土産など誰も最初からあると思ってはいない。
見るべきを見て勉強になったのなら、このまま後は出入口に向かって外に出るだけだ。
それでもうこの街に立ち寄ることはない。老婆もそれが解っているから隠し事を一切せずに言うべきを言い放っていた。
「それじゃあ最初の場所まで見送ろう。 此処に外部の人間が現れたのは久し振りだが、アンタは存外まともで良かったよ」
「どうかな。 怪物と一緒に来るような人間をまともだと思うか?」
「まともだとも。 ――少なくとも過去の馬鹿共に比べればずっと」
老婆の言葉には自虐も込められていた。
常人であろうとすること。まともであること。それを維持するのは難しく、なればこそ維持出来る人間は褒め称えられるべきだ。
一喜は元の世界に戻れると解っているから平静でいられている。それを特別だとは認識しておらず、故に互いの認識には比較的大きな差があった。
三人と護衛達は揃って最初の門へと進む。
何時間も歩き続けたことで一喜の足は休息を欲していたが、一度出てしまえば適当な廃墟で休むことは出来る。
老人としては別の場所で話をするなり飯を食うなりしたいだろう。けれど、この場での決定権を持っているのは一喜だ。
約束を違えずに沖縄に来た以上、老人は半強制的に約束を守らねばならない。
それが濡れ紙が如くに容易く破れるとしても、老人は絶対の意志を込めて約束を貫くつもりだった。
そうでこそこの戦いには意味がある。誰を巻き込まずに強者と真向から戦える未来をこそこの男は望んでいたのだから。
時はすぐそこだ。抑え込んでいる期待感が胸の内で高まり始め、理性を多分に動員させて意識的に冷静さを取り戻す。
我慢は得意だ。社会人時代のゴミ共と仲良く仕事をするには忍耐力が何より重要で、彼は一般的に人間関係最悪な環境の良心として振る舞っていた。
「――その馬鹿共には俺も含まれているのか?」
だから、薄い気配が接近した事実に舌打ちをしたくなっても抑えた。
建物と建物の間にある闇の中から姿を現す赤茶のコート。フードで頭部の大部分を隠した人物は声から男性であることが解り、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま堂々たる態度で一喜達の前に立つ。
一喜や老人を上回る背はこの場の誰よりも目立ち、服の汚れもおよそ感じられない。
使い続けた経年劣化こそあれど、それが逆にコートの魅力を引き立てている。
彼の背後で同様に建物と建物の間から更に人間達が現れた。
彼等は揃って銃を持ち、サバイバルゲームで見るような丸いヘルメットやベストを着込んで一喜達に鋭い眼差しを送っている。
一部は老人に対して恐怖も抱いている様子だが、それでも彼等の雰囲気は揃って物々しい。
銃は既に一喜と老人に向けられていた。
何かしら行動を起こせば直ぐに引き金が押されかねない状況に、一喜としては困惑を隠せない。
どういうことだと視線を老婆に向ける。だが、老婆は一喜に視線を向けるよりも先に一番前の人物を睨んでいた。
その目には憎悪が灯り、それこそ銃を持っていればいきなり撃ち始めかねない。
老婆の視線を真向から受け止めた男は、そんなことに興味は無いとゆっくりとフードを脱いだ。
光すら吸い込む黒髪。目を隠す程に伸ばされた髪は長く、まるで整えているようには思えない。
髪に隠された眼光は鷹の如き鋭さを持ち、黒い瞳には仄暗い光が宿っている。
背後で武器を構える人間と比較すれば彼の装備はまったくの皆無。銃を携帯せず、防弾着の類も見受けられない。
「久し振りだな。 あれからもう何年だ?」
「黙りな」
「そんなことを言うなよ。 俺とお前の仲じゃないか」
男の口が弧を描く。
柔和な笑みに力は無く、しかし老婆に敵対的な雰囲気は無い。どちらかと言えば老婆に対して友好的にも見える。
反対に老婆は男を拒絶していた。お前の話など一片たりとて聞きたくはないと態度で示し、彼女の感情に合わせて護衛達も武器の先を男に向ける。
一瞬にして形成された一触即発の空気は周りに広がっていく。誰も彼もが固唾を飲んで事の成り行きを見つめ、戦闘が始まろうものなら背中を向けて全力で逃げていくだろう。
「互いに直接話をしていた訳じゃないが、近況くらいは知っている。 ……自分を過去の人間にしていこうとする姿勢は解らんでもないが、そうするには後継者がいない筈だ。 ……軽はずみな行動ではないと思っちゃいるが」
「黙りな。 私がどうしようが私の勝手だろ」
「そんな訳がないことはお前が一番解っている筈だ。 ……支配者の権力にどんな魔力が宿っているかを、アンタはよく解ってる」
「黙れ!」
だん、と杖で地面を叩く。
怒りの形相は一喜が僅かな見た中で最も強く、怒髪天を衝くが如し。
荒々しく呼吸を繰り返す様に冷静さは無い。だがそれを見ても男に変化は見られず、奇妙な不気味さが存在していた。
すっと男の瞳が一喜達に向けられる。先の老婆に対するものとは異なる感情を伺わせぬ眼は、一喜自身を最初から怪物だと断じている明らかな証拠だった。
一喜もまた男を見やる。唐突な登場に戸惑いが無いとは言わないが、狼狽えては間抜けに思われかねない。
人間、第一印象が一番大事だ。その点で言えば既に一喜への印象は怪物の要素で最低値にまで下がっているも、誤解を解こうとしても無駄だろう。
「そこの奴は知っているが、君については初めましてになるな。 俺は稔。 名字はまぁ、嫌いなもんだから適当に稔って呼んでくれ」
「一喜だ。 大藤・一喜」
「結構だ。 怪物は怪物で十分」
稔の態度は明らかである。拒絶の意志を実に感じさせる物言いに取り付く島が無い。
「こんな場所に何か用か? 何人か連れていって嬲ろうとでも?」
「別に。 ただの観光だ」
「観光? ――――実にらしくないな、化物」
吐き捨てる言葉には嫌悪も混じっている。
最初から敵だと判断する思考は危険だが、そもそも傍に危険そのものが居るのであれば向こうが一喜を敵だと判断するのも当然。
寧ろ老婆が受け入れたことが奇跡的であり、稔の対応こそが今の人類の基本的な向き合い方だ。
故に、一喜に怒りは無い。老婆との会話で相手が支配者だとも既に推測がついている以上、下手に刺激をしては街そのものが敵になりかねない。
相手が引き金を押した瞬間、一喜の全身は穴だらけになるだろう。そうなる前に着装出来れば良いが、そんな猶予を相手が与える筈も無し。
老人が居てこそ一喜の安全は保証されていた。そして、件の老人は一喜へと牙を剥けようとしている稔に細い目を既に向けている。
「まぁ、どう思おうが勝手だけどよ。 俺たちゃ別に此処でやろうって訳じゃねぇんだ。 黙って出れば何にもしねぇよ」
「どうだろうな。 お前達は人間を嬲るのが趣味の生き物だ。 此処を出て外から攻撃をしないなんて保証が何処にある。 ……いいや、そもそもだ」
稔の目に憎悪が灯る。過去と現在を合わせた全ての熱量が老人を焼かんと責め立てる。
「こうなったのも全てお前が原因だ。 死んで詫びるのが筋じゃないか?」
一触即発の空気の中、稔の言葉は両者の溝をより解り易くしていた。




