【第二百四十六話】黒き街の者共
ブラック国家と呼ばれるこの街は歪な円形の壁に囲まれている。
壁の役割は基本的に住民を守る盾だが、一種の境界線としての役割も担うことで外と中の区別を明らかとしていた。
街内には厳密な区分けがされている訳ではないものの、それでは住民も困るのか一つの業種が隣接し合う形で密集している。
孤立を恐れた結果でもあるだろう。自分だけが取り残されるような環境を彼等は望まず、必然的に住居群も一塊となって集合している。
その地は非戦闘区域に指定されていた。住んでいるのは戦闘のせの字も知らない人間ばかりで、特にまだ成長途中の子供や老人が多い。
青年や少女といった者達は未だ学生となるべき年齢であっても手に職を付けていることが殆ど。これは支配者達が揃っていた最初期から続く流れであり、そもこれを継続していかなければ人手不足の解消は狙えなかった。
戦えない人間ばかりが居る場所は、即ちこの街限定の安全地帯だ。
喧嘩が起きてもそれは個人間のレベルに収まり、それ以上になれば街の自警団に取り押さえられる。
詳しい話を聞いて説教で済めば御の字だが、安全地帯での武力行使は最悪の場合において街からの強制退去だ。
これは彼等にとって死刑に等しく、荒廃していく世界に身一つで放逐されれば早晩餓死者となって野原に横たわる結果に終わるだろう。
後は死体となった身体を野生動物や虫が食べ、骨も自然の中で土に還ってあらゆる痕跡を消すのだ。
何も残せず空虚に消え去る様は、最早存在の否定である。彼等はそんな末路を辿りたくなくて、今もずっと秩序を守り続けていた。
「――稔様」
居住区の一つ。
高位の身分の人間に与えられる巨大な一軒家にて、その二人は居た。
照明の灯らぬ室内においてカーテンは閉め切られ、一台のステールデスクとパイプ椅子以外の家具は見当たらない。
椅子には革製の赤茶色のロングコートで全身を包む無表情の男が一人。
デスクを挟んだ反対側には白いセーターに黒のショートスカートを穿いた夜会巻きの女が静かに言葉を発している。
「怪物が彼女の許可により侵入致しました。 現状は特に問題になってはおりませんが、住民が緊張状態になっております」
「部下共はどうしてる?」
「既に装備を揃えて臨戦態勢です。 合図があれば即座に戦闘に移れますが……」
「暴発する奴が居そうか」
男――稔の言葉に女は無言で首を縦に振った。
支配者が一人。二人の内の片割れが許可を下したことで内部に入れることになった怪物達は、今は戦闘もせずに街の中を練り歩いている。
化物の片方は老婆の説明を真剣に聞き、自分達がよく知る方の老人は退屈気に辺りを見回しながら世間話をするばかり。
戦いの気配は感じられず、されどこの街に住まう者達にとっては気にしないままでいられる筈もない。
取り繕ってはいるものの、現場は静かに爆発が起きようとしていた。
導火線はゆっくりと進み、最後はどちらかが歩みを加速させるだろう。
一度爆発すれば止めることは出来ない。嘗て女の眼前に居た男が計画したように、始まってしまえば終わるまで続くのだ。
「……一度話をする必要がある、か」
「はい。 ……お会いしたくはありませんでしょうが」
女の表情が曇る。
それを見た男も眉を寄せ、天井へと視線を移す。
「何か問題が起きたのであれば、それを解決するのが支配者だ。 そして、多くを殺してこの地位に座っている俺は街の為に最善を尽くす必要がある」
「……」
「結果として俺が死ぬことになるとしてもだ。 街の為になることをしないなんて選択は俺の中には無い」
稔の言葉には確固たる意志が宿っていた。
皆を先導する者として。支配者の殆どを殺した身として。
嘗て和気藹々としていた仲間に銃を向けられてでも、今発生している問題について顔を向き合わせねばならない。
それが責任であり義務だ。子供の我儘で簡単に変わるものではない。
それが罷り通れば、待っているのは腐敗と堕落だ。己と己の味方だけの世界を作り上げ、やがて破壊される存在に成り下がる。
そんな自分に稔はなりたくはなかった。
「会うなら早い方が良いな。 暴発しそうな奴は下げて肝の座ってる奴だけで隊を組め」
「かしこまりました。 現在はどのような流れに変わるかは予測出来ません。 万全の用意を目指しますが、常に周囲の警戒をお願いします」
「解っている。 ……そんなのは昔にもう経験したさ」
稔は過去を思い返す。
自分がしたことを。そして何を得て、何を失ったのかを。
最初の頃は皆同じ志を持つ真の仲間だった。喧嘩をしても長引く前に誰かが仲裁に入って元に戻し、出来ること出来ないことを焚火を中心にして語り合った。
稔は農家の息子だ。といっても成人する前に親の手伝いで田畑を弄った程度で、最初の頃の彼の経験値はあまりにも低かった。
一緒に逃げていた者の中で畜産や漁業に詳しい人間が多く居て、彼等から教えを受けたことで今ではある程度の知識と経験を持つに至ったが、それでも食を担当するには自分は不釣り合いだと認識していた。
だが、実際に語り合った支配者達の誰もが自分には荷が重いと感じていたのだ。
何れ安定すればこんな肩書なんて捨ててやるととある支配者は語って、稔もまた同様に捨ててやると決めていた。
自分は平凡な人間だ。特別な才覚を持った人間ではない。
上に立つ人間とは、無自覚であろうとも誰かを引っ張っていける魅力を持った人間である。
「なんでお前は死んだ……」
女の前で稔は過去の友人に語り掛ける。
見た目は眼鏡を掛けたそれほどパッとしない青年で、だが異常な程に優しさを捨て去らなかった人物。
争いが日常となって殺し殺されも当たり前になろうという時分で平和を唱え、多くの人間に手から刃を捨てさせたのは紛れも無く偉業で、そんな芸当を稔は出来ると思えなかった。
当の本人はせめて自分の出来ることをと謙遜するばかりだったが、それが出来る人間こそが組織の頂点に居るべきなのだ。
誰も彼もを包み込む優しさ。それは危うさを孕みつつも、皆が最も欲していた温かみのある熱だった。
生き残るべきだったのだ。
何があろうと、何を犠牲にしようとも、あの優しい青年だけは生き残らねばならなかった。
だというのに、青年は死んだ。稔が始めた戦争に巻き込まれる形で。
最も大事な旗が消えた絶望を稔は覚えている。誰も居ない部屋で泣き崩れたことを、今だって鮮明に思い出せる。
失いたくなかったのだ。大切だったのだ――――唯一無二だったのだ。
「稔様……」
虚空を見つめる彼に、女もまた悲しみに満ちた表情を浮かべる。
彼女は昔からの稔を知っている。本当の彼が実際のところ非常に話をするのを、友人を大事にするのを、彼女は他の人間よりも把握していた。
女が稔の補佐役に就いてもう長い。支配者達が全員揃っている頃から彼女は一度として稔の期待に背を向けず、彼が信じる道を共に突き進んだ。
彼女自身、あの頃の支配者に一抹の不安を覚えていたのは事実。
上手く回っていた歯車は安定の二字の前で逆に不安定に陥っていき、各支配者達の心の底からの願いを浮き彫りにさせていった。
変わらなかったのは稔、老婆、青年の三名のみ。
初志貫徹する者達の心身は強靭で、今でも皆が寄り掛かる大木となって聳え立っている。
仮に青年が生きていれば、稔も老婆も訪れる未来が変わっていた筈だ。
稔は己の行いを悔いることはなかったし、老婆は怒り続けることもなかった。少なくとも青年による完全な統治の前では二人は個人の感情を抑え込んだだろう。
物事はそう易々とは進まない。都合の良い結果など、誰にも与えられはしないのだ。
だから皆が後悔と、怒りと、悲しみを抱いている。これは変わることはないであろうし、関わった者全員が生涯抱え続けるものになる。
「悪いな、余計なことを言った」
「いえ、では失礼致します」
二人は何時もの言葉を並べる。そこに感情は無く、歪な機械の歯車が異音と共に鳴り響いていた。




