【第二百四十五話】違いを学ぶ男
街の歴史を聞いた一喜達は小休止の後に外へと繰り出した。
案内役は老婆のみ。彼女には他の仕事がある筈だが、やはり怪物が目の前に居る状況で冷静さを失わない住民は少ないのか老婆は誰も呼ばなかった。
代わりに現れたのは一度解散させられた護衛兼監視の人員。彼等を見て老婆は手で払う仕草をするも、それだけで監視の目は消えてくれない。
怪物への恐怖。そして老婆への忠誠。昔と比較すれば彼女の現実的な立場は低くなっているが、精神的な立場は依然として強固なものなのだろう。
見られるだけで済むのであれば一喜にとっては何の問題も無い。老人も視線を気にする様子も無く、欠伸をしながら街の風景を眺めるだけ。
一喜の目は人々を映していた。
ビルの解体は此方を警戒しながらもスムーズに進み、距離を取りながらも住民はひそひそと言葉を交わしている。喧嘩をしている気配は感じられず、警備をしていると思わしき人間は幾つかパーツは異なれど似通った制服で歩き回っていた。
彼等の服装もこの世界で見た最初の頃の街の人間より整っていて、風呂も整備されているのか小奇麗な者もちらほら見受けられる。
発見した衣服を着ては捨ててを繰り返している訳ではない。着慣れた雰囲気がある住民の姿を見るに、衣食住が最低限整っていると感じざるを得なかった。
衣食住が整っている環境は今の世界では楽園だ。
こんな場所に居続ける為ならば人はいくらでも団結してみせるだろう。そして団結を継続していった結果が今であり、表面上は争いとは無縁だ。
老人や怪物が踏み倒せる砂上の楼閣に過ぎないとはいえ、この場は人間が持つ数少ない生活圏。
今は恐怖していても、いざ破壊に乗り出そうとすれば誰であれ襲い掛かるに違いない。
逃げの一手を取る姿勢を見せない彼等を見るに、それだけは確かな事実だ。
街を巡る時間は一喜に退屈を与えなかった。
廃材を駆使して建物を作り、数十人の人間が手に調理器具を持って住民の食料を作り、僅かに聞こえる機械の駆動音が工業製品を今正に生み出していることを告げている。
人為的に植えられた自然の広場では子供達が地面に座り込み、一人の男性の話を聞いていた。
壮年に近い人物は指示棒と端が罅割れた黒板を用いて授業を行い、この学び舎の存在しない世界で学を与えている。
子供達の中には明らかに退屈そうな顔をする者も居たが、そも退屈であると感じられるだけ素晴らしいことだ。
他の街では退屈をしている暇も無い。日々が死と隣り合わせの環境となれば、明日を迎えることそのものに安堵を零す。
此処に住む子供は平和の中に居るのだ。もしくは、大人達が必死に子供達に平和を与えているのだ。
これは一喜としても反省しなければならない点である。
拠点の子供達とてまったく平和を感じていない訳ではない。友達同士で遊ぶことも、親が教育を施すことも確かにある。
これまでの生活と比較すれば天と地程に彼等も安寧を感じている筈で、しかし拠点内で殊更子供に意識したあれこれを考えたことが一喜にはない。
あるのは拠点をどう運営していくか、どう怪物と向き合うか。
騒ぎを起こさせないを兎に角重視する彼は、つまるところ子供が喜ぶことや必要なことについてを悩もうとしなかった。
子供は宝とはよく聞く言葉だ。彼等が順調に育つことで将来の人材を確保することに繋がり、一喜が居なくなった後も発展が続いていくのだ。
この街は確りと未来を考えている。怪物が数多居る世界で、将来を見据えた方針を手放さずに握り締めていた。
「本当に良い街だな」
「そうだろうとも。 あんなことがあってもこの街は天国さ」
遠くから広場を見つめて心からの感想を一喜は零し、老婆は若干表情を緩ませた。
過去に何があっても、この空間に嘘は無い。人間が人間として生きて行く光景は、絶望を知っている身である一喜としては強いとすら思えた。
踏めば散る存在の力強さ。雑草魂は一喜の世界ではあまり見られない姿だ。
平和であるからこその限界というハードルの低さ。武力ではなく権力が世界を支配している以上、どうしても己の力量を早くに悟って諦めてしまう。
そうではない筈だとどれだけ鼓舞しても、大元がそもそも努力の必要性を削り取ってくるのだ。
一喜の世界で努力をするには大望の為に狂気を抱ける人間でいなければならない。
そして常人であればある程に現実の壁に心が折れる。自分の頑張りに何の意味も無いと知ってしまって。
「……店もやってるんだな」
「ああ。 といっても金は意味が無いから物々交換だけどね」
現実の醜さを思い出していると、ふと視界に開店している建物を見つけた。
数は三店舗と決して多くはない。寧ろ少ないくらいだが、小さな列が出来るくらいには人々がその店に寄っている。
彼等の手にはそれぞれ食料や道具が握られ、それが店の商品を買う為の代金となるのだろう。
「物々交換をしているのは何故だ? この世界じゃ使えるものは保管したくなるもんだと思うが……」
「それは外での話だね。 この中なら多少は商品を生み出すことも出来る。 材料も探せば存外見つかるし、後は修理するなり一から作れば欲しがる人間が出て来るかもしれない。 食料だってずっと日持ちする訳じゃないんだ。 食べ切れない分をもし外部から確保したのなら、いっそ売ってしまって欲しい物にした方が無駄にならないさ」
「ほー」
言われてみれば、それは確かにその通りだった。
エリアを限定し、その中だけを豊かにすることを目的として活動していた彼等は、他を拒絶するデメリットを受け入れると同時に急速な団結を迎えた。
その団結力で工場を復活させ、食料を供給させる手段を確立したのであれば外部で獲得したあらゆる資材が絶対に必要とはなくなる。
時には自分には不要だと思う品々を見つけ、それを己の利益を得る材料に変えることも可能にしていた。
貨幣の価値が零の現在では物々交換によってでしか売買を成立させられないが、そこまでいけたのであれば何れ独立国家としての地位を築くことも不可能ではないだろう。
最後の壁としては武力であるものの、老人が無闇に襲うタイプではない以上はこの街の発展を積極的に妨げる存在はほぼ居ない。
約束された土地だ。日本の本土に住まう人間が全て死滅した時、此処だけが最後の存続の場所となる。
だとすれば、沖縄の名前が何れ日本になることもあるかもしれない。
「なんていうか、此処だけ経済が蘇っているな」
「そうなのかい?」
「東京って例外はあるが、俺の周りじゃそもそも怪物が暴れ回っていた影響で碌に人が集まることも出来なかったよ。 なんとか集めることが出来たとしても食料は奪い合いだし、住む場所だって今にも崩れ落ちそうなビルの中とかさ。 他に見つけた集団も怪物の餌を与える為の牧場になっていた」
「…………」
老婆は外部に出たことはあっても、本土の状況を知る術は無かった。
一喜の言葉で初めて現在の状況を知り、彼女としては絶句する思いである。
「そいつの言葉は嘘じゃねぇぞ? 俺が変なだけで、大抵は好き放題な奴ばっかりだ。 弱い物虐めをするのが大層お好きなんだよ」
老人の追撃の言葉に老女はますます言葉が出なかった。
最後に彼女が本土の状況を知り得たのは、まだ完全に日本が崩壊していなかった時分のテレビやラジオからだ。
それが途絶え、海を渡る術を破壊されてからは知ることも出来ず、想像の中で彼等の悲惨な有様を描くしかなかったのである。
それが現地の人間の言葉でリアリティを増した。もっと言えば、自分達も支配者が変われば同じ状態になっていたことを理解したのだ。
解ってしまえば、老婆が老人を見る目に複雑な色が混ざり込む。
老人は間違いなく虐殺者に違いない。それでも彼が起こした虐殺行為は一度だけで、以降は復興していく街を襲うこともしなかった。
眼前の敵は他の敵とは異なる。少なくとも、雑魚を嬲るチンピラのような性格はしていない。
話しをすることが出来る時点で老婆は当たりを引いたのだ。例え結局は弱者を見殺しにするような性根を持っていても、相手は戦う人物を選ぶ矜持を持っていると。
「――感謝はせんぞ」
「勿論だとも。 そんなことをされちゃあ気持ちが悪い」
老婆は視線を誰にも向けなかった。
複雑な心境のまま広場に目をやり、将来の子供達を見据えることで今の感情を誤魔化そうとしたのだった。




