【第二百四十一話】老婆が語る黒の歴史
「こんな風になっているのか……」
様々な建築素材を駆使して構築された壁の中は、驚くべきことに綺麗だった。
地面は石畳に覆われ、破損した建物は修復されている。流石に電線の類は見受けられないものの、電力供給が最初から期待出来ないのであれば無くなっても問題は無いだろう。
騒音の正体は建物を壊す音だ。遠くでは複数の作業員が凹みの目立つ黄色のヘルメットを被りつつも道具を使って建物を丁寧に破壊している。
破壊した建物は既に人の住めない状態になっているのか、あるいは更地にして別の施設にする為なのか。
一喜には推測することしか出来ないが、丁寧に壊している様を見ているとその素材達は別の用途で再利用されるのだとは解る。
人は多い。怪物である老人が居ることで視線を集めはしているが、彼等の表情に絶望的な要素は驚く程少なかった。
それが事前説明の成果か肝っ玉の大きさ故かは定かではないものの、老婆は彼等の前で理由も語らず前を進む。
横に並ぶ一喜と老人の外側では門番が呼んだ別の人間が少数で固め、二人に対して目を光らせている。
歓迎されていないのは一目瞭然だった。老婆が許可を出しただけで、それが無ければ彼等との戦闘が避けられないのは確実だ。
その場合は一喜は回避や防御に徹するのみだが、老人は殲滅に乗り出すだろう。御馳走に無造作に手を出した連中を裁くのだと。
「意外だな、前の時よりもずっと良くなってやがる。 街のデカさから察するに千人くらいは住んでるか?」
「約千二百だ。 お前が来たのはずっと前の話だろう? あれから若人は結婚し、子供を作り、その子供も成長している」
「そいつは……結構なことじゃねぇか」
「最初のアレが無ければ世の中もっと幸せだったろうさ。 現代医療が生きていれば治っていた病で死んでいった人間も数多い」
老人と老婆の会話には明らかな温度差があった。
片方は呑気な観光客気分で、もう片方は敵意剥き出し。一喜の言葉から彼に直接敵意を向けはしないが、その代わりに周りから敵意を感じさせる視線を向けられている。
老婆達の気持ちは御尤もだ。眼前に復讐する相手が居て、しかし相手は簡単に倒せるような存在ではない。
今の自分達では逆立ちしたとて勝てず、かといって未来で老人に勝てる方法も見出せていない状態では反抗の意志を匂わせるのが精々だ。
それが怪物を刺激する材料になっているとしても、人間の感情とはそう易々変わってくれるものではない。
特に憎悪や恨みで生きている人間であれば捨て去ることは不可能である。それが無くなれば、後に残るのは巨大な虚無感だけなのだから。
「それで? 観光って言うからには何処を見たいんだい。 別に名所とかも無いし、単に見て回るだけなら歩いて三時間もあれば大体は解るよ」
不意に老婆は一喜に問うた。
その声は先よりも幾分か落ち着いていて、敵意は滲み出る程度しか感じられない。
彼を信じ切れていないのは勿論だが、同時に奥底では理性を潰して出した結果に期待もしている。
それが僅かなものであれ、もしもを考えるのであれば敵対的であろうとするのは問題だ。
一喜の態度は丁寧なものではないが、かといって怪物特有の横暴的なものでもない。
言ってしまえば老婆達同様の人間寄り。無茶を力で押し通す前に話で解決することを望むような、誰しもが思う常識的な人間そのものだ。
「見て回るだけで十分だが、その前に一つ聞いても良いか?」
「良いとも、解ることなら」
「横の奴が此処をブラック国家と言っていた。 その理由を知りたい」
老人を指差しながら今度は一喜が老婆に問いを投げた。
オアシスとも語っていた通り、成程此処はオアシスだ。具体的な部分はこれからだが、少なくとも住民達は非常に健康的だ。
飢えた人間が路上には居らず、見える範囲に極端な異常者も確認できない。
建物の中にそういった人間が収容されているかもしれないが、そもそも表にあまり出て来ていない時点で此処の治安は良好だ。
門番が居る事実が治安維持組織があることも示し、彼等が老婆に信頼を向けているのも一度も文句を吐かれなかった時点で確かである。
他と比較すれば此処は正に天国だ。次の移住者を認めるか否かについては範囲を自分から明確にした以上厳しくしていると考えられるも、そんなことは多数を抱えることになれば当然の話。
全員に優しくするにはこの世界は全てが足りない。その足りない中で最善を尽くそうとしているのが、この街からは感じ取れる。
ブラック国家などと呼ぶのは失礼だ。表面的な部分のみで言えば、メタルヴァンガードによる治世抜きで最も素晴らしい場所だろう。
故に、老人の発言は疑問だ。最後に来たのがかなり前だっただけにその当時の印象を語っているだけと思う方が納得は出来るも、老婆が咄嗟に否を告げずに黙った時点で何かしらの問題をこの街が抱えているのは察して取れた。
「……ブラック国家、ね。 確かにその通りだろうさ。 最後にこいつが寄り付かなくなってから時間は随分経ったが、この街の根本的な問題は解決していない」
「問題?」
苦み走った表情で老婆は視線を右奥へと傾ける。
遠くには壁と騒音と密集した集合住宅地があるだけだ。別段に何か目立つ要素がある訳ではない。
「一目見てこの街をどう思う?」
「……今の世なら理想的な環境だと思う。 俺が住んでいる地域内じゃ悲惨な状況になっている人間の方が多い。 もしかして食い物に困っているとか?」
「いや、そんな問題は随分前に解決したさ」
事も無げに老婆は一喜の推測を否定するが、それを解決するだけに一体どれだけの努力が求められるか。
武力はあっても経済力自体は他人任せな一喜の環境ではそれが一番求められているというのに、恐らくは本土と切り離されていることからあまり侵略を考慮していないのだろう。
生産している場所は何処か、どのように生産しているのか、初めはどうしていたのか。
気になる要素はあるも、それを今問い掛けるには空気が重くなっていっている。
故に口を噤み、続きを一喜は無言で促し――老婆は溜息を一度吐いて問題の内容を語った。
「この街には誰が言い出したか支配者という地位が生まれた。 昔は食い物を牛耳っていた奴や医療者達のリーダーといった一分野の頭が支配者になり、この街の中で一番デカい会議室で雁首揃えて日夜会議をしていたもんさ」
昔日を懐かしむ老婆の目には暖かな感情が込められていた。
集まってきたメンバーは基本的に集団のトップで、互いに足りない物があるからこそ一つの街の跡地を拠点として復興を目指した。
争いをしている暇は無い。荒くれ者も臆病な者も揃って飢えや病気や環境に苦しみ、そこから抜け出す為に必死だった。
明日には友や家族が死んでいる。いいや、次の日には自分こそが死んでいるかもしれない。
生きなければ。ただただ、嘗ての頃のように生きたい。
全員の願いは一つ。小さい力をその願いに集め、一体の生物が如くに生存への道を作り出した。
「成果はあった。 無数の屍の上に此処は生まれ、未来ある者達が生きていける環境の継続こそが我等の悲願。 ……きっとあの頃は皆がそう思っていた筈さ」
支配者達の、そして倒れて行った者達の願いは叶った。
完璧とはいかずとも食べ物を生産し、誰かを癒し、怯えず暮らせる土台を彼等は生み出してみせたのだ。
正に偉業。真に奇跡。当時の荒廃が進むだけだった世界で欠片でも復興を成功させた彼女達は、正しく新時代の希望そのものだった。
それがずっと続けば何も言うことはなかったのだろう。老婆が溜息を零すことも、老人がブラック国家と揶揄することもなかった。
事態が変わったのは、外壁による外界との遮断が終わった頃――――一人の人物が発した言葉が全てを狂わせたのだ。




