【第二百四十話】黒い国の支配者
一発の銃弾は真っ直ぐに老人の頭蓋を目指した。
人体に命中すれば正しく絶死となる速度の攻撃を視認出来た人間は居らず、そもこの時点で攻撃が発生することを一喜も門番も予想だにしていなかった。
「んー?」
欠伸をしながら老人は片手を一度振る。
ブレた一瞬で迫る弾を掴み、彼は碌に見ることも無しに地面に適当に投げ捨てた。
門番も一喜も此処で攻撃が開始されると思っていなかったのは、ただ単純に攻撃に意味が無いからだ。
化物に普通の銃火器は何の意味も無い。それが解っていて武器を向けるのは、ただの馬鹿か自殺志願者だけである。
果たして、鉄格子の内側から現れたのは老人と同様に年を重ねた老婆だった。
鼠色の上下服に赤いカーディガンを羽織り、粗削りの杖を突きながら歩く女性は空いている手に拳銃を握っている。
銃口から立ち上った煙は使用した事実を周囲に認識させ、されど老婆に質問をする者は誰も居ない。
彼女は総白髪を短く切り、無数の皺を確認出来る程に老いていた。
だがその目が、年齢を重ねて弱くなっていくその目に圧倒的な敵意が宿っている。
怪物を前にして怯えることも無く、例え二本の足で確りとは立てなくとも彼女は怪物に対する含みを曝け出していた。
「っち、流石だね」
「まぁな」
舌を打つ老婆の皮肉な言葉に、老人は当然だろうという含みを持たせて返す。
「まだくたばってなかったのかよ。 こんな何も無い場所じゃ、長生きなんざ無理だと思ってたんだがな」
「舐めるんじゃないよ。 不死も谷原も死んだが、ありゃ根性無しなだけさ。 私をそんじょそこらの雑魚と一緒にするんじゃない」
「……そんなもんかね。 確かにあの二人はお前とは違うが、根性無しって訳じゃなかったろ。 死んだんなら、そりゃ運だ」
「は、運ね。 ――決める側は実に気楽なもんさ」
老婆はどこまでも強気だった。
いっそ何か裏があるかとすら一喜は考えてしまう程、老婆は皮肉を繰り返している。
老人はそんな彼女の反応に何処か楽し気にしていた。
思ったままの言葉を口にし、噛み付かれても犬がじゃれついてきたものだと眉を顰めることもない。
それがますます老婆の敵意を増やすだけになるとしても、老人としては願ったり叶ったりなのだろう。何せ老人が求めるのは強者なのだから。
例え彼女の力が年齢相応だとしても、心が折れていなければ何も問題無い。
「で、アンタらはどうして此処に入るんだい。 ぶっ壊す気で来たんじゃないだろ?」
「観光だよ観光。 隣の奴が興味があったからな、俺も久し振りだから寄るかってなっただけ」
「…………」
すっと老婆の目が一喜に向けられる。
細められたブラウンの瞳には何の感情も宿っておらず、先程の敵意は一切感じ取れない。
擬態だとしても意識の切り替わりが早過ぎる。この世界で高齢まで生きていくのであればこれくらいの判断が求められるのかと一喜が感心していると、老婆は銃を横の案内人に押し付けてゆっくりと歩みを進めていく。
杖を突く音が響く中、案内人達は顔を見合わせてどうするかと思案顔だ。
そうなる前に先ず止めるべきだろと一喜は文句を言いたくなったが、横の怪物への恐怖の方がまだまだ上なのだろう。
老婆の肝の座り具合が常軌を逸しているだけで、接近なんて普通は選択肢に入っていない。
無言の老婆はそのまま更に近付き、最後には一喜の目の前に立った。
一喜よりも背の低い彼女は見上げ、彼もまた彼女の考えを知る為に見下ろす。
交差する目では二人は会話など出来なかった。初対面極まりない状態で本音を共有するのは難しく、やはり人間の心の扉を開くには言葉しかない。
「横のは観光って言ってたけど、そりゃ本当かい?」
「此処の予定じゃなかったけどな。 ……ただ、ここまで来て今は興味がある」
「そりゃどうして?」
「似ていたからだ――俺が今作っている街に」
老婆の眉が一瞬震えた。
小さな感情の波は次の瞬間には消えてしまいそうで、けれどそこに彼女が思う本音の部分がある。
彼女の表情が変わった。口角を吊り上げた笑みの形に。
「街を作っている? お前も怪物の癖にかい?」
「あー、勘違いしても仕方ないが、別に怪物になった覚えはない」
「それを証明する方法は?」
老婆の追求に今度は一喜が眉を寄せた。
他人に疑われる経験はこれが初めてではない。今更嫌悪を抱くことはないものの、不快感だけはどうしても拭えない。
ただ証明をするだけであればメタルヴァンガードの機械を見せれば良い。
この世界ではメタルヴァンガードは過去の存在であるが、誰もが知らぬ存在という訳でもない。
特にこの老婆は老人と浅からぬ因縁を持っている。そうであれば、彼がメタルヴァンガードを語らぬことも無かっただろう。
されど、これは観光だ。彼と彼女の間に関係が続くのであれば開示した場合のメリットがあるが、所詮は一期一会に終わるだけの関係。
勘違いをさせたままであっても問題らしい問題は発生しない。
反逆の気配があってもメタルヴァンガードで逃げられるであろうし、一度逃げ切ってしまえば沖縄と関東までには長い距離がある。
海を渡ることすらも難しいこの状況で積極的に老婆が狙いに来るとも想像しにくい。
この老婆の感情の根本は不明だ。敵意を抱いているとしても、そこにあるのが義憤や憎悪からくるものでなければ仲間意識が共感することもない。
慎重にいくのであれば、安易に証明の手段を晒すのは悪手だ。望愛が傍に居れば耳元で悪手だと伝えただろう。
「方法はある。 が、それを見せるのは心情的に難しい」
「どうしてだい?」
老婆の眉が再度一瞬跳ねた。
「俺は今回、此処に滞在するのを目的として来た訳じゃない。 あくまでも見に来ただけで、それが終われば沖縄にもう一度来る可能性は殆ど零だ」
一喜は二つの可能性の内、現実的な方を選んだ。
晒すには相手の情報が少な過ぎる。その上、老婆の性格は決して温和な部類ではない。気の強い老婆が一喜の拠点の設備を見た時、一体どんな反応を示すのかは予測不可能だ。
鉄格子の中の街の状態も解っていない中、やはりどうしたとて彼の天秤は否の方向に傾かざるを得ない。
「そちらがどう思うかについては好きにしてくれ。 同じ敵だと考えても構わない。 ただ、これだけは言わせてくれ――――俺とコイツはもう直ぐ戦う」
全てを晒すのは不可能。その代わりとして、一喜は老婆を見つめながら未来の戦いを口にした。
これを口にするのは簡単ではない。
直ぐに襲われるこの環境。勝利に対する揺ぎ無い姿勢。老婆がそうだったように、確固たる意志を持った瞳は凡百の放つモノとは一線を画する。
老婆は此処の代表者として現れた。街の意志を最終的に決めるのは彼女であり、故に街に住まう人間の責任を背負うことになる。
この世界の大多数は、危うくなれば他を蹴り落としてでも生きようとする者ばかり。
その中で老婆は、少なくとも門番達に助けるべきかどうかを話し合う程度には信用を貰っていた。
老婆は青年の姿に違和感を覚えた。
彼の身形は整っている。傷も目立たず、服装には草臥れた雰囲気が無い。
着慣れた感は漂うものの、やはり街に住まう男達と比較しても身綺麗だ。
街を作ると老婆は聞いた。その街を作る話が真実であったとして、果たして彼はどんな風景を思い描く予定なのだろうか。
「……そうかい」
興味が湧いた。少々ではあるが、心を動かす引っ掛かりを彼女は覚えた。
その心のままに動いて良いのかと理性的な自身が語り掛け――――彼女は迷わず自身の内側の声を踏み潰した。




