【第二百三十九話】黒い国の門番
遠く聞こえる物音は近付けば近付く程にけたたましい騒音に変化していった。
砂漠めいた無味乾燥な地帯には人が生活する痕跡は見つからず、逆に不自然な程の物の消失を確認することが出来る。
これは生きている人間が使える物を回収していったことで起きる現象であるが、おかしいのは食べ物ばかりを持ち帰っている訳ではない部分だ。
彼等が殊更に求めているのは食料である。それが無ければ生活出来ず、彼等は家屋に碌な手入れもせずに崩壊寸前のまま住んでいた。
それが出来ない者達は雨風を凌ぐ為に軒下のような場所で生活を続け、とてもではないが衛生的とは言えない環境で無気力に呼吸している。
今の人類に新しく何かを始めるだけの余力は無い。化物から渡される僅かばかりの食料で飢えを凌ぎ、募る悪感情を知らぬ間に提供するのが基本だ。
であるからこそ、食料とはまったく関係しない道具や構造物の一部を持ち帰った形跡がある事が不思議でならない。
一喜自身、生きている人間の中で己と同様の行動を起こす者が出て来てもおかしくないだろうとは認識している。
諦めの悪い人間はオールドベースで既に確認済みだ。完全に全ての人類が無気力に染まっていない以上、彼は自分がしたことと同じ事をする人間が出て来る結果を寧ろ当然と考えていた。
どだい、彼は一般人だ。超常的な力を使うことが出来るとはいえ、道具が無ければ彼は天才的な頭脳も何もない只人である。
思考を止めねば何れ動くと解っているのであれば、痕跡を見つけた程度で大きな動揺を覚えることはない。
――だが、騒音の大元に辿り着いた時には流石の彼でも驚愕を隠せなかった。
「こいつは……」
それは街だった。
周りをぐるりと囲むコンクリートの壁。まったく綺麗な壁ではなく、継ぎ接ぎの印象を強く覚える高い建造物は安全とは言い難い。
とはいえ直ぐに倒れる気配は無く、少なくとも対人の部分であれば役立つ壁として機能するだろう。
高さは十メートルは越えるだろうか。首を上へと傾けなければ頂点は見えず、横もまた広い。
流石に大都市と比較すると小さくはあるが、それでも人の生活空間を丸ごと壁で囲い込めているのは驚嘆に値するだろう。
その壁を越える高さの建物も廃墟と化している様子はない。遠目に動いている影を確認することが出来、それはつまり建物そのものが今の彼等の生活を支えている事を指している。
地面の接する部分には人が通れるだけの長方形の穴が出来ていた。
その穴には鉄格子の門で閉ざされ、穴の左右には人が一人ずつ立っている。
装備品は小銃にサバゲーで見るようなベストだ。拠点でも世良やオールドベースの人間以外で銃器を持っている者は見掛けず、故に門番のような立ち位置の人間が銃を装備していることは珍しいどころではない。
「あれは門番か?」
「おう。 今でもこの街に入りたい奴はいるが、入れるのはほんの一握りだ」
「一握り……にしては街の規模がデカいな。 何人居るんだ」
「さてねぇ。 そんな細かい所までは覚えちゃいないさ。 ま、餌場としては良いがね」
門へと近付く二人の足に警戒は無い。
片方は怪物故に無駄だと解っているし、もう片方はどうせ撃たれても庇われるだろうと判断している為だ。
無警戒で接近すれば門番達も流石に気付き、小銃を構えて誰だと確認の声を発する。
門番達は皆男性で、非常にマッシブな者達だ。拠点に居た悪漢に近い見た目はしているが、彼等には真面目な雰囲気がある。
嘗ては自衛隊の隊員だったか、或いはここまでの生活の中で真面目にならざるをえなかったのか。
どちらでも構わないものの、柔軟に考えられない者達であれば厄介なことになりかねない。
「――よう」
老人が老人だと解る段階まで近付いた時、彼は徐に手を上げた。
緩やかな弧を描く口は友好的な雰囲気を醸し出しているが、沖縄を地獄に変えたのはこの老人である。
それを知らない門番ではなく、彼等は揃って顔面を蒼白に変えた。
小銃を構える片腕が小刻みに震え始め、もう片方の手は腰の別の銃に当てていた。
それに何の役割があるかも不明であるが、老人としてはどんな物であったとしても関係無い。
脅威的なら面白いと思うであろうし、効果的でなくとも当然だと納得するだけだ。
「まぁまぁ、落ち着けって。 今日は単純に観光に来ただけさ。 暴れ回る気はねぇよ」
「……それをどう保証する?」
「逆に聞くが、その保証に意味はあるのか?」
化物相手に門番の声は硬く鋭い。
従順な態度はしていない。反抗的で、しかし恐怖と不安も感じさせる声だ。
だが逃げない素振りを見せない時点で精神面では強い。一喜が知る限りにおいて、それが出来たのは世良のように反逆を忘れない精神の持ち主だけだ。
とはいえ彼等に老人をどうこうするだけの武力は無い。このまま言葉を幾度となく重ねたとて、門番が納得する筈がないのは明白だ。
「横の奴は誰だ。 お前のお仲間か?」
「お仲間ってほど仲が良い訳じゃねぇが……共闘はしたぜ!」
「誤解を招くような発言をするな。 阿呆」
共闘。その二字で連想するのは、信頼や協力だ。
小銃の照準が一喜にズレる。老人の発言で彼自身も化物判定を受けたのだろう。まったくもって誤解も誤解であるが、かといって今の彼にそちら側だと認識させる材料は持っていない。
「あー、意味が解らないとは思うが、俺はそっち側の人間だ。 こいつとはとある契約で一緒に行動しているだけだ。 俺だってこんなのの傍に居たくなんかねぇよ」
「酷いなぁ、これでも儂高齢者。 そっち若人。 OK?」
「NO」
本気で嫌悪の表情を作るが、老人の嫌に馴れ馴れしい言葉で説得力は皆無に成り果てた。
門番の警戒が高まる。今にも攻撃を開始しそうな気配に一喜はさてどうしようかと考えるが、その前に老人が一歩前に出た。
「兎にも角にも、今のお前達に俺をどうにか出来る訳がねぇだろ。 黙って中に入れるか、このまま殺されて通されるか。 好きな方を選べや、俺はどっちでも構わないんだよ」
「……」
戦意を静かに発し始める。
怪物の力は、それが向けられるだけで発狂しかねない恐怖を抱かせるものだ。選択肢を与えていたのは単純に興味が無いだけで、通るだけであれば本当に老人はこのまま門番を殺して中に入っていた。
好きな方を選べと彼は語るが、門番に選択の余地は無い。
通さねば死ぬと確信している以上、そうしたくないのであれば通す他無かった。
しかし、それでも彼等は門番だ。街の安全の一部を担う役職に就いた身として、ただ鉄格子を解放する訳にはいかない。
腰に備えていたもう一丁の銃から手を離し、彼等は互いの顔を見る。視線での会話で互いの意志を統一し、そして今一度老人達へと首を向けた。
「少し待て。 流石にいきなりアンタが入って来たら街が大騒ぎになる。 代表者を連れて来よう」
「良いぜ、事が順調に進むなら万事問題無しだ」
街に入れるのなら老人にとって何の問題も無い。
鷹揚に頷き、門番の内の一人が鉄格子に身体を向けた。
門である格子には至る所に巨大な南京錠が付けられている。一セキュリティとして南京錠だけというのは不安が強く残るが、かといって電子的なロックはこの世界では出来ない。
では閂といった古典的な方法を用いればとも考えるも、そもそもロックが必要な程に脅威的な相手は怪物だけだ。
今の人類同士で物資の奪い合いはあれど、一方が極端に強ければ怪物対人間同様の結果に終わる。
銃器を所持しているこの街が負けることは、沖縄から出ない限りは怪物襲来以外ほぼ有り得ないだろう。
故に、然程厳重でもないロックは容易く開いた。
一人が内部へと入っていき、三人の間には沈黙が広がる。そのまま五分、十分、十五分と待ち続け――――老人が欠伸を零したその刹那、一発の銃声が街の出入り口である鉄格子で轟いた。




