【第二百三十八話】男、悪魔の地に降り立つ
異世界の海は他の海と変わらなかった。
青く、黒く、波があって飛沫も上がる。元の世界と同じ海になんだか奇妙な感覚を抱きながらも高速で沖縄の地が見えてきた。
沖縄と聞かれて一喜が想像するのは暑いことだけだ。南側に位置する県だけに他県と比較すると暑く、そして全国で話題になるくらいの名物がある。
言えるのはその程度で、沖縄が保有する土地が何処から何処までなのかなどは忘れていた。
そして、沖縄内の土地の端で着地し――――他との違いの無さに驚愕した。
「どうした?」
『いや……』
着装したままセンサーを走らせてみるが、地形情報は然程拠点外の街と変わらない。
建物は崩壊しているし生命反応も少なく、何か産業が続いている形跡もない。
強いて違いがあるとすれば小規模で集まっていることだが、それとてキャンプや拠点の方が人数が多い。
海という自然に阻まれたことで幾らかは普段通りの生活をしている者が居ると考えていたが、そんなものは些細な違いでしかなかったのだ。
希望がある所を徹底的に壊す。沖縄も、反対の北海道もそれは変わらない。
人類が逃げられる場所は最早地下か宇宙くらいしかない。そして、今の人類ではそのどちらにも生活拠点を築く技術も根性も皆無だ。
着装を解除して初めて彼は潮の匂いを鼻で捉えた。
元の世界と変わらぬだろうそれは逆に不自然で、大地と海が接する地点を境界線として別の世界に足を踏み込んでいるかのようだ。
破壊された道を歩くと、ところどころで歩いている浮浪者達を見掛ける。
怪物の前に姿を晒せば殺される筈だが、そもそも此処を支配しているのは老人だ。弱者を甚振る癖の無い彼であれば、今にも死にそうな程に痩せた人間に対した興味など湧く筈もない。
相手もそれは解っているのだろう。深く頭を下げた状態で震えながら去るのを待ち、そんな姿を一瞥した老人は小さく息を吐いた。
「これをやったのは俺だ。 まだこの身体になったばかりの俺が、この惨状を作り上げた」
「惨状? 怪物には似合わない台詞だな」
「惨状だとも。 今でも後悔している――もっと種は残すべきだったとな」
老人は怪物になってから一度も敗北したことはない。
最も初めから参加しているだけに、過去の出来事も当事者側として記憶している。
同時に、あの頃の自分は酔い過ぎていたとも感じていた。沖縄を潰すのは造作も無かったとはいえ、無差別に破壊の限りを尽くすのはあまりにも稚拙に過ぎたのだ。
まるで子供が砂の城を崩すが如く。腕の一振りで建物が吹き飛ぶ光景を老人は脳裏に描き、そうした自分に舌打ちした。
死んだ人間が果たして何人いただろう。
その中で将来、如何程に骨のある奴が生まれていただろうか。
殺すことは簡単だった。だが、殺したことによる弊害を老人は最初の頃はまったく考えていない。
時間が経って、振り返った後に老人は理解したのだ。自分が一体何をしたのかを。
故に、老人は過行く人々に手を上げることもなければ声を掛ける真似もしない。
「此処に住んでいる奴等も大概は折れきっている。 服従することが生き甲斐だと言い聞かせ、とんと俺に疑われる真似をしない」
「統治者なら喜ばしい話だな。 お前の邪魔をしないってことだから」
「勘弁してくれ。 ……振り返った当初はまさかここまで心根の弱い奴ばかりだと思ってはいなかったのだ」
老人の思う強き人とは、実力があるだけではない。
真っ当で、常識的で、言い返せる気概も無ければならない。安易な方に流れることを良しとせず、反抗の意志を常に抱いてほしかった。
だが蓋を開けると、そこに居たのはどれもこれも弱者ばかり。
ちょっと小突くだけで蹲っては泣いて、集団でなければ文句を垂れることもしない。
非常識な馬鹿はそもそも生きるのに難しく、結果出来上がるのは有象無象の石ころ軍団。
「ならお前が鍛えてやろうとは思わなかったのか?」
「試しはしたが、そもそも基礎が違う。 見込みのある奴に適当な奴から奪ったカードを使わせてもみたが、今の所は酔って暴れるだけに終わっている」
「さらっと味方殺しを言ったな」
「別に。 単に使えぬ奴だったから殺して代替わりさせようとしただけ。 偶々握っていたカードをどう使うかは俺の裁量に任せられている」
歩きながら会話をしていると、老人は思った以上に高い地位を持っている人物だというのが見えてくる。
カードの扱いは如何に放任主義的なルサンチマンだったとしても慎重になる筈だ。
それが無くなることは駒の減少を意味し、彼独自の救済を果たせなくなる。不満の解消が出来ないのであれば救済は失敗して、多くの場合において不信感に通じるだろう。
壊れることはないので雑な扱いをしても構わないが、喪失や自分勝手な使用を頭が認めるとは考えられない。
であれば、老人の地位は色を持つ者達の中でも特に高い。想像するに、あの三枚の内のどれかは確定だ。
そして三枚の内、女王は既に予想がついていた。
それを顔に出さず、一喜は適当な話題を投げながら情報収集に勤しむ。
何か手に入るかもしれない。逆に何も手に入らないかもしれない。所詮は余興に過ぎないこの観光は、老人にとっては大した意味も無い行為なのだから。
やがて遠くに街が見え、耳は何やら物音を捉えた。
未だ遠目に見えているだけの状態で音が聞こえるということは、もっと接近すればその音は大きくなるだろう。
一瞬だけ一喜には戦闘の二字が浮かんだが、だとするならば怪物による蹂躙でもなければ巨大な音はしない。
爆発物の類を使えば巨大な音は出せるが、目で見える範囲では物が吹き飛ぶ様も火が加速度的に現れる様子も無かった。
では、これは一体何か。気になった一喜は素直な心持で老人へと問い掛ける。
「あの街、何をしているんだ?」
「ああ、あれか……」
老人にとっては既に見飽きたものなのだろう。
顎を掻いては街の姿に目をやり、一度一喜の顔を見てはにやりと口角を歪めた。
「あそこには人が住んでいる」
「人が?」
「おうともさ。 数少ない沖縄の生き残り共が集まって作り上げたオアシスみたいなもんだ」
「アンタは行ったのか?」
「行ったとも。 あそこはなんというかまぁ……」
足を止め、暫く言葉を選ぶように老人は黙る。
センサーが感知したのは海岸線付近のみ。深くまでは人の数を把握していなかったので、まさか街が本来の機能を果たしているとは想定していなかった。
勿論、一喜が思う普通の街ではないのだろう。老人が支配している中で、されど黙認されながら出来上がった場所だ。
一喜の拠点と比較すると安全性はまったくと保証されない。寧ろ何時潰されてもおかしくない危うさを抱えている。
ならば変な箇所の一つや二つあっても十分に有り得た。いや寧ろ、無い方が不自然である。
「ブラック国家、みたいな感じだな」
「お前に奉仕させる意味で?」
「いんや、色々な意味でだ。 行ってみるか?」
ブラック国家。
街なのに国のような表現をするのは違和感があるが、それが一喜の好奇心を疼かせる。
瞳に好奇の色が浮かんだことを見た老人は緩やかに足を動かす方向を変え、件の街へと進み始めた。
この街への訪問は老人の想定とは違った。だけれども、観光と言ったのであればやはり楽しめる場所の方が良い。
加えて、老人は久しく街の状況を確認していなかった。どうせ大したことは出来ないと放置していただけに、何が起きるかも不明だ。
不足の事態があるかもしれない。その事態が一喜に不幸を齎すのであれば、この老人は嘗てと同様に虐殺を始めるだろう。
不穏漂う地への歩みは静かに始まった。それを見ていた者は誰もいない。




