【第二百三十七話】異世界の海を見る者
空の旅行を一喜は経験したことがない。
社員時には同じビルに出勤し続け、バイト時には旅行の一つも計画していなかった。
幼い頃に家族旅行で空を飛んだことも無く、故に空の旅を経験したのはこれが初めてのことである。
実際に飛んで解ったのは、世界の広さだった。
障害物によって遮られた視界は開かれ、離れた地点から下を見ることで教科書では感じることのない大陸の雄大さを知った。
同時に、やはり世界は記録にでも残さねば過去の状態を維持出来ないとも理解させられる。
日本は他の大陸と比べれば大きくはない。そして海に囲まれていることで他の大陸と接続もしていない。
日本人は特に現状維持が大好きだ。新しいことに挑戦するガッツが殆ど無く、上の世代程挑戦者を嫌う傾向にある。
新時代の始まりは何時だって不安定だ。例えば大会社の一部署が会社そのものを変えかねない試みをしようと提案して、果たして上層部は許可を下しはしないだろう。
これは実績を用意しても一緒だ。若いから、才能があるから、将来的に自身を脅かすから上の世代は挑戦を選ばない。
日本で生まれ、日本で育ち、過去の日本人が持っていた価値観を絶対だと定めたままの彼等は外国人の文化すらも容易く貶す。
そして、上の世代がそうであれば下に汚染が広まるのも必定だ。
外の世界に目を向けない。挑戦をしようと考えない。徹頭徹尾安心安全を追い求め、けれど人間の根底にある好奇心は中々消失しない。
日本は他よりは安定していた。だから多くの日本人は外国の常識にギャップを感じ、中々外で仕事をしようと思わない。
日本人は多くが内向きの循環を続けていた。外に向けた活動など、実際の数値上では決して多くはない。
日本人の人口がどれだけ増えても、大多数は日本で住むことを選ぶ。
狭い土地の中で全員が暮らしていけるような環境を構築していき、足りなければ自然を削って土地を用意する。
気付けば自然は少なくなっていた。
動物が人間の生活圏に出なければ生きていけない程に、人工的な空間は年々拡張されている。
だが、一喜が今見ている景色は見事に逆転現象を起こしていた。
崩壊した高速道路を覆うような樹林。廃墟化した建物に住まう野生動物達。
人間社会を頂点とした弱肉強食が崩れた今、嘗て数少ない森に追いやられていた生き物達がサバンナに居る動物達と同様の生態系を構築している。
日本は、既に日本ではない。それを改めて実感すると共に、人口の減少が何を齎すのかを嫌という程に理解した。
「――こうなったのは結構前だ」
飛行する一喜と異なり、空気を蹴って移動する老人は息切れする様子も無く静かに話しかけた。
「最初期の段階で多くの化物達が虐殺したからな。 最後にざっと調べた話を聞いたら三割強まで減ったらしいぜ」
『……で、お前もしたと』
「まぁなぁ……。 あの頃は俺もやんちゃだった」
極めて他人事めいた言葉に一喜は棘を刺すも、老人は過去を懐かしむような声を発するだけだ。
力を手に入れた時点で老人はもう壮年だった。今よりも服装は気を遣っていたが、心は若返ったばかりで滾り続けていた。
これからは自由に生きられる。誰にも何にも遮られない。抑えるばかりの己の我を解き放ち、有象無象の屑を殺し尽くすのだ。
選ばれた者特有の優越感。力そのものに対する全能感。
当初は彼もそれに支配されて、結果的には大都市を幾つもゴーストタウンに変えてしまっていた。
「屑が減っていく感覚が喜ばしいと腕を振るい、それでもと果敢に立ち向かう勇者に興奮した。 お前は解らんだろうが、昔はもっと骨のある奴が居たんだぜ?」
『老害っぽい発言だな』
「ははは、確かに」
朗らかに笑う老人に邪気は無い。
実に無邪気。己は悪いことをしていないと胸を張っていなければ出来ないような雰囲気は真実に満ち溢れていて、一喜は早くも辟易していた。
これが真のナチュラル狂人と呼ばれる者なのだろう。自分は狂っていると語る人間ほど実際はまともで、本当の狂人はそもそも己のやっている行為に疑問を覚えない。
老人にとって虐殺は禁忌ではない。善性こそが枷だ。
「なぁ、一個質問しても良いか」
『構わないぞ』
「俺達についてどう思う? 忌憚のない意見ってのをいっちょもらいたいね」
唐突に老人は一つ質問を投げた。
崩壊した人間社会に目を向けていた一喜は意識を老人に向け、放たれた内容に数舜思考を回す。
都合の良い答えを口にすべきか。あるいは言いたいことだけを言うべきか。
老人は何気無く投げたつもりだろうが、怪物の機嫌なんてものは案外簡単に変わる。如何に老人が朗らかであったとして、悪いことばかりを並べ立てて批判すれば流石に気を悪くしてもおかしくはない。
問題は、それを理由にいきなり勝負に持ち込まれることだ。やっぱやーめたと途中で約束を放り投げるような人間性を有しているように見えないが、人が人である限りは簡単に結果は覆るものである。
『控え目に言って屑』
「その心は」
『真正面から喧嘩をしないから』
その上で一喜は最終的に本心を語った。老人が思わずといった形で一喜に顔を向けているのも察しても、彼は語る口を止めることはしない。
『各々不満があったのは解っている。 それを解決する方法が普通では出来ないこともな』
怪物達は揃って何かしらの不幸を背負っていた。
とても個人で解決するには荷が重過ぎる出来事を経験して、彼等はルネサンスの手を取って物理的な手法で解決している。
理不尽には理不尽を。それ自体を一喜は批判するつもりはないし、真っ当にやり返す分には協力だってしてみせよう。
されど、彼等は理不尽を払拭する過程を無視した。楽な道に走ることが最も正しいと認識してしまった。
『でもさ、だからって簡単に道を外すなよ。 相手が外道なら自分も外道になってやるって思うなよ』
「……」
『探せば助かる道は他にあったかもしれない。 もっと他に盤面を引っ繰り返す手があったかもしれない』
苦しい時、手を差し伸ばしてくれた相手に縋りたくなる気持ちは解る。
それが一体どんな理由で伸ばされた手なのか解らなくても、自分だけだった苦境に別の誰かが入ってくれるのは嬉しいのだ。
助けてほしい。救ってほしい。――ふざけるなよ、クソッタレ。
助かりたいなら怒れ。無意味に塞ぎ込むな。相対すべき敵に対し、面と向き合って己の意を相手に叩き付けろ。
この怒りには嘗ての彼も含まれていた。弱い自分なんてものはさっさと脱ぎ棄てて、理不尽に立ち向かう決意を持てば良かったのだと。
完全勝利は難しいかもしれない。負ける確率の方がきっと高くて、最後にはみっともなく泣いてしまう未来も十分に有り得る。
それでも、この行動が一つの決着を生むのも確かだ。勝つにしろ負けるにしろ、一喜であれば己の行動によって起きた末路に納得することが出来る。
そして、それこそが真っ当な人生なのではないかとも一喜は思うのだ。そうであることこそ、人生の二字は語れるのではないかと。
『安易に逃げたお前達は負け犬だ。 人間以下の畜生だ。 楽しいことだけ追い求めるなら、人間らしい行動なんてするなよ。 人間様に失礼だと思わないか?』
「――――」
容赦の無い罵倒の羅列を無言で受け止めた老人は、もう穏やかな顔をしていなかった。
真剣に、真面目に、真っ当に生きる一人の人間の如く。
胸中に怒りはあった。悲しみもあった。凡そ喜の感情は見当たらなくて、もっと若ければ今頃は拳の一つでも返していたことだろう。
だがそれは、それだけは、老人は絶対に選ばなかった。選んだ時点で負け犬の烙印を認めることになり、己は一生敗北の二字を背負う。
勝利を求めた。血沸き肉躍る戦いこそを求めた。この道を後悔したことなど無く、これからも変わることはないと今も確信している。
最早老人は道を踏み外した後。外道に喜んで落ちた者が常人の道に戻ることは不可能だ。
なればきっと、一喜の言葉が本当の意味で怪物の心を動かすことはないだろう。
――――海が見え始めた。




