【第二百二十七話】老人からの招待
「よ、嬢ちゃん。 気配で解ったぜ?」
「……」
一喜と老人が向かい合う中、烈は必死の形相でビル内に居る二人を呼び出した。
この拠点に怪物が出現していて、尚且つ今は一喜が対応している。それを知った二人は表情を真剣なものに変え、メイド部隊を護衛として引き連れて一喜達の下へと急いだ。
やがて現れた怪物の姿に、望愛は僅かながらに疲れた顔を浮かべる。
老人は望愛の姿を視界に収めて手を振りながら言葉を送るが、そんな姿は怪物と呼ぶにはとても陽気だ。
まるで田舎の親戚が遊びに来たような状況に世良もメイド達も困惑した。
一体何が起こっているのかと世良達が黙っていると、表情を変えずに望愛が一歩前に出た。
「我慢出来なくなったんですか?」
「いやぁ、恥ずかしながらな。 一年くらいは様子を見るつもりだったんだが、やっぱ久し振りの真っ当な奴の登場だぜ? 様子を見に来るくらいは許してくれよ」
「許すも許さないも、そもそも敵同士だと思うけど?」
「おいおい、物事を二元論的に語るのは愚の骨頂だぜ? 敵の敵はって言葉があるだろ」
「私達の間にそういった関係値はない」
両者の会話は老人が実に楽しそうに、望愛は嫌そうにしている。
だが、彼等が初対面ではないのは事実だ。このまま言葉の応酬を眺めていては何も事態は進まない。
それにこの道にも住民が居ない訳ではない。何事かと様子を見ている者が徐々に徐々にと集まり始め、放置すれば何れもっと多くの人間が老人を見ることになるだろう。
それは一喜の本意ではない。二人の会話に咳払いで割り込み、全員の意識を集めた。
「どうやら互いに面識があるみたいだな。 一度場所を移すぞ」
「ならこっちのビルに来な。 そこなら人も居ない」
世良が指差した先は未だ人が住んでいないビルの一つだ。
後々には人が住むことになる為、室内等を改造していないので一室一室は大人数が入れる程ではない。
相手は警戒すべき相手だ。距離を開けることを考えるに、なるべく広い部屋かそもそも屋上で話した方が良いだろう。
一喜は先頭を歩きながらもどちらを選ぶかを考え、結局建物が壊れる危険性を鑑みて屋上を選んだ。
全員の足が階段を上り、その道中で会話は無い。老人はやけににこやかな顔を崩さず、とても暴れ出す気配を感じさせない。
反対に一喜達のグループは最大限に警戒している。
一撃で命を刈り取る相手だ。警戒し過ぎて困ることはないし、そもそも望愛に怪我をさせることは今後の事もあって万が一に許されない。
世良は既にベルトを巻いていた。カードを差せば後は着装することが出来るところまで進め、片手にはカードが握られている。
戦いが始まれば、その時点で拠点には甚大な被害が齎されるだろう。拠点から引き剥がそうと思っても怪物が僅かでも暴れるだけで建物なんて一瞬で壊される。
老人で暴れればこの場が安全ではないことを住民に知らしめることも可能だ。そして、この不安定な拠点の安全性が崩れれば他と同じく組織としては崩壊する。
そうなっては終わりだ。だからこそ老人には大人しく帰ってもらいたいものの、勝手に来た時点で紳士的な対応を望むべくもない。
屋上に到達した彼等の内、老人を一人残す形で全員が距離を取った。
前に居るのは一喜と世良の二人。一歩後ろに望愛が居て、更に後ろでメイド部隊が銃口を突き付けて鋭い眼差しを送っている。
此処が話し合いの場であればもう少し和やかにしただろうが、そうではない以上は一触即発になっても然程不思議ではない。
老人もそれが解っているから気を悪くはしなかった。寧ろ逆に、そうでなければと頻りに首を縦に振り続けている。
「で、だ。 嬢ちゃんが説明してないってことは、先ず俺達が何処で会ったのかを言う必要があるよな?」
「そうだな。 此方としては突然の登場だ。 原因を明らかにしない限りは余計な勘繰りが生まれる」
「尤もな話だ。 じゃあ話をしようぜ」
そして、老人の話が始まった。
流れは然程長くはない。そもそも彼女との遭遇は戦艦との戦闘が終わった少し後であり、一喜が気絶している間の出来事だった。
老人は狂人だ。同時に、社会を憎悪する一人の人間でもある。
彼もまた理不尽を嫌い、身に付けた一般常識が普通だと信じていた。これを守っている間は自身も忙しさを覚えはしても無事に過ごせるだろうと、そう信じていた。
だからこそ狂ったとも言える。彼は恐ろしく生真面目で、性善説を信じていたのだから。
しかし、老人のこんな持論を長々とする気は本人にも無い。短く打ち切り、自身が治めている沖縄への招待を望愛にしたことを語った。
「望愛?」
「……」
説明を聞いて、一喜は望愛に声で問い掛ける。
彼女は暫く無言だった。違う部分があれば即座に否定する彼女であるが、今回は全て真実だ。
では何故、それを言わなかったのか。
暫く待っても返ってこない言葉に一喜は首を後ろに動かし、彼女の様子に驚いた。
望愛は珍しく顔を下に向けている。僅かに見える皮膚には冷や汗が流れ、誰がどう見たとしても狙ってやったことではないことを示していた。
「……どうやら、ウチの仲間が説明を忘れていたみたいだ」
「かかか、そうみたいだな。 いや、まぁ、別に構わないぜ? そういうことも世の中にゃ腐る程ある」
「そう言ってくれると助かる」
彼女が報告を忘れる。いやそもそも、この出来事を忘れていたのは理由があるだろう。
思い返せば、他には解らなくとも一喜には幾らでも理由が思い当たった。
彼が倒れた焦燥と恐怖。無事に病院で目覚めたことへの安堵。そして、誰かを信じない一喜が望愛を信じることを決めた。
これは僅か一日の出来事であったが、人が大きく変わるのに一日もあれば十分だ。
望愛はあの日初めて、肩の力を抜いた。今まで無意識の内に張り詰めていた神経が緩み、今までの反動で悪い情報を思考の片隅に追いやったのだろう。
幸福を感じられる間に余計なものを思い出さないように。あの瞬間こそ、彼女が求める幸福の形だったが故に。
「……で、招待か。 そこで俺に何を見せると?」
「なに、単なる観光だ。 それ以上の意味は無い」
「人間が虐げられている場所で観光、か」
一喜は望愛を責めず、話を続行させた。
普段であれば責めた筈の彼の優しい対応に背後で物音がしたが、一喜は努めて平静な態度のまま含みのある言葉を呟く。
実際、怪物の領内に入ることは危険だ。
そこで何が行われているかを予測し切ることは難しいが、少なくとも人間が住むには適さない環境が揃っていることだろう。
一喜が知る限り、怪物達に慈悲は無い。只人を家畜の如く扱い、遊びで殺す連中だ。
過去がどれだけ悲惨であれ、今正に多くの地獄を作り上げているのであれば性根の一つや二つ歪むくらいは必然。
そして眼前の老人もまた、同様の性質を間違いなく持っている。
彼は多くの敵視に快活な笑みを返してくれるが、それは決して己は敵ではないと語っているのではない。
ただ、面白い者が居るから態度を軟化させているだけ。もしもこれから関係が続くとして、少しでもつまらない様を老人が見せればなんの躊躇も無しに腸を掴み取る。
「断ってくれても別に良いさ。 こんなのは所詮、ただの余興に過ぎねぇ」
「だが、余興が無ければ即座に殺すんだろ。 アンタは」
「んー?」
老人は我慢した。我慢して、相手の反応を伺った。
彼は期待したのだ。世界が怪物によって支配され、今や強者と呼べる存在は同類の中にしか存在してくれない。
嘗てはもしやと思わせてくれる相手も居たが、その未来は既に過ぎ去った。
過ぎ去って初めて、老人は心底に後悔した。
あれで終わらせてしまってはいけなかった。もっと機会を与え、話す場を設けて、同じ視座で酒を飲むべきだった。
簡単に終わっては勿体無いだろう。やるなら万全の状態で、相手が絶頂に至った時に。
「アンタの顔を見ていると解る。 ――本当は、もう我慢なんて出来ない筈だ」
老人は強者を好む。
強者が長く居続けてくれる世の中を望む。弱い奴が足を掴んで引き摺り落としてくるような世界を憎悪し、なればこそ現在に大いに不満を抱えている。
我慢なんて本当はしたくない。目前の馳走に飛び掛かれるなら、己はきっともう札を切っていた。
「だが此処で戦うのはアンタも俺も本意じゃないだろう。 この場での戦闘を避け、怪物の撃破に協力してくれるならそちらに行ってやる」
「……」
「俺の全力が見たいなら、お前の手を貸せ」
我慢をすれば、きっと良いモノが今後見れる。
我慢をすれば、きっとこの後も無いくらいの品が出る。
我慢しろ。我慢しろ。我慢しろ。我慢しろ。我慢しろ。我慢しろ。――――我慢するのだ、果ての絶頂を味わいたくば。
老人は本能を飲み込んだ。笑って、仕方ないなぁと妥協するような顔で一喜を見た。
だが、一喜を除いた全ての人間が怖気を表出させる。それは耐性がある筈の望愛でさえも。
「仕方ねぇ、仕方ねぇなぁ?」
仕方ないとひたすら呟いた。納得と理性が頭の全てを占有するまで、老人は笑みを浮かべて空に放った。
――そんな老人の口には、地面に垂れ落ちる程の涎があったという。




