【第二百二十五話】少年と老人
新しい事業を始め、拠点の充実を行うことになっても一喜の日常は大きくは変わらない。
あまり外に出れないとはいえ、本来の異世界では一喜を制限することは不可能だ。
環境的な要因で足を止めることはあっても、今の彼には強固な優先順位がある。仮に適当に外に出て飢えた人間を見つけたとして、彼は何の躊躇も無しに見捨ててしまえる。
拠点の人間も彼の足を止める意志は無い。崇めることや感謝を口にすることはあれど、今では静止の声一つで彼等は止まってくれる。
最初の頃は善意の暴走とでも言うべき行動が目立っていたが、一度落ち着いてしまえば残るのは敬意と恩だけだ。
健常者に一気に近付いていくことで彼等には余裕がある。肉体労働は依然として求められるとしても、最悪から脱した者達のモチベーションは非常に高い。
特に最近は技術畑の人間が堂々と能力を振るえるようになった。
まだやれる範囲は狭いものの、逆に自身の能力を見せ付ける環境として奮い立っている。
技術者達は一人のリーダーを立てているが、任命された本人は彼等の統括者として認識していない。
あくまでもこの立場は上に報告する人間を決めただけであり、一喜達が困惑することなく進捗を聞くことが出来るようにとの措置だ。
実際は全員共に平等を掲げ、過去の栄光を今の栄光にしようと日夜頭を捻らせている。
これは世良達も承諾済みだが、代表者に大きな権限が無いのは流石に問題であるとして一応は命令権をリーダーに与えてある。
技術屋は常人とは異なる思考で動く。
したいことだけをしたい熱意が強く、それ故に別のことをさせると常人より多くのストレスを蓄積させることになる。
仕方ないと思ってくれれば良いが、納得出来ないと判断して変なグループを構成されてしまうのは拠点に不和を招く。
そして、不和を招いたグループが実質的な支配者になれば一喜達の想定とは異なる流れになっていくだろう。
権力を持たせると人は増長するが、それでも権力はなくてはならない。何か起こった際に責任者が独自に動く為にだ。
勿論、越権行為を世良は許す気は無い。それどころか彼女は技術者のリーダーが増長したと判断すれば即座に処分に走るつもりだ。
何が次の争いを呼び込むのかは解らない。彼女は神ではないのだから、平穏を乱す輩は総じて処刑していくのが彼女の考えである。
残酷で無慈悲だが、しかして良心的だ。下手に牢屋に幽閉したとして、出所した瞬間にまた悪事を行わないとも限らない。
元の世界であれば処刑までの基準は厳しく、狂人でも生きて社会に復帰することも出来る。
解っていない人間が居るかもしれないが、今の社会は多くの異常者が隣に居るかもしれないのだ。それと比較すれば、世良の排除は只人に安心を与えることが出来る。
「――上手く回ってるみたいじゃねぇか」
修復された道路の真ん中を歩きながら、襤褸の浴衣姿の老人が呟く。
一見すると老人は浮浪者のような不衛生な姿だが、表情に浮浪者特有の諦観や絶望に染まった目をしていない。
あるのは好奇心。この拠点が最終的にどんな姿になっていくのかを、彼は実に素直な心のまま眺めていた。
「さてさて、例の話は向こうさんに届いてるかねぇ」
履いている下駄の端は既に腐り始めている。鼻緒も何時切れるかも怪しく、拠点では彼の姿は徐々に違和感の強いものになっていた。
少し前までであれば老人の姿こそが普通だった。しかし発展した結果として服の洗濯は可能となり、複数の衣服を着回している。
元の健常者としての生活に戻ろうとしている現在に老人は懐かしさを覚えた。そしてきっと、この懐かしさもやがて当たり前になっていくのだろう。
「おーい、そこの若人ー」
老人は広場に到着するなり、一人の少年に声を掛けた。
少年は多くの子供達が遊んでいる姿を見ながらベンチに座っている。年齢としては然程変わらないにも関わらず、少年は何処か気の抜けた表情でぼんやりと眺めていた。
子供らしさが無い子供。この世界では当たり前であるかもしれないが、この少年は特にらしさが無い。
老人の声には反応を示さなかった。自分が声を掛けられた訳ではないと判断したのだろう。
ならばと老人は少年の座るベンチに腰掛けた。
座った衝撃で少年は一度だけ老人に目を向けたが、それが他人であると認識した瞬間に興味を喪失させて子供達に向け直す。
随分と無警戒な子供だと老人は内心で少し呆れるも、そもそも元に戻ろうとするのであれば子供はらしさを獲得していくものかと考えて納得した。
「おい、そこの子供」
「……それは俺に言ってるのか?」
隣に腰掛けた段階で老人は再度少年を呼んだ。
呼ばれた本人は顔を今一度老人に向け、ぼんやりとしていた表情を引き締める。
「ああそうさ、ちょっと聞きたいことがあってな」
「なんだよ、まさか此処が何処かって聞く訳じゃないよな?」
「ははは、流石にそうだったら頭が馬鹿になってるだろ。 俺はまだボケたつもりはねぇぜ?」
けらけらと笑う老人を少年は見やる。
僅かな警戒を感じさせる眼差しは鋭く、猛犬の印象を老人に抱かせた。
とはいえ子供は子供。今はまだ子犬のようなもので、老人にとっては子犬であろうと猛犬であろうと大した違いはなかった。
「何、会いたい奴がいるのさ。 居るなら場所を教えてほしくてよ」
「どいつだよ、俺の周りってガキの方が多いんだけど」
「そうかい? まぁ、なんだ、知らないなら知ってそうな奴を紹介してくれよ」
人探しの頼み事かと、少年は警戒レベルを引き下げる。
この拠点の外から人が来ることは稀にあった。殆どは嘗てのキャンプから逃げて来た人間で、離れ離れになった家族や友人が此処に居るかもしれないと希望的観測を胸に抱いた上で頼りに来た形だ。
眼前の老人もキャンプから逃げて来たのだと仮定すれば、成程納得することは出来る。
彼には子供の様子を見守ってもらう仕事を任せられていた。けれどそれは、少年にとって退屈以外のなにものでもない。
少々ばかり離れても子供は広場から外には出ないだろう。それに子供を見ているのは少年以外にも居る。
ならばと老人の頼み事を聞こうとして――――唐突に己の本能が警鐘を鳴らした。
「確か……」
――一喜って、名前だったかな。
なんてことのないように話す老人の言葉を聞いた瞬間、少年はベンチから飛び跳ねた。
老人から距離を取る形で地面に着地し、元から鋭い目に敵意を宿す。
何故に自分は老人を睨んでいるのか。どうして自分は眼前の相手に敵意を抱いているのか。
その理由が自分の中には存在しない。普段ならば何かしらの理由がある筈なのに、少年は老人の姿に何も思い浮かばなかった。
ならばと、少年は老人の姿を上から下まで確かめる。変な箇所は無いか、何か隠してはいないか。
「どうした? なんか俺がしたかい?」
老人は睨まれているにも関わらず、柔和に笑っていた。
笑って、笑って、だから気付いた。少年は今、この老人の不可思議な箇所に強烈な違和感を覚えたのである。
老人の座っている姿は真っ直ぐだった。背中は丸まっていなくて、彼の知る大人達よりも綺麗な姿勢で座っている。
それだけならまだ確定的ではなかった。探せば居るくらいの、ちょっと珍しい老人程度に過ぎない。
しかし、老人の身体は枯れ枝ではなかった。
年齢を重ねてもうすぐ死を迎える筈の肉体ではない。線は細いものの全体的に鍛えられ、さながら武人めいている。
少年には武人の意味を正確には把握していないが、恐ろしく強い人間であるとまでは認識した。
だからこそ、それはおかしいのである。――ただ鍛えて強くなっただけの人間を、少年は恐ろしく強いと思いはしない。
「あんた……なんだ」
少年、烈は疑問を無意識に零した。質問を聞いた老人は口を歪め、全てが尖った歯を見せながら少年に答える。
「化物さ、よく知ってるだろ?」
答えに、烈は身を硬直させた。




