【第二百十五話】三人、仲間を増やして
三人の会話で彼の心根を完全に変えることは難しかった。
一喜の不信は完全に取り除けるようなものではないし、そもそも取り除いてしまえば現代で生きていくのは困難になる。
誰かを信じず、誰かを信じ、無数に訪れる分帰路の中から自分の行きたい道を行く。
誰に説明されるまでもなく、それが人の生きる道だ。その道から落ちたからこそ、常識は敵となって落伍者に襲い掛かる。
その上で落ちた者がなおも生きていけるとするなら、その当人に誰もが無視出来ない大きな力がある。
身内か、或いは自身の権力。もしくは多数が支えてくれる程の人徳。双方は共に常人では持ち得ず――――故にこそ、綱吉は一喜の持つ素質をこの段階で嫌になるほど認識させられた。
「一度壊れただけでああなるのか?」
訪れていた病室から、彼は黒塗りの車に乗って会社を目指す。
運転手は綱吉の言葉に何も返さず、努めて何も聞いていない態度を取った。
綱吉としても言葉を返してほしいと思った訳ではない。寧ろ返ってくるようであれば、私事に干渉する無礼な人間として即刻解雇されていた。
綱吉が考えるのは、大藤・一喜が齎す影響力だ。
他者に与える影響とは、そうしようと振る舞わなければ与えることは出来ない。無意識に発揮する存在感を人はカリスマと呼称するが、それとて意図して使わなければ多少目立つだけの人生を送るだけだ。
能力とは、よっぽどファンタジーめいた力でもない限り自覚しなければ無駄となる。
糸口の人間もそうだが、上に立つ人間は知識と振舞いを徹底的に叩き込まれ、両親が使える人間かどうかを判断する。
凡人であれば結婚や養子といった完全な道具として成り下がり、使えるのであれば更なる教育を与えられた。
仮に綱吉が普通の家に生まれたとして、同様の才を発揮することは恐らく難しい。
基本の環境レベルが低く、自分が特別だという自覚も薄いのだから。
ならば、一喜の持つ潜在能力は一体どれほどなのか。普通の家で育ち、よくある不幸を受けただけの人間がああまで前を向けるものなのだろうか。
彼が理不尽によって精神の崩壊を一時的に迎えたのは事実だ。
立て直す過程で怒りを抱いたとはいえ、変化の材料は所詮その程度でしかない。
異世界での生活そのものは確かに特異な経験であると言えるが、成人をとうに越えた人間は精神構造の構築もほぼほぼ終わっている。
今更、物語に登場する人間のような覚醒を起こすことはないのだ。普通なら。
しかし、現実は奇妙に歪みを見せている。
「……」
思えば、望愛の状態変化も実に早かった。
それは恋に落ちたからだと終わらせてしまうことも出来たが、だからといって彼女もまた糸口の家で教育を受けた令嬢だったのは間違いない。
飛び出してしまうような非常識さを持ち合わせていたとはいえ、一般的な感性そのものを失っていた訳ではない。
なのに、今の彼女は彼にあまりにも傾いている。
最早他の異性に対して望愛は意識を欠片も向けはしない。そんなことをしている暇があるなら一喜と僅かでも話をしていたい筈だ。
そんな姿は嘗ての彼女には無かった。愛想良く笑い、限界まで親の道具となることを耐え続けた。
爆発する瞬間にせめて傍に居ればと綱吉は思うが、あの時点では兄すらも味方とは考えてくれない。
逃げ出してからあのコンビニで働くまで、彼女の心労は勿論溜まっていた。
隙間なら確かに存在していて、されど他の会社の上役と会うことと比較すればマシだろう。
跳ね除ける強さはあった。ならば、そんな弱さを無視する形で彼は彼女を惹かせて魅せた。
そして、今や大多数を圧倒する存在として異世界では強者の部類として君臨までしている。これを見て、彼がただの人間だと思える人間は居ない。
実際に綱吉も望愛の心配があった上で彼に協力している。メイド達も反感自体はあるだろうが、それでも彼の活動が間違っていなければ手を緩める真似もすまい。
放置するにはあまりに惜しい。同時に、あまりに危険だ。
一歩誤れば妹共々地獄へ突き進んでしまいかねない。それだけは兄として綱吉は容認しなかった。
携帯を取り出す。電話帳から適当な相手を選び出し、彼は連絡を取る。
「ああ、私だ。 そっちの部門で探してほしい物があるんだが……」
声に親しさがあった。柔和な声で、まるで友人と語らうかの如く会話を続け、五分程度で通話が切れる。
窓を見れば既に太陽が昇り、空は青く澄み切っている。
この空のように自身の人生を明るければと僅かばかりに考え、そして直ぐに馬鹿なことをと笑みを浮かべる。
空の青さで未来を想うなど、まるで詩人のようではないか。
自分は世の何某かについて詩を論ずるのではなく、利でもって生活を豊かにせんとする側の存在の筈だろう。
苦しいこともある。辛いこともある。慣れたとはいえ、元々反りの合わない相手とにこやかに話し合うのはストレスだ。ここ最近でストレスを感じない瞬間となれば――
「……存外、僕も楽しんでいるな」
ふっ、と息が漏れた。それがどんな感情から出て来たものかを綱吉は把握し、未来に多少の希望を抱いた。
それがどんなに小さいものであったとしても、叶うのならば叶ってほしい。
幸福を求めるのは人の性だ。豊かな生活をしていたとしても、幸福だと感じられなければ人は苦しいと悲鳴をあげるのだから。
高級車は進む。緩やかに、何の障害にも当たることなく、穏やかな彼の心と共に。
「――で、これからについてなんだが」
場所は変わり、病院で一喜は口を開ける。
視線の先に居る望愛は先程から満面の笑みを浮かべたままで、その頬は赤味を帯びて止む様子が無い。
それが病気の類ではないことを一喜は解っている。解っている上で、彼は意識的にそこを指摘することを避けた。
「俺は俺の目でお前を信じて、あの道具を渡した。 だから試すって訳じゃないが、お前の目で信じられそうな奴を探してほしい」
「メタルヴァンガードの候補者ですね。 希望はありますか?」
望愛もまた自身が酷く緩い顔をしていることは解っている。だが、それを戻そうとは思わなかった。
そうするのが大変であったのもあるし、何よりも隠したくなかったから。
望愛の質問に一喜は暫し視線を天井に向け、再度合わせる。元から考え自体はあったのか、躊躇いの感情は一切無かった。
「異世界の奴だ。 それも出来れば、俺と直接話したことがある人間の方が良い」
「それは、私達が居ない間でも拠点の防衛を確かなものとする為ですね?」
「ああ。 やはり安定は欲しい」
今のところメタルヴァンガードになっているのは此方側に居る二人だけ。
二人が居る間は最大の戦力として機能するものの、居なくなってしまえばあの拠点にあるのは一部を除いて通常兵器のみだ。
それでは不意の襲来に対処は出来ない。例外となっている武器とて、怪物を打倒するには少々難しい性能だ。ならば、あそこに常に居てくれる人物を次のメタルヴァンガードとするのが当然だ。
望愛は同意を送りつつ、脳裏で候補を絞る。
先ず、一般の人間から広く集めるのは無しだ。会ったばかりの人間相手に信用も信頼も置けるものではないし、同時に子供も不味い。
かといって中年クラスを対象とすると、必然的に一喜とまともに会話した人間が他の組織の者だらけになってしまう。
なれば、候補とするのは二人。中でも望愛が期待するのは、あの拠点の実質的なリーダーとして立つ彼女だ。
「では、早速準備だけしましょう。 悪用防止についても此方で考えてみます」
「俺も考えておく。 それが無事に済んだら、次はメイド隊だ」
流れるように予定を決めて行く彼の姿に望愛は頷く。
場の雰囲気は今後の未来を決定しているにしては緩く、ちぐはぐな印象を抱かせる。
けれど、これで良い。これが良いのだと、望愛は一人胸の中で幸福に絶頂していた。




