【第二百十話】影の如き女
『直ぐに戻る用意を!』
一喜を吹き飛ばさない程度の速度で望愛は運び、拠点中央へと着地する。
安全確認など一々していられない。その下に誰が居たとしても潰す勢いで彼女は戻り、唐突に出現した彼女に皆の視線は一斉に集まった。
彼女の腕の中には着装が解除された一喜の姿。力無く倒れている彼からはおよそ覇気は感じられず、その姿を視認した瞬間に世良と十黄の顔色は青に染まった。
望愛は一切そちらに意識を向けず、駆け寄るメイド達に命令を下す。
一喜の状態は比較的安定しているとはいえ、次にどうなるかも解らない状態だ。
これが純粋に体力の低下による気絶なら休ませれば良いが、彼のクイーンを使用した後であれば肉体がどうなるのかなど未知数極まりない。
故に、彼女の声に迷いは無かった。
時間そのものはまだある。休み明けのコンビニについては電話を入れれば休ませてくれるだろうし、此処に居る人間については一喜を医者に見せた後で今後の説明をすれば良い。
閉じる前に望愛は此処に戻る必要がある。
故に声を大にしてメイドを呼び付け、沢田は他のどのメイドよりも先に言葉を発した。
「では最低限の用意を部下にお願いし、私は先行して予約を入れておきます」
『ええ、それでお願い。 私も一緒に戻るから、各所の連絡は私がするわ』
「畏まりました」
短く言葉を交わし合い、沢田は手を叩いて他のメイド達の視線を集める。
先ずは元の場所に彼を運ぶ。メイド二名で怪我人を運ぶ担架を用意させ、その間に居残り組となるメイドの一人に居ない間の指揮権を譲渡。
沢田が率いることになるメイド達は私情を持つことは多くあれど、その本質は従順だ。
説明された範囲内の規則を守り、その上で起きた不足の事態についても皆で暫定的に決めることが出来る。
それこそ望愛が人質となって脅されなければ迷わない集団だ。誰を臨時のリーダーにしても取り敢えずの維持は可能である。
即座の姿を消すメイド達を他所に、望愛の視線は集まってきていた源次達オールドベースへ。
彼等もまた一喜が倒れている状況に動揺を隠せないが、そんなことは望愛にとって重要ではない。
真に重要なのは、この事態がオールドベース側に露見していることだ。この状況で万が一にも帰らせたとして、居なくなった瞬間に反転して拠点制圧に動き出さないとも限らない。
今此処でオールドベースに情報が流れないようにする為には、それこそ源次達を直接的に殺害するしか方法は無いだろう。
脅迫だけで口を噤むなんてのは幻想であると、望愛の理性は深く知っている。
「……状況は概ね理解している。 こっちはこのまま監視されよう。 どうせ戻ってくるんだろ?」
『ええ、私には説明責任がありますので。 ですが貴方達を戻したとして――』
「言わんさ。 ……あのなぁ」
望愛の懸念に源次は呆れた顔を返す。
「信じてないってのは解ってるが、だからといってそのままじゃ何にもなんねぇだろ。 どうすりゃお前は安心して俺達を帰してくれる?」
『今の貴方達に安心出来る要素が一つとしてありますか? まさか此方の指示に従うだけで我々の信用が得られると?』
「少なくとも、お前達が怪物を倒す前から俺達は怪物と戦っていた。 その事実は加味してもらいたいもんだな」
『多くを無視して、でしょう』
「……そうだよ、何か文句があるか」
顔を見合わせた両者は親子程に年が離れている。
しかし、此処に配慮は無い。仲が悪くなることも当然の選択肢として向かい合い、正直な心境を語るだけだ。
隠し事をしている意味は今は無い。そんな真似をしても一喜や望愛のスタンスで自然と隠し事も読み取れるだろう。
『いえ、妥協が必要なのは此方も解っています』
「解っている? ならこの状況で妥協の一つも出来ないもんかね」
『それで実際に安全が保証されるのであれば、私としては問題ありません。 ……今暫くは此処で待機をお願いします』
「はぁ。 ……あいよ」
手をひらひらとして源次は手を引いた。同時に望愛も引き、二人は揃って自陣営の中に戻っていく。
関係性は最悪の一言。源次の目から見ても、望愛も一喜も積極的に仲間を増やそうとする意識を有してはいない。
他者に対する信用や信頼は一つとして持たず、源次が予測する限りでは望愛が求めるのは絶対的な契約だ。
双方が共に破らぬと誓えるだけの材料を提示し、誰の目から見てもそれが正式な契約書であることを証明する何か。
それが提示出来れば望愛は源次の要求にも一定の理解を示す。反対に、口約束のような何時でも裏切れる要素の強い契約では何時まで経っても話は平行線となるだろう。
初めて源次が彼女を見た時、その姿はうら若き乙女そのものだった。
傍で共に活動する神崎とはまったく異なる、実に女の子らしい出で立ちをしていたのである。
久々に見た穢れの知らない少女に源次は頼りなさを一瞬は覚えたものだが、しかしてその内側は神崎も真っ青な程に黒かった。
話は出来るし、言っていることも真っ当だ。源次としても本部と連絡が取れるのであれば契約書の一つでも用意してさっさと話を纏めたいとは考えている。
されど、望愛の言葉には実に悪意が込められていた。ここで安全装置が無くなればそちらは勝手に此方を探るのだろうと。
源次としてはとんでもない話である。
既に生殺与奪の権利は渡してあるし、最強の武器すらも今は拠点側の勢力の手の中だ。
探ることも出来ればしたかったが、メイドの監視が厳しかったことと誠実さを見せる為に探ることは一切禁止させていた。もしも無断で隊員が動くのであれば自身の手で首を圧し折ってやる覚悟さえもあった。
メタルヴァンガードとは敵対したくない。それが源次の、そしてオールドベース側の総意であるのだ。
だが、彼女には相手の誠実さなど最初から見えていない。
そのような振舞いを演技と判断し、価値を図る基準にも含んでいないのである。
人は屑だ。一喜という人間を信じる望愛にとってこれは矛盾であり、同時に矛盾でも何でもない。
人は塵であり、悪魔であり、畜生だ。良き人間が居るのはそう振る舞うことを社会によって強要されているからであり、足枷の無くなった人類が善性を保つことは無理だと彼女は決めている。
そしてこれは、一喜としても同じなのだ。彼自身も容易く人に陥れられたからこそ、誰かを信じることは出来ないでいる。
二人の感覚は近く、その上で望愛は一喜との違いを真正面で見せ付けられた。
悪魔のような人間が基本だと思っている彼が、それでも誰かを救っている姿を。
どうか悪い人間になってくれるなという祈りを。もしも悪人が居たのであれば、今度は己が地獄に落とす覚悟を。
俗に脳を焼かれた、と表現する現象を彼女は受けた。
だから彼女は光の傍で侍ることを願い、最も濃い影となることを進んで受け入れたのである。
その影の前ではあらゆる光も関係無い。全て飲み込み、光を照らす薪とする。
只人であれば苦しくなる筈の道を彼女は進んだ。ならばこそ、常人との感性が著しくズレるのは避けられない。
一喜の為に、彼の未来の為に、不安の芽は残らず摘み取る。その過程で周りに人が居なくなったとて、最後に隣に彼が居ればそれで良い。
『私が抜けるから監視の目はこれまで以上に厳しくして。 負担は多いと思うから自警団の人間も使って良いよ』
「解りました」
この話も望愛にとってはどうでもいいのだ。
相手の嫌悪感も気にせず、望愛の頭は一喜の安否で一杯になった。老人の言葉の意味すらも深く考えず。




