【第二百八話】男、休息へ
『先輩!』
望愛の声がメタルヴァンガードより外へ広がる。
破壊の跡が目立つ街。熱は冷めきらず、今もゆっくりと瓦礫は上から下へと転がり落ち、地面で倒れる人影も無い。
彼女はマスクに映るセンサーを使い生命反応の探知を開始。
元の世界よりも優秀なセンサー類は即座に一つの建物内に居る生命反応を拾い、彼女へと位置情報を示した。
彼女以外に今は人は居ない。拠点ではあらゆる武器を取り上げられたオールドベースの面々がほぼ全てのメイド隊より監視を受けている。
今の彼等には食べ物一つ手に入れるのも困難極まりないだろう。それでさえも望愛にとっては不足だったが、言うことを一先ずは聞いた源次の為に捕縛だけは免れている。
走る彼女の脳裏には嫌な想像ばかりが浮かんでいた。
生命反応がある時点で生きているのは明らかだが、それとて無傷である訳ではない。重傷を負っているのであれば最速で帰還せねばならず、元の世界に戻れば長期入院は確実だ。
クイーンのカードを用いれば傷や病の問題を解決することは出来る。あれは害となるものを全て排除する性質を有しているのだから、この世界でも元の世界でも最強の回復札となるだろう。
しかし、望愛からすればそれは安易に信じられない話でもある。
カードの力は強大であると解っていても、基本的に彼女はこれまで使った物に対して疑心を抱いていた。
何せ元は玩具だ。遊びの範疇以外での使い道は皆無であり、売り物にするにも元々の作品が賛否の別れる内容だっただけにちょっと調べただけでも在庫は山のように眠っていた。
異なる世界に行くことが出来る。これは紛れも無く異常だ。異常ではあるが、しかして異なる世界であっても基本的な道理から外れることはない。
真におかしいのはこの玩具の方である。故に、彼女は安全性の保証されていない代物を使い続けることに忌避の心も持ち合わせている。
とはいえこれが無ければ満足に戦うことも出来ない。彼女には手足となる部下がいるが、それが無ければ彼女はただの少女の範疇を抜け出せないのだ。
血筋も、権力も、才覚も。破壊と暴力の前では等しく無となることを彼女は此処で再認識させられた。
『……先輩』
反応のあった建物の入り口に飛び込めば、彼の姿は直ぐに視界に映り込んだ。
衣服は一部が破れ、砂や煤で全身が汚れている。手は特に汚れ、切ったのか血が流れて固まっていた。
しかし怪我自体は無い。意識を喪失したまま壁に寄り掛かってはいるも、それが体力不足であることを望愛は知っている。
メタルヴァンガードは兎に角使用者の体力を削る兵器だ。であれば、此処で解除して気絶する程の戦いがあったのだろう。
幾度か呼び掛けて肩を擦ってみるも、相手が起きる様子は無い。
ただ静かに呼吸を繰り返し、その顔はこんな場所では考えられない程に穏やかだ。
そんな彼の姿に望愛は安堵の息を吐き、横抱きにしてゆっくりと外へ出ていく。センサーをフル稼働させて更に状態を確かめると、骨折や内臓の損傷も見受けられない。
汚れや手の傷を除けば完全に無傷。戦場の状況からすればいくらメタルヴァンガードによって守られていたとして怪我が無いのは有り得ない。
クイーンを使った。望愛は直感と共に確信を抱き、無意識に彼を握る手を強める。
『――よくも』
私の大事な人を傷付けたな。
無事が解れば、彼女に残るのは相手への憤怒のみ。冷めていた先程とは一転して瞳に焔を宿し、戦場の炎を凌駕する熱量でもって相手へ怨嗟を募らせる。
直接的に対峙した相手は既に死んだだろう。彼が戦う場合、逃がしてしまったケースは殆ど無い。
ならば恨むべきは怪物そのもの。彼に苦労と痛みを与える化物集団。
彼等と言葉を交わしたことは望愛には無い。正面から激突したのも一回だけで、相手が酷く傲慢だったことしか記憶に残ってはいなかった。
物語の中であれば怪物になった者達には様々な事情が存在する。
偶発的になってしまった者、復讐に身を燃やした者。時には切なる願いでもって怪物となり、その全てが最終的にメタルヴァンガードと戦う結果になった。
同様に、この世界の怪物達にも様々な願いや想いを抱えているのだろう。
元は同じ人間。如何に怪物としての力を振るおうとも、根幹にある感情は同一。
人間を辞めなければ果たせぬ何かを彼等は抱え、懸命に世界に抗った結果として今の怪物上位の理を作り上げたとなれば――成程、それは道理ではある。
ならば、彼等も解っていた筈だ。道理でもって突き進んだのであれば、何れ同じ道理によって阻まれることになると。
この怒り、この激情。己の弱さすらも燃料にして燃え上がらんとする彼女の感情もまた、何時かの怪物達が抱えたモノである。
「まっこと、同じことは繰り返されるのだな」
声がした。
しゃがれた老人の言葉は静かに波紋を起こし、空気に溶け込むように消えていく。
彼女の眼前。瓦礫ばかりがある道に、その人物は最初からそこに居たように出現した。
腰に手を当て、もう片方の手で木で出来た杖を掴み、それを支えに静かに立つ。
紺の甚平は清潔とは言い難く、生地の端は千切れや解れが目立っている。緩く纏っている所為で胸元はよく見え、髪は全て白に染まっていた。
眉毛も白い。顎から伸びる髭は豊かで、しかし極端に長くはない。
穏やかな笑みを浮かべる老人の目もまた優し気で、そこだけを見るのであれば好々爺然としていた。
『誰?』
故に、鋭い声が望愛から飛び出す。
生体反応は一喜以外に無かった。新しく出現したとしても、態々こんな戦場だった場所に現れる理由が無い。
物を探して?或いは逸れた人を探して?――馬鹿な、此処を見ればそんな希望は微塵も残されていないと誰だって気付くだろう。
だからこそ望愛は詰問し、そして逃走経路の模索に思考を巡らせる。相手の正体がきっとそうなのだろうと確信して。
「俺ぁ、しがない老人さ。 彼方によちよち、此方によちよち、ついでに何処かによちよちと歩くだけのな」
『そう。 じゃあ質問を変えるわ。 ――中に何を飼ってる』
老人は友好的な態度だった。思わず気が抜けてしまいそうになる顔は悪人が見れば間抜けで、善人が見れば安心を抱かせるだろう。
見た目も平凡だ。特筆すべき特徴は見受けられず、望愛であっても街中ですれ違えば記憶に残りそうになかった。
だから、おかしいのだ。こんな場所でそう思ってしまうことが。
老人は彼女の反応に笑みを深くした。満面と言っても過言ではないそれを前に、しかして望愛が抱いたのは興奮の二字。
「解るか、若いの」
『経験でね。 何となくではあるけど』
「いやいや、ろくでもない人生を歩んでなければ他所の中身など解る筈もあるまいて」
望愛は眉を顰める。
ろくでもない人生。そこを否定する気は彼女には無いが、けれど他人にそう言われることは気分の良いものではない。
だが、老人としてはろくでもない人生を悪いとは思っていないようだった。
何処か噛み締めるような表情へと切り替え、切実な想いを込めて彼女に語り掛ける。
「……やはり、言葉を交わすべきは敵同士か。 身内の会話など、温過ぎて生きている気がしないものよ」
『何を言っているの』
「何? 何とは決まっている。 ――呼吸だよ、若いの」
老人の言葉は望愛にはまるで意味が解らない。
言葉を交わすことを単純に求めている訳ではないのは明らかだ。眼前の老人は言葉を交わす相手を選別し、そして望愛が合致していると判断した。
けれど、その条件が彼女には解らない。解らないからこそ、そこから繋がる言葉が出てこない。
老人はありゃと首を傾げ、ならばと更に言葉を続けた。




