【第二百七話】その女、女王が如く
『……おかしい』
夕方を過ぎ、世界には闇が訪れる。
電化製品の使えない場所で明りを灯すのは基本的に火だ。望愛の周りだけが予め用意していたガソリン式の発電機やソーラーパネルに接続されたバッテリーと繋がる照明で照らされている。
基本的には夜には人々は寝る時間だ。現代であれば夜こそが本番だとする者が多く、最初の頃は望愛にも違和感があった。
今でこそ慣れたものであるが、夜になっていざ寝るとなっても中々眠気が襲ってはこなかったものだ。
だが、今彼女には眠気など微塵も無い。それは他の建物に逃げ込んでいる拠点の人間も、帰還したオールドベースの人間も一緒だ。
メタルヴァンガードとなった姿で屋上に立つ姿は、ただそれだけで眼下の人間を全て威圧する。
彼女自身にはその意志が無くとも、メタルヴァンガードが打ち立てた偉業はあらゆる人間に大きな感情を湧き立たせる。
それは尊敬であり、安心であり、恐怖であり、不安であり、畏怖だ。
敵対しない限り味方であるとしても、そこに何かしらの契約は無い。所詮は口約束に過ぎず、例え書面に纏めたとしてもメタルヴァンガードの力を使えば強引に破ることも簡単だ。
故に、そのメタルヴァンガードから不穏な気配が漂い始めたことを察したメイドは緊張を抱く。
『応答してください。 話せないのであれば銃声でも構わないので鳴らしてください』
既に約束の時間は過ぎている。
一喜が約束を破るのであれば何らかのアクションを示す筈で、流石に連絡の一つも送らないのは普通ではない。
――普通ではないのであれば、異常が起きたのは明白。
望愛の喉が鳴った。目は見開き、背筋が異様に冷たくなっていく。
今の一喜より強い存在は確かに存在する。カードの負担が大きい所為で基本的には一枚のみしか使ってこなかったが、物語上では三枚を使って漸く撃破するような敵も居るのだ。
もしもより強いカードを使わなければならない時、一喜の身に押し寄せる負担の規模は並では済まされない。
良くて気絶、悪ければ死。
『オールドベースと通信を繋げて』
「畏まりました」
ボロボロの鎧。二度とは動かぬ彼の肉体。その未来を想像して、望愛は早口でメイドに指示を下す。
冷めきった声音に感情の色は無く、焦っているのか冷静なのかもメイドには伺い知れない。ただ解るのは、今の望愛に迂闊な発言をしてはならないことだ。
腰にぶら下げていた通信機を操作し、オールドベースの纏め役である源次に繋げる。
相手側は既に全ての人間が帰還していた。
犬との戦いで多数の死者と負傷者が出たが、最大戦力である神崎は鎧があったお蔭か致命的な傷は無い。
それでも右腕は布で覆われて首から吊らされ、あらゆる箇所にガーゼや包帯が巻かれている。
色付きの怪物の中でも弱いとはいえ、それでも被害は大きい。源次としては数日程度の休養を此処で取れないかと提案するつもりだったが、唐突な通信に意識に切り替えた。
「此方源次。 何か起きたか?」
『予定時刻を既に超えていますが、先輩が帰還していません』
「……そいつはぁ」
不幸な話だな。
最後の言葉を源次は飲み込んだ。人の死が当たり前の世界であっても、初対面の相手との会話で印象を悪くする必要はない。
特に通信相手の望愛との仲を悪くすることは、イコール拠点での滞在を許してもらえなくなることに直結する。
『戦場に現れたのは犬、戦艦、砲の三種。 他に出現した個体は居ないのですよね?』
「ああ、俺達が発見した時点ではな。 ……疑いたい気持ちは解るが、連中は神出鬼没だ。 何処でどんな奴が出て来たとしても不思議じゃない」
『それはそちらの意見でしょう?』
冷たい声音には微塵も信じた様子が無い。
それも当然。源次の言ったことが本当である保証は無いし、証拠を提示しろと言われても何も持ってはいない。
この会話次第では望愛は銃を向けかねない。そうなった時、戦えるのは僅かな人員だけだ。
『此方としては直ぐに捜索に出たいのですが、メタルヴァンガードが居ない状態で貴方達が武力制圧に乗り出す可能性が否めません』
「俺達が?――有り得ないだろ」
望愛の懸念は正しい。正しいが、しかし源次としてはとんでもない話だ。
ただでさえ此処には希望がある。笑顔があり、活力があり、力がある。オールドベースが支援をせずとも此処はゆっくりと発展を遂げ、もしかすると人間が住む最も大きな街となるかもしれない。
源次としてもそんな街を制圧する気は無かった。これはオールドベースとしても多くが賛成的であり、中には共に生きるべきだと意見する人間も居る。
その筆頭が源次ともそれなりに付き合いのある博士であるが、兎にも角にも源次を含めた此処に居る人間が拠点を支配する気は無い。
神崎自身も意識しているのはメタルヴァンガードについてだけだ。納得することが出来る人間が身に付けているのであれば彼女も犬歯を剥き出しにすることはない。
確かにメタルヴァンガードは怖い。
しかし、それを上回る希望を彼等は感じている。そんな者達が望愛達との敵対を選ぶ道理は皆無だ。
「そちらが此方をどう思うのかは勝手だが、俺達はこの拠点を支配する気は無い。 維持が困難だし、そもそも住んでる人間が納得なんてしやしねぇだろ。 俺達が暴れれば間違いなく暴れ返すと解ってるなら、此処に集まる前に勝手に撤退してるさ」
『……』
源次の意見に望愛は口を噤んだ。
彼の語る言葉は望愛としても納得することが出来る。そも、此処は彼等が生活する拠点でもなんでもない。集まる必要とて本当は無く、敵を倒してはいさようならと勝手に消えても拠点側は大して気にもしないだろう。
所詮は他組織。不可侵の関係を結んであるとはいえ、積極的に友好関係を築こうとしている訳でもない。
両者に間にある共通認識は、怪物を倒すことのみ。
その間柄で争いなど起こせばどうなるか。そんなことは望愛でなくとも容易く想像することが出来る。
今はまだ、互いが互いに刃を向けることは有り得ない。
望愛にもその可能性の方が高いことは解っていた。解っていて、しかし一喜以外を基本的に深く信じない少女には懸念を無視出来ない。
監視は当然必要として、それ以外に脅しの類も一つや二つぶつけておくべきだろう。武器の類は回収できるだけ回収してはいるものの、この周辺は鈍器になる物は多く転がっている。
即席の武器ならいくらでも用意出来る環境にあるならば、最も有効なのはそんな暇すら無い程に速攻を決めることだ。
『信じさせたいのなら神崎氏の装備を監視しているメイドに預けなさい。 それをもって取り敢えずは味方だと決めましょう』
「……仕方、ねぇか」
望愛が持つ懸念で一番大きいのは神崎の持つ剣だ。
疑似的な着装機能を持ち、一度でも纏えば脱出どころか殲滅も難しくない。
対怪物を想定して作られているのだから只人が勝てないのも当然だが、そうであるからこそ取り上げることに成功すれば一気に無力化が進む。
しかし、オールドベース側からすればはいそうですかと渡すのも難しい品だ。
特に神崎は望愛の要求を聞いた瞬間に口を開きかけ、それを見た源次が先に言葉を発する。
文句を言わせてはならない。神崎が一度でも不満を口にすれば、もうその時点で射殺されかねない。
「全員、俺の言うことを聞け。 今は何よりも無事に此処を出るのが最優先だ。 ……神崎」
「――でもッ」
「でもも何もない。 やらなきゃ死ぬぞ。 あの英雄達は納得の道を示してくれたんだからな」
メタルヴァンガードが二機居る時点で勝敗は決していた。
神崎は噛み締めながらも剣を地面に突き刺す。源次は彼女に一言感謝を述べ、そのまま剣からカードを抜き取るのだった。




