【第百九十八話】女、種火を見る
――一体目の処理は終わった。次に向かう。
『解りました。 此方は問題ありません』
通信の切れる音がヘルメット内に響く。
通信時の一喜の声に乱れは無く、怪我を押し殺すような雰囲気も感じ取れない。
三枚分のカードを使っていれば間違いなく疲れはしているだろうが、その隙を聞いている望愛に晒すことを彼は許さないだろう。
現地の情報を一喜は語らなかった。語るだけの時間が勿体ないと判断したのだろうが、同時にそこから一喜自身の状態を推測されるのも避けたのだ。
ならば、短い言葉を聞いた望愛はどうするのかと考え、即座に傍に侍るメイド達にベッドの準備を命じた。
『先輩が帰還した後に直ぐに休ませて。 本人が拒否しても強制的に』
「かしこまりました」
望愛の命令にメイド達は揃って応じた。
内心のあれこれはさておき、望愛の命令であれば彼女達に迷いはない。この世界でも無事だった布団やベッドから質の良い物を選別しに彼女達は歩き出し、背後からその声を聞きながら望愛は屋上で下の光景を見やった。
眼下には今のところ大きな騒ぎは起きていない。一度は押し潰される勢いで皆が室内へと避難しようとしていたが、今は黙って事態の変化を待っている。
いや、この表現は正しくはない。彼等が待っているのは、良い方向への変化だ。
彼を含めた戦闘部隊が無事に怪物を倒して戻ってきてくれることを願い、同時にもしも失敗した場合に備えようとしている。
実際に幾人かの住人は食料品が備蓄されている建物へと侵入を試み、メイド達に捕縛されて避難者達の下へ戻されている。
他にも犬や蜻蛉に語り掛けて護衛にしようとしていたり、暫定的にこの拠点のトップとなった世良に皆で逃げることを頼みに向かっていた。
世良は彼等の頼みを聞いた上で待つことを選び、同時に耐え切れぬのならば自分達だけで逃げれば良いとも告げている。
それを聞いた人々は顔を見合わせ、肩を落としながら他の者達が肩を寄せ合っている場所へと戻っていった。
「世良様は実に堂々としていますね」
背後から沢田の声が聞こえた。
断言する口調からは幾分かの信用が伺え、望愛もまたそうねと答える。
『ミスすれば先輩の信用を失うからね。 任された以上、何としてでも役目を全うするでしょ』
「そうですね。 この世界では大藤様の信用を失うことが一番恐ろしいですから」
『……そうね』
沢田の言い方に望愛は言葉を遅らせて返した。
沢田としては利益の面でのみ語っていたようだが、望愛の目からすればそれが一番の理由ではないのは明らかだ。
世良は損得勘定で一喜を見ていない。あれはそう、望愛の内にある女としての情が込められている。
好いた男が自分を信用して、重い立場を与えた。
それがどれだけ嬉しく、責任の重いことであるかは望愛にも解っている。解っているからこそ世良は逃げようとする者達に対して厳しい目を向けていた。
逃げるのなら逃げれば良い。ただし、逃げる者に援助は一切しない。その後戻ってきたとしても、この拠点は受け入れない。
何れ大きくする場所とはいえど、選別は必要だ。それが一喜達の世界と繋がっている場所である以上、厳しさの基準がどれだけ上がっても過不足にはならない。
一喜は今戦っているのだ。自分の世界とは関係の無い世界で、何の力も無い者達の為に力を振るってくれている。
彼の振舞いは人類の為になってくれている。頂点に立つ者としての責任を背負い、皆が飢えや暴力で苦しむことのない場所を作り上げようとしているのだ。
ならば、この世界で生まれた側が尽力しないでどうする。
たとえ恐ろしい怪物と面と向かい合って敵対することになっても、それでも誰かの為に鎧を纏ってくれた先導者の力になるべきだろう。
地味でも、危険でも、やれることはやるべきだ。人々が今一度元の生活を取り戻したいのであれば、震えている場合ではない。
世良の想いは望愛に見えている。いいや、少しでも恋愛を知っている側からすれば世良の態度は明らかだ。
あの女は彼を裏切らない。裏切るくらいなら死ぬ道を選ぶ。
『それで、例の連中はどう?』
世良とこの拠点に住まう普通の住人達はこのままで大丈夫だ。
時間が経過する程に沼は深くなり、やがて沈み切るのが目に見えている。その際により根深い信者とならないような舵取りが求められるが、こればかりは情勢次第と言わざるを得ない。
なので一旦脇に置き、望愛は直近に起きた問題を沢田に問う。
一喜が直接顔を合わせて広場で忠告した集団は、彼女の常識に照らし合わせれば火種となりうる要素があるチンピラだった。
やっていることは然程大きくはないし、やろうと思えば誰もが行える。警察のような治安組織が動けば簡単に取り締まることも可能で、しかし放置していれば大きな事件に発展する可能性もあった。
あの場での対応で一喜はあまり注視する気は無かったようだが、望愛としては彼等がまだ諦めているようには見えていない。
寧ろ一喜の注意に反発してますます大きな真似をするのではないかと少々の危惧も抱いている。
仮に彼等が大事をするとなれば、有り得るのは一喜が居ない間だろう。
圧倒的な武力が存在しない瞬間であれば何時もより多少派手にしたところで露見までにロスが出る。その間に証拠を隠すなり口封じを済ませれば此方は詰問することが難しくなってくるのは明らかだ。
「お嬢様の予想通りに彼等は避難場所に居ませんでした。 メイド達に巡回ついでに姿を探させましたところ、どうやら外側のビルの一部屋に集まっているようです」
沢田の流れるような報告は、ただ望愛に不快感を齎すだけだった。
眉を顰め、予想通りとなった事実に怒りを覚える。人は蜜の味を知れば忘れられないと言うが、この酷い世界ではより蜜は甘くなってしまうのだろう。
金の価値が紙切れ以下となっているこの世界では、やはり物こそが絶対的な価値を持つ。
それが将来的に必要な物であれば、尚更価値は高騰するものだ。特に需要と供給を見抜く目を持つ者であれば現在の拠点で不足している品々は簡単に解る。
しかし、彼等に利益を与えるのは一喜の望むところではない。寧ろ逆に排除すべき対象であり、忠告で止まらなかった時点で彼等の意識に反省の二字は皆無だ。
であるならば、望愛としては早急に潰してしまいたい。彼に頼ることなく全員を捕縛し、一回目よりも厳しい状態に追い込んでしまいたいのだ。
『捕まえられそう?』
「全員となれば難しいでしょう。 此方はメンバーの姿と名前を全て把握している訳ではありませんので。 秘密裏に捕縛し、相手に気付かれる前に尋問ないし拷問でメンバー情報を吐き出させるしかないでしょう」
潰す。この言葉は簡単に言えるが、では出来るかとなると難しい。
潰してそれで終わるのであれば望愛としては望むところではある。これで邪魔な連中が全員消えると解っていれば、彼女は捕縛ではなく殲滅を選んだ。
されど、メンバーの総数が解らない。直近で広場に集められた者達とてそれで全員とは言い切れず、外部勢力の手が入っていれば余計に殲滅は選べないだろう。
なので、沢田の意見を頭に叩き込んだ上で彼女は決定を下す。それが一喜の為になると信じて。
『連中はまだ一部屋に集まっているだけなんだよね? なら次に何か行動を起こしそうになったら捕まえて。 気が付いても構わず』
「承知致しました」
静かに沢田は屋上から去った。
鋼の鎧は僅かな駆動音も鳴らさず、眼下の者達を確実に捉え続ける。
マスクの下がどのような表情をしているか。それは望愛本人でさえも解らなかった。




