【第百九十話】その男、少女の叫びを知る
異常の知らせが拠点全体に広がっていく。
不安と恐怖は伝播し、怯えの混じる声には生への希求が込められていた。
何か突発的な出来事が起きれば怯えは発狂に至る。誰も彼もが三々五々に散り、逃げ惑う過程で踏み潰されて圧死するだろう。
そうならない為にも自警団は動けない。同時に、民衆の一応の顔役に就任した世良と補佐の十黄もまた動くには難しい。
一喜は出撃の声を発しはしたが、実際に動き出すのは異世界の面々だけだ。
一喜を先頭にメイド隊と沢田。望愛は沢田からの懇願と愛しの彼からの強い口調によって拠点防衛に移った。
『何かあればメタルヴァンガードの通信回線を使え。 俺にだけは繋がる』
『解りました。 そちらも何かあればお願いします』
出て行く最中に一喜と望愛は言葉を交わし、メイド達も完全武装した上で街へと移動を開始する。
相手側は何も隠す素振りを持っていない。黒い外套そのままの恰好であるならば、それをメイド達に伝えるだけで簡単に見つかるだろう。
移動は完全に徒歩だ。一喜だけで先行することも可能だが、一応は拠点に所属する軍としてメタルヴァンガードは今回運用される。
一喜と望愛の力はこの世界では破格だ。故に、個人の感情に任せた運用をしては周りに危機感を与えてしまう。
あくまでも、メタルヴァンガードは正義の味方だ。
真に正義の組織と呼んでいいのかは疑問は残るものの、物語内の組織は正義を求めて活動する集団だった。
であるならば、一喜もまた正義を成す側で居るべきである。そこには大いに打算が含まれているものの、彼としてはそれで良いと思っていた。
拠点を出て、足は商業施設のある方向へ。何かしらの目的を持っているのなら、それが物的であれ人的であれ先ずはそこを目指す。
「居ました」
暫定的に正体不明とされている集団は、やはりと呼ぶべきか商業施設が並ぶ場所に纏まって存在していた。
黒い外套には何の装飾も模様されておらず、腰には明らかな銃器の膨らみがある。
怪物相手でなければ恐らくはもっと隠しようがあったのだろうが、外を歩くとなると警戒は厳重にせざるを得ない。
数は十五~二十。男女の割合は男に傾き、女は一割程しか混ざっていない。
男達は皆揃って厳しい顔で辺りを見渡しては近くの浮浪者じみた格好の者達に何かを尋ねていた。
それを聞かれた側が首を左右に振って否と答え、黒外套の者は露骨に残念そうな雰囲気を漂わせながら質問相手を蹴り飛ばした。
崩れた施設の瓦礫に激突した人物は鈍い音を発している。大した怪我はしていないようで、蹴り飛ばされた先で慌てて身体を起き上がらせて走り逃げていった。
「なんですかあれは。 とても人類の為に活動している組織とは思えません」
一人のメイドの憤慨が籠った声に一喜も含めて全員が胸の内で賛同する。
今の一瞬のやり取りは、人を救うと豪語する組織としてあってはならない行動だ。
しかもそれを咎めるような言葉を発する人間が居ない。気不味さに顔を逸らす人間が居る程度だ。
あれが不味い行為だと解っていて、注意をしない。それは一組織として明確な異常であろう。内部で漂うだけの異常であれば内々で済ませられることも、外部にまで及ぼしてしまえば信用も信頼も無くなってしまう。
「……此方に気付きました」
近付き、近付き、やがて一喜達の気配を感じ取った集団は一様に顔を此方へと向ける。
その中にメタルヴァンガードの姿があることで彼等は過剰な程真剣な表情を作り、ゆっくりと此方への接近を開始。
武器に手を当てていることから即座の戦闘も考慮しているのは明確だ。だが、メイド達も既に手に武器を携えている。やろうと思えば早撃ちをされる前に此方が引き金を押して仕留めることも可能だ。
両者は慎重に前へ前へと進み、共に二m程の距離を空けて向かい合う。
黒外套の集団は揃って何も話はしなかった。ただ此方を見るだけで、それ以外にする気はないと言外に一喜達に語っている。
であるならば、語る口を持つのはこの中でただ一つ。
黒外套が次々に道を開けていき、二人の人物を一喜達の前に露にさせた。
『……お前達』
現れたのは年齢差のある男女だ。
その内の女は一喜も知っている人物で、嘗て散々に肉体を壊した神崎と名乗る者。
もう片方を一喜は詳しくは知らない。神崎と同じ組織に所属する男性であることは解っているが、名前も知らないただの革ジャン男だ。
彼等が姿を現したことで件の組織がオールドベースであるのは確定となった。
となれば、ますます民衆に対しての扱いは杜撰であるとマスクの内側で彼は眉を顰める。
『随分と人間に対して適当だな。 人類の救済を目的としていると記憶していたが?』
「おう、勿論そのつもりだぜ? ただまぁ――――家畜に成り下がることを是とした奴を同類にするのもねぇ」
男の飄々とした態度も嘗てと変わらない。
とはいえ、言っていることは最低の部類だ。自然とメイド達の表情にも険が混じり、その姿を見た男は口笛を吹いた。
「おーおー怖いねぇ。 そんなに綺麗な顔をしてるんだ、もっと可愛い顔をしなきゃ。 雫もそう思わないか?」
「黙れ変質者」
軽い調子で隣の神崎に語り掛け、しかしそれは呆気なく切り捨てられた。
男には視線すら向けず、彼女は一喜のみを視界に定める。以前に見た姿と比較すれば彼女の肉体はその殆どが治っているように思えるが、しかし四肢には大量の包帯が巻かれたままだ。更に言えば、伸びていた薄暗い青の髪は首までの短さで終わっている。
両頬には湿布が貼られ、スポーツジャケットの下も恐らくは似たような状態となっているのだろう。
完全な健康体ではない姿で、それでも彼女は此処に立っていた。
「……問う」
声は震えている。言葉には微塵も恐怖は含まれておらず、これは単に口を動かす行為にも激痛が伴っているからだ。
「何故、あの場で殺さなかった」
喋ることすら苦痛を伴う中、彼女は純粋な質問を彼に投げ掛ける。
それは彼女が白い部屋で自身を治しながら考えていたことだ。激痛によって満足に眠ることも出来ず、睡眠不足は幻覚や幻聴を発生させた。
そこに人は居ない筈なのにベットの周りには様々な人間が立ち、口々に彼女のことを罵っていたのである。
単純な非難から始まり、遠回しな皮肉が続き、最後は脅迫に次ぐ脅迫。
痛みの所為で精神的な余裕が無い中での言葉の暴力は彼女を更に追い詰め、自身に何故を幾度となく突き付けた。
何故、自分は生きているのか。
何故、自分は今も諦めていないのか。
何故、誰も助けようとはしないのか。
自身に問いを投げても何も答えは返っては来ず、幾分か痛みが減った今では取り敢えずの答えを定義するだけだった。
自身を助けてくれないのは、助けてくれるだけの価値が無かったから。生きているのは慈悲を掛けてくれたからで、諦めていないのは英雄を忘れられないから。
彼女は見た目同様の少女だ。夢を見て、憧憬に焦がれ、無茶をしたがる精神を覆せぬ青さを持った年相応の女だ。
幼き日に彼女は地獄を見た。人が肉塊になる様を見て、人が悪意に酔い痴れる様を見て、何もかもを信じることが出来なくなっていた。
闇は濃く、されどそれは――万人が体験する当たり前の光景だ。
彼女だけが体験したものではない。苦しんでいたのは彼女だけではない。だから我慢しろと言われ、それで我慢出来る人間が何人居ることだろうか。
「お前なら容赦無く殺せた筈だ。 殺して、それこそあの場に居た面々を全員殺し切ることだって出来た」
少女は、どれだけ怪物に近付いても完全に狂い切れなかった。
なればこそ救いを求めて手を伸ばすことから逃げ切れない。誰かに縋ることを止めることは出来ない。
依存から逃れる術を、神崎・雫は知らないのだ。だから嘗ての英雄に依存して、それが死んだら次を探してしまう。――だって光とは彼のことだったから。
「どうして殺そうとしなかったッ。 答えろ!」
口の痛みすら無視して少女は大声を発した。切実さも混じった声音を一喜は鎧の内側で聞き、呆れるばかりの盛大の溜息を零す。
『殺す気が無かったから』
そして呆気無く、彼は彼女に答えたのだった。




